東京二期会「エジプトのヘレナ」

 日本初演なので、もちろん音楽も知らなければ、この作品でのストーリーも分からないし、タイトルだけ見ると惹かれることはない感じなのだが、若杉弘のR・シュトラウスであれば、とりあえずはおもしろくなるはずだという予想だけでチケットを取っていた。しかし、ギリシャ神話ものは詳しく知っていないと、いつものように「初めて観るオペラはいきなり生で観るのが一番」という態度でいると、まちがいなく途中で退屈してくるだろうから、開演前にしっかりとプログラムを読んだ。

 一言でいえば、浮気して10年もトロイアに行っている妻へレナを、トロイア戦争のあげくに連れ戻した夫メネラスが、妻への不信で殺そうとするものの、仲直りする話である。しかも話は、連れ戻しているところから始まる。ということは当然トロイア戦争のスペクタルもない。もっと端的にいうと、夫婦の仲直りの話である。あらかじめあらすじを読んでもおもしろくなさそうである。昼過ぎの公演、なんだか眠くなりそうだが、来る時の電車で前後不覚になるほど熟睡したので、まあそれは大丈夫だろう。それに休憩を入れても2時間40分と比較的短いから、話がつまらなくても耐えられる時間だ。

 だが実際に幕が開くと、そこはR・シュトラウスの音楽である。しかも若杉さんの指揮。流麗な響きは限りなく心地よい。音楽だけ聴くととても美しく、滅多に上演されないのが不思議なくらいである。確かにあまり起伏のないストーリー展開だ。ホフマンスタールの台本は詩としては美しいのかもしれないが、残念ながらそこまでの理解力が私にはない。だがそういったことを上回って音楽が美しく、それをこんなに良く響かせてくれれば、眠ってしまうどころではないのである。

 そういうひたすら耳に心地よい状況で淡々と舞台上の話は進んでいき、ついに大詰めを迎えてしまった。そして、どこでどうして夫婦が仲直りしたのかよく分からないのに、どこでどうしてだか私は感動してきた。ちょっと目が潤んできた。突然、妻がトロイアに浮気しに行く前に生まれていた娘が登場する。(実際に子供なのにドイツ語で歌っていた。)そして夫と妻と娘が手をつないで歩いていく。理由も分からずだんだん感動が盛り上がってきた。それがR・シュトラウスの豪華な音色の上にのっているのである。気がつくと、私はハンカチで頬っぺたを拭かなければならないほど涙を流していた。こんな「エジプトのヘレナ」で泣くなんて、どうしたというのだ。突然の大団円に感動したのか、R・シュトラウスの音楽がいけないのか、はたまた家で待っている妻や娘のせいなのか?しかも他に泣いている人は見当たらない。とにかくさしあたっては、男一人で涙を流した時は、まわりに気付かれないように涙を拭いて何気ない顔をしなくては。

 冷静になって考えてみた。やはりストーリーはさしておもしろくない。ところが涙が出るほど感動する。私にとって、そういう珍しい感想の作品であった。

(2004年2月21日 東京文化会館)

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