オペラシアターこんにゃく座「フィガロの結婚」
こんにゃく座の公演では今まで林光作曲などのオリジナル作品しか観たことがなかったのだが、今回は「フィガロの結婚」。モーツァルトの音楽はほぼそのままで、こんにゃく座独自の改定点といえば、1.序曲が合唱によること、2.2幕のスザンナの着せ替えアリアの省略、3.通常カットされる4幕のマルチェリーナとバジリオのそれぞれのアリアを林光の小曲に変えている、といったぐらい。それと伴奏はピアノ、ヴァイオリン、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ティンパニの小規模なもの。(といってもティンパニが入っているだけで迫力は十分保たれている。)だからそこらのリメイク版とかダイジェスト版よりもモーツァルトの音楽に忠実であり、結構な上演時間を要していた。しかしモーツァルトの音楽に忠実であるだけに、この一座のオリジナル作品の時のような、すべての歌詞が日本語として明瞭に聞きとれるという利点は薄らぎ、訳詞上演特有の聞きづらさは残る。とはいえ一音符一母音にとらわれず、内容の伝達に主眼が置かれているので、だいぶ分かりやすくはなっていた。
実は、8回公演は赤組黒組のダブルキャストに分かれていて(ダブルキャストといっても、両方の組で違う役だったり、一方で主役で一方で合唱だったりと、考えるだけでも大変なダブルキャストなのだけど)、しかもそれが演出まで違うというのだから、本当は両方観るべきなのだが、観る方も大変なので、妻と交替で鑑賞。赤組はエロティック、黒組は社会性の演出ということで、私は黒組の所見。
まず見た目に衣裳が全員着物。ところが、時代や場所の設定を変えているわけではなく、話の流れ自体はふつうのフィガロなのに、全員姿だけが江戸時代風という不思議な感じ。不思議な感じだが、違和感はなく、逆におもしろく感じられる。これが演出の設定まで江戸時代だったら、それはそれなりの視点なのだろうけど、そうではなく、あくまで舞台にいるのはフィガロや伯爵のなのである。それなのに全員着物。しかも始まりの序曲では普通の舞台衣裳の合唱が出てきたし、最後は現代の容装の男女が紙吹雪を散く。着物姿の本筋の前後に現代の姿を置くという、その落差に実はそれほどの意味はなさそうなのだけど、その落差自体がなぜかおもしろい。(ちなみに妻の観た赤組は、着物ではなかったそうだ。)
演出の社会性は、それほど強いメッセージは感じられなかったが、「フィガロの結婚」が本来もっているおもしろさにあふれ、客席の反応もよかった。いまやフィガロなんて外来から市民オペラまでどこでも観ることができるので、何か特別おもしろい動きでもしないと客席も笑わない。そういう現状なのに、クライマックスで伯爵が奥方に「ゆるしておくれ」と歌いだすと客席が大笑いするのだ。特におもしろく演技したわけでもなく、客席だってフィガロを知っているふつうのオペラ好きが多いので、そういう歌詞がくることは分かっているのに、伯爵がゆるしをこうとみんな笑ってしまうのだ。いまや他の公演ではこの場面では音楽的に鎮まって笑うことはない。しかし、伯爵のこのことばで客席中が大笑いすることが、「フィガロの結婚」の社会性の本来的な姿なのではないだろうか。
(2003年9月13日 世田谷パブリックシアター)
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