オペラシアターこんにゃく座「フィガロの結婚」
こんにゃく座の「フィガロの結婚」を観るのは二度目になるが、前回同様に、今回も、4幕大詰めの場面において、伯爵が奥方に「ゆるしておくれ」と歌うところで客席から笑いが起こった。ふつうの「フィガロ」の公演であれば、途中でどんなに笑いをとった演出であっても、ラストの伯爵がゆるしを乞う場面になると、とりすましたつまらない雰囲気になり、観客も帰り支度の気分になってくるところだが、こんにゃく座ではここに至ってもしっかりと観客の心をつかんでいる。伯爵のこのことばで客席が笑うことこそ、この作品の本質を突いた上演である、と私は思っている。ここにこの作品の社会性が凝縮されている。そういう意味で、きわめてまっとうな「フィガロ」の舞台であると思うのである。
自然な日本語による訳詞も、実は原語よりもたくさん母音を入れているおかげなのであるが、お芝居のようにはっきりと意味を把握することができる。だからといって、ことば中心の舞台かといえば、決してそうではなく、音楽を第一に主眼としていることは明らかで、歌だけ聴いていても十分に楽しめる。殊に、最近のこんにゃく座は若い人も充実していて、オペラの歌唱としても全く遜色がなくなっている。それにプログラムには、長調の歌の中に現れる短調の部分の意味もしっかり表現することによって、オペラはミュージカルとは全く別物であるという趣旨の、心強いことも書いてある。
ただ、ほんの少しだけカットがあるのは物足りなく思った。記憶があいまいではっきりとは言えないが、前回の公演よりもカットが増えているように思う。1週間休みなしの連日公演の負担を軽減するためであろうか。3時間を長いとは思わせない舞台づくりなので、無理がないのであれば、カットなしでの上演を聴いてみたい。
演奏は、ピアノにヴァイオリン、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ティンパニという編成。木管中心でモーツァルトの雰囲気をよく保っているが、ティンパニが加わるだけでも幅が広がり迫力も増す。また、人物の心が繊細な部分ではピアノだけになったり、編曲もよくできている。
舞台設定は、列強植民地時代の東南アジア。この設定に大きな意味はなく、支配・被支配の一形態ということぐらいか。私としては、前回公演の江戸時代の殿中の方が好みであった。
キャストでは伯爵の大石哲史と伯爵夫人の梅村博美が歌も役作りも完璧で、まるでこの二人が主人公のようで、フィガロとスザンナのキャラクターが薄れてしまうほどであった。またちょっと肥えていて、肉付きのいい腹をみんなにバシバシたたかれるバルバリーナも他では見られないバルバリーナであった。
(2006年8月27日 俳優座劇場)
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