新国立歌劇場「蝶々夫人」

 今年に入ってからでも3回目の「蝶々夫人」だし、前回(昨年4月)も新国立劇場で観た舞台の再演だし、佐藤ひさらさんの蝶々さんも何度も聴いているし、どのような「蝶々夫人」になるのかは家を出る時から大方わかっていた。演出にも佐藤ひさらさんの歌声にも今更驚くことはない。ましてや「蝶々夫人」の音楽もストーリーも熟知しているつもりだ。この状況下において私は初心者ではないはずだ。冷静に音楽鑑賞できるはずだ。それなのにどうして、泣いてしまったのだろう。「ここで子供が駆けてくると泣くんだよなあ」と知っていてわかっていながら実際に子供が駆けてくると泣いてしまう。2幕でピンカートンがケートを連れて再び現れたころから、私は全神経が舞台に集中してしまい、新国立劇場にいることさえ忘却してしまっていた。確かに神経のうちの何本かは時々周囲の客が気になり、涙が止まらなくどこかの駅前でもらったポケットティッシュでしきりに目を押さえる右隣のお姉様だとか、鼻を押さえてごまかし涙を落とすまいとふんばっている左隣の紳士だとかの存在には気がついた。でも結末に向かって舞台が進むうちにそれらも目に入らなくなる。オペラを観ているという事実も超越して舞台に集中してしまう。ついに事切れて幕が下りだして、ハッとわれに返り新国立劇場の4階席に座っていたことを思い出す。私はオペラ公演を冷静に音楽鑑賞として楽しむことができないのかもしれない。オペラ鑑賞のプロにはなかなかなれるものではないと思った。

(12月26日 新国立劇場)

戻る