国立オペラカンパニー青いサカナ団「アゲハの恋」
ここ最近の神田慶一の作品(「桜の樹の下で」「あさくさ天使」)に比べると、こじんまりとした、まとまりのある作品。突然時代が飛んだりすることもなく、社会背景も前面に出てきていない。時代設定も、現代ではあるが、特定していない。
初演なので、ごく簡単にストーリーを説明すると、ギタリストであり作曲もする青年ケンジが、子どもたちに捕らえられた蝶を助けたところ、その蝶がアゲハという名の少女として現れ、ケンジと恋人になるが、まもなく去っていくというもの。物語としては、「夕鶴」と同じ化身譚だが、女が去るのは、男の気持ちに変化が生じたというよりも、蝶という短い寿命のためである。(表現的には、アゲハの自己犠牲という形をとっているが、短い運命であることは、当初から二人には分かっていた。)全体に、二人の短い恋として、叙情的にまとめられている。切なさは、「ボエーム」的である。ただ、少し叙情に流れたままで通しきった感じがして、アゲハの精神性や、ケンジの芸術性などへの踏み込みが足りなく、感動して涙を流したものの、「桜の樹の下で」のような「読後感」には多少欠ける。その分、長年にわたる再演には耐えられる作品だとも感じた。
音楽は、神田作品にはおなじみの、伝統的なオペラから広く現代までの間の音楽を適宜混ぜ合わせながら作る、違和感の無い、聴きやすいもの。オーケストレーションもよくできている。
そして、このオペラでは、物語そして音楽の根幹となる「アゲハの唄」が、全曲中3回歌われるが、1回目はギターとフルートの伴奏によるケンジだけでの荒削りでぎこちない即興曲、2回目はアゲハとケンジによるしっとりとした愛の二重唱、3回目は児童合唱に導かれての壮大なフィナーレの大合唱と、同じ歌を繰り返すことで音楽の面での盛り上がりを見せる。
また、役柄としては物語に大きなかかわりがない歌姫ルビーに、1幕と2幕にそれぞれ立派なソロが置かれているが、これはぜひ青いサカナ団の公演に出たかったという蔵野蘭子のために、見せ場を作ったためではないだろうか、と勘繰ってしまう。もしそうなら、作曲家が大物歌手の希望でアリアを作曲していた時代の作品のようでおもしろい。もっとも、この作品での音楽の流れからいうと、決して悪い処置ではなく、最初から予定していたものかもしれない。特に2幕の長いアリアは、物語のクライマックス直前の間奏曲の効果もあり、いい感じがする。
そのほか、作曲上の工夫では、バーの場面に転換した直後、カウンターの上に置かれたミニコンポから乾いた音楽が聞こえていたのだが、その音楽をオケがごく自然にしっとりと引き継いでいって、とてもおもしろい処置であった。
キャストは、特定の団体にとらわれず、役柄にふさわしい人材を集めてきただけあって、歌も良ければ、演技も芝居を観ているように、役にはまっていた。特に、アゲハの角野圭奈子は、多分初めて聴いたが、蝶の化身にふさわしい、とても不思議な雰囲気を出していた。それも、高雅だとか、妖艶だとか、薄幸だとか、可憐だとか、そんな不思議さではなく、どんな場面でも白い歯を見せて微笑んでいる不思議ちゃんの雰囲気なのだ。なんとなく絶望感は感じさせないが、現実感も無い。この役を創唱するには、これ以外にないようなキャスティングである。
演出は、作曲者本人(台本も)なので、作品の意図がストレートに表現されている。新国立劇場の舞台機構を生かしての上演は、小劇場ながら、深みのある舞台を作っていた。場面転換で舞台を上下させるときの機械音は、伝統的なオペラであれば耳障りなところを、こういう作品では逆に街の雑踏の音につなげてしまっていて、違和感がない。
(2007年8月25日 新国立劇場小劇場)