新国立劇場「ドン・ジョヴァンニ」
今回の演出(グリシャ・アサガロフ)では、舞台をセビリアからヴェネツィアに移していた。そして時代は18世紀末と特定させている。私のヨーロッパ文化史に対する素養の浅さでは、18世紀末ヴェネツィアに設定を移したことで、何か決定的なメッセージが発せられているのかどうかはよく分からなかった。確かによく知られた作品なので、セビリアが舞台である既知感が強く、ドン・ジョヴァンニがゴンドラで登場することに若干の驚きはあるものの、全体からみると(ゴンドラ以外、ヴェネツィアらしさが分からない私からみると)さほど大きな違和感はない。そもそも冒頭の場面やドン・ジョヴァンニの館の場面ではヴェネツィアの雰囲気があるとはいえ、それ以外では取り立ててヴェネツィアの雰囲気があるわけでもない(ように思われる)。だから、国際空港に舞台を変えているような奇怪な演出が幅を効かせている現代においては、十分にオーソドックスな演出だったともいえる。ただ、セビリアであれヴェネツィアであれ、こてこてしてリアリティのある装置ではなくて、すっきりとした感じのシンプルな装置になっている点は現代的であって、私好みの音楽が聴きやすくなる舞台であった。
舞台設定だけでなく物語の進行においても概してオーソドックスな運びで、石像も普通に登場すれば、ドン・ジョヴァンニも一般的な地獄に堕ちていっていた。人物の扱いもさほど突飛なことはなかったものの、エルヴィーラについていえば少し芯の弱い感じになっていて、追いかける「強い妻」然とした雰囲気がなかったのが気になった。1幕からオッターヴィオのジョヴァンニ追撃を阻止したり、地獄に堕ちた後も彼の遺品のマントにすがったりしていたし、レポレッロの変装が暴露したときなんかはアンナに気を遣ってもらってさえいた。(アンナとエルヴィーラの精神的強弱の逆転は、後述のキャストの配役(声質)による影響もあったと思う。)
指揮は、まだ30代のコンスタンティン・トリンクス。年齢と顔写真から勝手に想像して端正でホットな指揮ぶりかと思っていたが、意外にも少し固めのドライな演奏であった。そのため、途中で緩むこともなく、この作品特有の緊張が持続した。設定がヴェネツィアに変わっていることによるウェット感はないものの、結果としてシンプルな舞台には合っていたのではないだろうか。東京フィルも良く演奏していたと思う。
キャストでは、ドン・ジョヴァンニ(ルチオ・ガッロ)とドンナ・アンナ(エレーナ・モシュク)が一段上の安定感。幕開けの絡みの場面から圧倒されるほどであった。卑近な感想だが、この二人のアリアだけでも(私にしてみれば高額な)チケット代のもとをとったような気分になる。ドンナ・エルヴィーラ(アガ・ミコライ)が少し若い声であったのが、私自身のエルヴィーラ像とはミス・マッチで、戸惑った。モーツァルトには合っているきれいな声なのだが、ドン・ジョヴァンニにつきまとう大人の雰囲気の声ではなくて、どちらかというとパミーナのアリアを聴いているような錯覚にとらわれてしまう感じである。その分、アンナが堂々とした声と容姿であり、冷静沈着さを保っているようで、前述のとおりエルヴィーラを気遣う雰囲気さえあった。もっとも、このあたりはドンナ・アンナとドンナ・エルヴィーラの人物像そのものに対する個人的な先入観(理想像)に基づく感想になってしまっていると思われ、もっと突き詰めて感想を述べ始めると、私の女性観が垣間見られてしまう恐れがあるので、このあたりで終わりにする。
(2008年12月7日 新国立劇場)