新国立劇場「イェヌーファ」
白い箱状の部屋にテーブルと椅子だけの舞台。時々背後の壁が開いて屋外が現れ、そこが麦秋であったり雪景色であったり、各幕の進行を感じることができる。白い部屋の床も白い板張りで、全体的にスタイリッシュな田園地方の感じがする。(演出はクリストフ・ロイ。)
簡単に言えば白い箱の中で話が進むのであり、そのようなセットの中では人物の衣装と行動がとてもよく映えて見える。モラヴィアの村での出来事であることは承知しているのだが、なぜか親近感を覚える事件のように感じる。これはもちろん作品自体が含んでいる本質なのだろうけど、舞台セットと衣装、演出によって、そのことがより一層強く実感できる。各幕とも、人物の言動がストンと理解できる。オペラではよくある、登場人物の言動が現実離れして理解できない、ということが一切ない。
幕切れは、イェヌーファがラツァに手をサッと差し出して、ラツァはそれに驚きながらもその手を握り、後ろ姿で二人がゆっくり去っていく演出であった。これを見て思い出したのが、2004年の東京二期会の「イェヌーファ」の舞台(ウィリー・デッカー演出)である。その演出では、後方から白い大きな壁が前面に押し迫り、イェヌーファとラツァがそれに圧倒されながらも前向きにピット際まで出てきて、現実はともかく二人の心の中は希望に満ちていることが感じられていて、今回とはまた違った幕切れであった。今回の場合は、イェヌーファの予想通り苦渋の前途が待ち構えていて、それと共に歩むことを決心しているラツァ、というような感じである。そうするしかなかった二人であるが、見ていて重苦しい気持ちにさせられて終わってしまった。作品本来は、音楽から考えてもデッカーの演出が正当だと思うが、ロイの演出も現実的な結果だと思える。いずれの演出であっても、感動以前に考えさせられてしまうオペラである。
各キャストのすばらしさまで列挙していてはキリがないが、指揮も含めて緊張感が途切れない演奏であった。鑑賞前日は東京ディズニーランドで開園から閉園まで遊び尽くしたへとへとのワーストコンディションで鑑賞に臨みながら、眠気なんてまったく寄り付かなかった。例証が卑近で情けないのだが、それほどすばらしい演奏であった。
なお、イェヌーファの義母であるコステルニチカも、祖母であるブリヤ女主人も見た目が若かった。これはキャスト本人ということではなく、衣装や演出がそうなっている。義母はイェヌーファの姉のようで、祖母が母のようであった。これはこれで、こういう身内もありそうな感じがした。