日生劇場「マクロプロス家の事」

このオペラについての私の知識は、主人公が337歳の女性だということ程度しかなく、その設定はそれで興味のあるところではあるが、果たして、音楽も物語もそれほどおもしろいものなのか、上演頻度が少ないということは、やはりツウ好みであって、聴いていて多少つらいものがあるのではないか、私は公演鑑賞にあたってそういうおそれを抱いていた。いっそのこと、20世紀以降の作品に対するアルミンクの指揮について、私はひそかに人一倍評価しているつもりであるから、指揮とオケを今回の鑑賞のメインにしようか、と考えていた。

もっとも、こういう作品であれば、公演に来ている観客の大部分は、私と同程度か、あるいはもう少し詳しくストーリーや音楽を知っているぐらいで、この作品について聴き込んでいる人はそう多くないと思われる。そういう状況を踏まえてなのかどうなのか、今回の公演は作品本来の魅力を引き立てるとてもよくできた舞台であったと思う。あまりなじみのない音楽と、複雑な人物関係に突拍子もないオチがついているストーリーを持っているこの作品を、これほど上演の質を維持しながら分かりやすく感動的な舞台にすることはなかなかできないことである。

上演にかかわるあらゆる要素が良かったのだと思うが、まずは、日本では舞台上演が珍しい作品だということから、奇を衒わない正攻法の演出(鈴木敬介)が、理解を助け作品のおもしろさを十分に引き出していた。ストーリーの流れに沿いながらも、単なる物語の解説的なものにとどまらず、人物の心情も引き立てる演出であった。作品自体が奇を衒った物語であるだけに、オーソドックスな演出であっても一風変わった雰囲気の舞台になるし、おまけに主人公が337歳であれば、仮に時代設定を変えたりしても意味なんて無さそうである。(それでも最近のドイツでは、この作品でさえ時代を変えてしまっているようだが。)舞台セットも写実的で美しいものでありながら、微妙に斜めに設定しており、これも演出の方針によく合っていた。

キャストも、それぞれの登場人物の重要度は変わらなくて、端役なんてないような感じなのだが、いずれもきっちり自分の役にしていて、隙がなかった。特に女主人公EMの小山由美による幕切れの告白の歌唱は、この不可解な主人公の気持ちが垣間見られた気がしてきて、感動的でさえあった。

そして何より、私にとって今回の鑑賞のメインにしていた、クリスティアン・アルミンクの指揮(新日本フィル)が、今回の公演を音楽面でしっかり支えていて、成功の大きな要因であったと思う。アルミンクは、モーツァルトやロマン派の作品では少々平凡な音楽に聴こえるのだが、20世紀から同時代の(特にウィーンの)作品については、1曲1曲の思い入れが強く感動的な演奏を聴かせてくれる。ヤナーチェクの場合は、ウィーンよりもちょっと土臭いモラヴィアであるので、アルミンクの洗練された指揮にどれだけあうのだろうかという興味があったのだが、程よくまとめられていて、とてもセンスのいい響きになっていた。

たとえば二期会のような邦人団体で、こういうちょっと変わった珍しい作品を上演すると、鑑賞後も一般的な観客の作品自体へのウケはイマイチだったりするのだが、今回は周囲の様子からすると、結構物語が理解できて(解釈まで至らずとも)満足している人が多いようであった。色恋沙汰もなければ権力闘争もない作品であり、喜劇にでも転びそうな内容でありながら、感動的な幕切れとなったのは、上演の質の良さもあるが、作品自体に現代社会に通じる個人の生き方への提起が内包されているからだろうと感じた。

2008年11月24日 日生劇場)

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