新国立劇場「マノン・レスコー」
ほぼ毎日、夢を見る。内容が興味深いので、大抵、覚醒してからも展開を振り返ることができる。今朝も夢を見たのだが、その内容はこのようなものであった。<私がどこかの家を訪れると、久しぶりに会う女の人がいた。どうも以前、彼女は私と特別仲の良い関係だったようだが、現在、その家にはその彼女と彼女が現在交際している男がいる。なぜだか、彼女はその愛人らしい男の元を離れ、これから私とどこかに行くらしい。旅行カバンに自分の荷物を詰め込んで、出ていく用意をしている。愛人らしい男は、案外おとなしく、ただ見ているだけ。よく見ると、私の背後には体格の大きい別の若い男が立っている。愛人らしい男は、その若い男が私の助っ人だと思って、おとなしくしているのだ。だから彼女も落ち着いて荷物をまとめている。>
気になる光景だったので、覚醒後もこの夢は何だろうと分析を楽しむ。私の過去のいくつかのシーンが複合されているようで、全く心当たりがないでもないが、決定打に欠ける。そもそも私+女性+男+別の男がひとつの部屋にいたことなんて、私の実際の経験にはない。考えても夢の元ネタが特定できないので、まあいいかと分析を打ち切り出勤した。
駅に行き、通勤電車に押し込まれて、いつものようにぼんやりする。週末にオペラを観たときなどは、1週間ほど通勤電車の中で公演を振り返って楽しめる。「今回の「マノン・レスコー」の舞台も楽しかった。特に第2幕はなんておもしろいのだろう。」などなどといったことを反すうする。ここでハッと思い当った。今朝の夢の、私+別れた彼女+彼女の愛人+私と彼女の助っ人という構成は、「マノン・レスコー」の第2幕ではないか。公演が楽しかったので、夢にまで見たのか。彼女の愛人が多少ジェロントとは違っておとなしくしていたが、また私もデ・グリューのように決然としていなかったが、彼女の雰囲気はマノンらしかった。そうすると、もうひとりの若い男は彼女の兄か。電車の中で夢の元ネタが明らかになり、すっきりしてきた。一方で、自分自身のリアルな経験からの引用もありそうなのだが、それはもういい。
私の夢の中では「マノン・レスコー」第2幕が現代日本に翻案されてしまっていたが、今回の新国立劇場の公演は基本的にはオリジナルの設定どおりになっていた(演出はジルベール・デフロ)。だから、分かりやすくおもしろい舞台であった。ただ、衣裳はきっちり作り込んでいるものの、舞台セットの方は最小限にシンプルに作ってあり、特に第3幕、第4幕は観客の予備知識と想像力がなければ、状況把握に戸惑うのではとも思われた。
ピエール・ジョルジョ・モランディ指揮の東京交響楽団は、抒情的なプッチーニではなく、若干ドライな味の演奏であったが、「マノン・レスコー」にはよく合っていたように感じた。
(2015年3月15日 新国立劇場)