横須賀芸術劇場「魔笛」
いきなりサラリーマン風の男がチンピラ風の3人組みに襲われながら登場し、娼婦風の3人の女性に助けられるという、一体舞台上で何が起こったのか理解するのに時間がかかる幕開けだった。あっけにとられたが、すぐに「これは初めておもしろい演出の『魔笛』に出会えるかも」という期待に変わり、身を乗り出して舞台に注目した。
ところが、全然おもしろい演出なんかではなかった。ただ単に、舞台設定を現代の横須賀に変えているだけであって、演出の意図は全く読めなかった。現代に置き換えることで何を訴えたいのかがいまひとつ不明確。私は舞台設定を変える演出というのは好きな方なのだが、変えることによって何か強烈なメッセージが読み取れないと意味が無いと思っている。クプファーなんかだと、まず最初に訴えたいことがあって、その具象化として舞台設定が現代になったり未来になったり元のままだったりとなっているのだ。
もし、問題提起ではなく単なるおもしろさだけのために時代と場所を変えるのであっても、例えばミラーの「リゴレット」のようにセンスの良さと徹底さがあれば、それはそれでおもしろい舞台になると思う。ところがそれもなかった。何よりも先に「現代の横須賀」があるので、あとからアイデアをくっつけていったみたいだ。特に「魔笛」は場面転換とエピソードが多いので、最初から最後までセンス良く徹底するには相当の知恵がいる。だからとってつけたような場面は見ていて吹き出しそうになった。書くほどのものでもないが、水の試練の場面はタミーノとパミーナが水のたっぷり入ったマンホールの中に入っていったり、パパゲーノの自殺未遂の場面は赤信号の横断歩道に飛び出してみたりと、あまりの演出に私は腹痛をもよおしてしまった。
一方、音楽的にはとても良かった。演出のせいで3人の童子が児童合唱になったりしていたが、日本人だけのキャストでこれだけ不満がないのも珍しいくらい。しかも実力のある若手が多く、とても楽しかった。佐竹由美の夜の女王も安心して聴いていられた。関西歌劇団から井原秀人、関西二期会から松本薫平、藤原道代らが出演していたのも関西のものとしては嬉しかった。指揮は飯森範親に東京交響楽団。
休憩を入れて4時間という異常な長さで、終演は午後10時。その後1時間ほどお茶をするともう夜11時。こんな時刻に横須賀にいて、はるか千葉まで帰ろうなんてことは、少々無理があることがわかった。
(8月7日 よこすか芸術劇場)
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