東京オペラグループ「フィガロの結婚」
いきなり、こう評するのも気が引けるが「フィガロ」感の出ていない「フィガロ」だった。
個々のキャストの力量は十分であり、そういった面からみれば確かに相応な満足の得られる内容ではある。しかし、私としては決して歌を聴きに来たのではなくて、「フィガロ」を楽しみに来たのであり、そういう方面からみればあまり満足はできなかった。その要因は、まず演出であり、次いでおそらく会場のせいであると思う。
とりあえず舞台に雰囲気がない。セットは細い布を数本垂らすだけ。実はこういう布を垂らす舞台は私の一番嫌いなものなのであるが、そういう個人的な嗜好を除いても、寒々とした雰囲気は免れない。それに、道具といえば箱が数個あるだけ。1幕に背もたれのあるイスも置いていなく、三重唱の楽しさも何が楽しいのか分からない。予算が無くてもイスは必要である。全体に「フィガロ」のおもしろさが生かされきれていない舞台になってしまっていた。演出に何か独自の解釈を持ち込んだ結果がこういう舞台になったのであれば、その解釈への賛同は別にしても納得はできるのあるが、そういうわけでもなくて、あくまでこれは従来の「フィガロ」を上演しようとしているのある。それなのに「フィガロ」の感じが出ていない。これでは、つい先日観たワルシャワ室内歌劇場のこてこての「フィガロ」の方が、音楽的には劣っていたとしても何倍かおもしろく、「フィガロ」を観た、という気にさせてくれる。
それから、キャストは健闘しているのに、なぜか音楽面からも「フィガロ」感が感じられない。最初は指揮者の技量の問題かな思ったが、そうではなくもしかしたら劇場のせいかもしれない。円形のとても雰囲気のある劇場であるが、音響面ではデッドに響き、硬質な耳障りがする。そういった音質に合う作品もあるかもしれないが、ふつうの「フィガロ」を上演しようとすれば、やはりモーツァルトであることが優先される会場を選ぶべきだと思う。
このグループのレパートリーである「奥様女中」の、あの高品質な暖かい雰囲気が発揮できていなかったことは残念であるが、キャストのレベルの高さからすれば、会場を変え演出を手直しすれば、再演に期待も出てくる。
(2005年1月8日 アートスフィア)
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