東京二期会「フィガロの結婚」

 東京二期会は7月の「蝶々夫人」に続いて再演ものの公演。しかも、栗山昌良の「蝶々夫人」ならまだ定期的に観てみたいとは思えるが、宮本亜門の「フィガロの結婚」は前回の公演を観てパッとしなかったから、改めて観てみようとまでは思わない。キャストについても一定以上の水準は期待できそうだが、(一般的にも個人的にも)目玉になる歌手もいない。

 それでもなぜチケットを買ったかというと、マンフレッド・ホーネックの指揮と読売日響を聴いてみたかったということが理由である。最近名前は聞くけどホーネックの指揮を生でも録音でも聴いたことがなかったし、会社の先輩が「ホーネックはいい。「フィガロ」に行きたいが日程が合わなくて残念。」などと話しているのを聞いたから、なおさら聴いてみたくなってきた。それと、しばらく私の頭の中で「読売日響は在京オケの中ではBクラス」という意識があったのだが、ここのところ音友などでの評価が上がってきているので、本当にいいのかどうか確かめたい気持ちもあった。ホーネック−読売日響が目的ならコンサートを聴きに行けばいいようなものだが、そこはオペラであれば私としてはなお良い。

 ホーネックの指揮は私が想像していたものとは少し違って、丁寧なしっかりとした音楽作りをしていた。丁寧であるということは個性がなければ興奮のないつまらないものになりかねないのだが、そういう感じではなく、しっかりしていながらアクセルはきいている。各幕のフィナーレは適度にテンポが速かったし、スザンナと伯爵の二重唱はこの速さがドキドキ感を出していて、聴いている私の方まで伯爵のいやらしい気持ちになってきた。一方でスザンナと伯爵夫人の二重唱ではタクトを譜面台に置いての指揮で、しっとりとしたシーンも保っていた。読売日響も(指揮者によるのだろうけど)、気になるパートもなく、今後もピットには読売日響とまではいかなくても、東京フィルとどちらにするかと言われれば、どちらでも構わないという感じである。

 キャストは総じて良い。但し、(本質的でなく失礼だが)容姿が総じて和風。市民オペラ的な光景である。卑近なたとえでは、スザンナ(薗田真木子)は未知やすえに似ていたし、フィガロ(山下浩司)は中田はじめ(アンパンマン)に似ていて、何を観ているのか分からなくなってきた。(もっともスザンナは表情豊かで大きな瞳もよく動いて、見ていて飽きなかった。)また、佐々木典子の伯爵夫人は、さすがに歌のみならずレチタティーヴォまで(イタリア語の発音の良し悪しは分からないが)上手い。表現が良く、言葉が分からなくても気持ちが分かる。

 ちなみに、宮本亜門の演出は再演するほどのものではなかった。

(2006年9月18日 オーチャードホール)

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