新国立劇場「ルル」

 一昨年の11月に東京二期会で「ルル」を観ることができて、それからそんなに時間が経っていないのに、また日本で「ルル」が観られるなんて、「ルル」好きにはたまらない世の中になってきたものだ。私の数少ないオペラCDコレクション(10作品もない)の中に「ルル」が入っているので(「ヴォツェック」も入っている)、私も「ルル」好きかもしれない。

 しかも前回は3幕版で、今回は(当初3幕版の予定が変更になって)2幕版。今まで、CDもテレビ放送で見たものも、すべて3幕版の「ルル」であったので、2幕版の劇的効果というか鑑賞後の印象がどのようなものになるのか、というところも実は興味があった。実際に聴いてみると2幕版でもそれなりにおもしろい。正直なところ、ベルクの音楽は全く無駄がなく緊張感が凝縮されているので、3幕版でたっぷり3時間も浸っていると少々耐えられなくなってくることがある。「ヴォツェック」ぐらいの長さが丁度いい。だから2幕版だと、聴いている方の緊張も解けなくて、今日聴いた限りではこちらの方がいいのでは、と思えてくるほどである。但し、2幕の間奏曲以降、(最後は3幕版の最後の切り裂きジャックの場面が加わるのだが)少し筋がつかみにくくなるという面はある。

 キャストは、2幕版に変更しただけのことはあって、総じていい出来であった。十分満足できる。その中にあって主役の佐藤しのぶは、努力していることは大いに感じられて、ほとんど体当たりの役作りであることは拍手できるのあるが、やはり、もっと適したキャスティングがあったのでは、と思えてしまう。これは歌唱や演技とは別の次元の観点であり、本来的な批評にはならないのかもしれないが、一般に期待するルルの凄みに欠けている。観客の男どもが浮つくぐらいのルルを望むのは無理なのであろうか。

 パウントニーの演出する舞台は、とても緊張感があった。抽象的な舞台にしたとは言っているが、そこにあるセットや小道具はどれも具体的なものであり、今どういう場面であるかは想像を働かせなくても理解できる。ただ、時代も場所も全く特定のものを感じさせてくれない。そういった意味では抽象的な舞台であり、ルルとその周りの人物がくっきりと浮かび上がり、それぞれの役割がはっきりしてくる。プロローグの猛獣遣いが各場面の要所に登場することで、全体の虚構性も増す。また、場面転換の暗転で(実際には明るい)、直前に死んだ人物が亡霊のように起き上がって退場するのも、虚構か現実かきわどい舞台づくりである。

 シュテファン・アントン・レック指揮の東京交響楽団も、舞台によく呼応した緊迫感を作っていて、気が付いたら手のひらが汗ばんでいたりした。

 こういうおもしろい「ルル」を観ると、また違う「ルル」を観たくなってくる。補足するが、私は「ルル」が好きなのであって、ルルが好きなのではない。「ルル」を観たいのであって、ルルに会いたいわけではない。健全である。

(2005年2月11日 新国立劇場)

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