英国ロイヤル・オペラ「マノン」
先月、この東京文化会館でトリノの「椿姫」を観たので、私としては珍しく外来団体が続いている。それも、演出がローラン・ペリーの舞台が続いている。(もうひとつ付け加えれば、ヒロインの相手役テノールもマシュー・ポレンザーニが続いている。)
そういうことで、ペリーの演出なのだが、今回の「マノン」も「椿姫」同様、簡素なセットで、おもしろみがない。ただし、立方体の固まりをたくさん散在させただけの「椿姫」のときに比べれば、5幕6場それぞれに具体的なシーンとなっているし、場面転換にも時間を要していたのだが、それでも何かを象徴的に扱っているのではなく、単に場面を簡素に表現しているだけのように見える。人物の表現についても、切り込んだ解釈が感じられないが、これは私の感性だけの問題だろうか。録画で観たペリーの演出の中には、おもしろいものもあるので、たまたまこの2作品についてだけ、このように感じたのかもしれない。
でも、ペリーのこれらの演出は、キャスト重視であるともいえる。特にヴィオレッタとかマノンなどの主役歌手の力量を率直に舞台に反映させることができる演出なのではないだろうか。アンナ・ネトレプコのマノンは、舞台を観る前からなんとなく想像できていたことなのだが、物語の人物像にぴったりな感じであった。こういう純情なのに奔放な役柄はネトレプコの本領だろう。しかもマノンの場合は、舞台上の物語の時間経過が長いから、各幕ごとの成長とか、その時点での状況とかがバラエティに富んでいるので、そのすべてにおいてしっくりくる歌と演技が楽しめて、おもしろかった。私は先ほど、この演出のセットについて、おもしろみがないと書いてしまったが、このようにヒロインの歌と演技をおもしろいと感じさせてしまうということは、それだけ余計な背景を取り除いた、意味のあるセットだったのかもしれない。今回は、マノンの衣裳もそれぞれの幕で変化していて、見応えがあったことも付け加えたくなる要素であった。
パッパーノの指揮は、このくらいか、との初印象。なんだかとてもすばらしい期待をしていたから、ふつうに良かったという感じだったのだが、これはおそらくマスネの音楽が指揮者によって劇的になるようなものとは違う性質だからなのかもしれない。それに、イギリスの渋いオケにマスネの軽さが表現できるのかということもある。ネトレプコを鑑賞のメインに考えると「マノン」は最適であるが、パッパーノの指揮をメインに期待するならほかの演目の方が良かったかもしれない。
(2010年9月11日 東京文化会館)