新国立劇場「ファルスタッフ」

2004年の舞台の再演なので、感想文もその時の文章を再現してもいいでしょうか。なぜかというと、私は「ファルスタッフ」が好きだし、演出のジョナサン・ミラーも好きなので、この組み合わせは夢のようなものであり、事実、毎年観たとしても飽きてこないと思う。それほど初演時の感動が心に残っているのである。

私が、ジョナサン・ミラーの演出を好きな理由は、舞台設定を変えるにしろ変えないにしろ、人物の動作が現代的でおもしろいところにある。ミラーは、ニューヨークのマフィアの世界に舞台を移した「リゴレット」が以前は有名だったので、それだけしか知らないと、設定読み変えが得意な演出家であるかと誤解してしまう。だがそうではなくて、ミラーの演出は時代と場所を変えるというより、時代と場所に固執しないということなのである。今回の「ファルスタッフ」の演出だって、時代は変えずに、場所だけイギリスからオランダに変えている。当時の家屋の雰囲気を伝える資料がオランダ絵画だけだから、という理由らしいが、実際のところ、その変更によって何かが大きく変わるということはない。極端に言えば、日本で上演するにあたって、今の日本人で17世紀のイギリスとオランダの家屋の違いが分かる人なんて、そうそういるものではないと思う。要するに、実質的に、この変更は大きな意味を持たないということである。

ミラーのおもしろさは、そんなところにあるのではなくて、人の動きが現代的なのである。一見すると時代も場所も変わっていない舞台設定でも、絶対にその時代ではありえないような、しかし現代人にしてみればごく普通の動作をしているのである。それは今回の演出ではミラー自ら、ガーター亭の主人の行動を例に出しているが、もっと軽い行動、例えばフェントンが抜き足差し足で逃げていったり、籠の中にファルスタッフが隠れているのを発見した召使いが俄かに信じられない時にポリポリと頭を掻くなど、そういった現代人に分かりやすい行動を端役までとっているのである。そうすることによって、たとえ設定がどうであったって、舞台が過去の芸術から現代の楽しみに変わっているのである。

特に第2幕第2場で、召使いの一人だけ、籠の中のファルスタッフに気づかせる演出は、絶妙なアイデアで、一級の冴えた処理である。この作品を知り尽くしている観客でさえ、感心させて唸らせるには十分である。実際、幕が閉じた途端、隣の席の人は「おもしろい!」と漏らしていたし、後ろの席からは「ナイス・アイデア!」(外国人?)と声が聞こえてきた。私のように一度この演出を観て仕掛けを知っていても、観とれてしまう。

キャストは、アラン・タイタス(ファルスタッフ)、ヴォルフガング・ブレンデル(フォード)、カラン・アームストロング(クイックリー夫人)と、ドイツ・オペラ系でヴェルディのイメージがない人ばかりだけど、皆それぞれうまい。もしかしたら、音楽的にイタリア・オペラの雰囲気を排しているだけ、シェークスピア喜劇としてのおもしろさが強くなっているのだろうか。アリーチェのセレーナ・ファルノッキアだけがドイツ系「ファルスタッフ」の中では異質であって、言ってみればアリーチェだけが本来的なキャスティングかもしれない。ただ、まだ若くて、見た目にも娘が結婚するような齢にはみえない。(最近「ファルスタッフ」観たり聴いたりすると、アリーチェって実はおばさんなのであって、そういう年代の登場人物たちがときめく話だということが、妙に気になる。)日本人キャストのなかでは、ナンネッタの中村理恵が、舞台によく合っていた。

指揮(ダン・エッティンガー)も、初演時と同じ。前回は多少、緩急のつけ方に気になるところあったが、今回は(聴き慣れたせいか)良くなっていて、作品に合ってきている。再演でオケとの安定感も出てきていることも一因かもしれない。

それにしても、3年前の初演時に比べ、幕切れのフーガに少しだけ聴き入るようになったのは、それだけ自分自身が境地に近づきつつあるということなのだろう。

(2007年6月13日 新国立劇場)

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