東京二期会「蝶々夫人」
数えてみると「蝶々夫人」を観るのはこれが11回目なのだが、そのうちの7回までが栗山昌良演出である。こういう状況ではいきおい「蝶々夫人」の過去の鑑賞の記憶となると、演出や舞台がどうこうというより指揮者やキャストの印象が強くなっている。私の過去の鑑賞ベストワンを選ぶのも難しいが、あえて選ぶなら92年の関西二期会の公演で、何が良かったかというと、佐渡裕の指揮があまりにも情熱的で感動したことである。この時も栗山さんの演出であったが、やはり佐渡さんの指揮で感動したという印象である。演出でもパウントニーの演出した「蝶々夫人」もおもしろかったという記憶があるが、これだけ栗山さんの演出が「蝶々夫人」を制圧していれば、私の頭の中ではかなり栗山さんの舞台が固定化されてしまっている。もちろん、あちこちで栗山さんの演出に出くわすということは、それだけ評価が高いということだし、確かに必ず感動して泣かされてしまうから、安心感もある。
しかしそれだけ舞台の展開に安心感があるということは、演出上での新たな期待は望めないということにもなり、栗山さんの「蝶々夫人」だと、キャストや指揮者の顔ぶれを見てから行きたくなるかどうかが決まるということになってしまう。主催団体が違っても、再演というような感覚になってしまう。そういったことで、今回の東京二期会の「蝶々夫人」は、キャストも顔ぶれからは強烈にアピールするものもなかったし、丁度忙しい時期なので、本来は見送りそうなところなのだけど、指揮に小林研一郎が振るとなれば、その一点だけでどうしても行きたくなってきた。コンサートではいつも感動させてくれるが、意外なことにオペラではまだ聴いたことがなく、それもプッチーニとなるとどういうことになるのか期待してしまう。
だから感想も指揮者だけになってしまうが、私の感じた限りでは、1幕よりも2幕の方が小林研一郎の本領が発揮できていたように思う。二期会のチラシに「炎のコバケン」とあった通り、炎であって、それは1幕での情緒的な場面では十分にプッチーニの美しさを表現しきれていなかったのではと感じてしまった。一転、2幕に入ると舞台全体を高ぶらせていて、「蝶々夫人」のヴェリズモ的な激しい面を十分に堪能することができた。指揮者の本領を一番最高に発揮できたのは、2幕の間奏曲ではなかったかと思う。とても良く響いた。それはもしかしたらコンサート指揮者の証明なのだろうか。
だけど小林研一郎はピットにあまり入らないのだろうか。最後の幕が閉じて、カーテンコールが延々続いているのに指揮台から歌手に向かって拍手をしてばっかりで、一向に自分が舞台に上がる気配がない。仕方なく、ピンカートンも蝶々さんも何度も出たり入ったりしている。あげくに係員が指揮台まで駆けつけてカーテンコールへの登場をうながした。ようやく舞台に上がったはいいが、そこでも左右のキャストに対し拍手をし続け、まるで自身が最大の拍手を受けているということに気づいていない様子であった。それじゃあ、不意に舞台に上がらされたただの観客ではないか。
(2003年9月27日 東京文化会館)
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