東京二期会「真夏の夜の夢」
木造アパートに住んでいると音楽を聴くにしても、隣や階下に音が漏れないようにボリュームに気をつかう。ただそうは言ってもある程度音量を大きくしないと楽しくないし、さすがに夜はヘッドホンを使うにしても昼間はスピーカーで聴いてみたい。私が普段聴くCDはオーケストラ曲を中心にしたクラシックがほとんどなので、微量に他所へ漏れる分には「ああ、隣はクラシックを聴くんだ。」ぐらいに思われるだけですむだろうと、勝手に考えて聴くことにしている。
メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」は私の好きな曲のひとつで、美しい曲や楽しい曲ばかりなのでいつも全曲を聴くのだが、途中に実用音楽になっている結婚行進曲がある。しかもなぜかその部分は音が大きいので、ボリュームは上げていないのに、部屋中激しく結婚行進曲が鳴り響くことになる。部屋の中だけ鳴り響くのならまだいいのだが、隣近所にまで大きく鳴り響いているのではないかと不安になる。そうすると「なんだ隣は!結婚式のマーチがかかってるぞ」と不審がられかねない。だからそっとボリュームを下げる。だけど今はマシな方で、学生の頃は通学時にウォークマンで「真夏の夜の夢」を聴いていたりしていたから、満員電車の中でヘッドホンから結婚行進曲が高らかに漏れている気味の悪い青年だったのである。
そういうわけで私の頭の中では「真夏の夜の夢」といえばメンデルスゾーンのメロディーが即座に共鳴するようになってしまっていて、初めて聴くブリテンの「真夏の夜の夢」はその音楽の性格が大きく違っていて最初はとまどった。しかしとまどっているのは私だけではないようで、客席は眠り出す人が結構いた。私の両隣も眠っている。確かに猛暑の真夏に空調の効いたホールに座って真っ暗になればただでさえ眠くなってくる。しかもブリテンの静かで美しい音楽が流れ、しかも「眠れ、眠れ、」などという歌詞が歌われればタイターニアでなく観客の方が眠くなってくる。おまけに各幕とも静かに閉じるので、拍手も小さい。
ブリテンのオペラを観るのはこれで4作品目になるので、私としてはとまどいはまもなく消え、「アルバート・ヘリング」との手法が似ているところなんかがわかったりしておもしろくなってきた。登場人物も多いのにキャストはすべて良くて満足。Bキャストなのに澤畑恵美や青戸知などなどを据えているところに二期会の幅広さが感じられる。
ただ、舞台装置をもう少し変化のあるものにしてもらいたかった。シェークスピア劇として観ているのではなく、オペラとして観ているのだから、こういった喜劇はわかりやすい舞台がいい。せめて森の雰囲気が欲しかった。
それと、原語か訳詞かは私はこだわらない方なのだが、今回については訳詞の方が断然おもしろかったのではないかと思われる。直前になって原語上演に切り替えたことは、芸術的完成度や我国オペラ史の実績としては意義があるのだろうけど、それと引き換えに作品本来の内包しているおもしろさは観客に伝わらなくなってしまったのではないかと思う。私を含めた観客のほとんどは「真夏の夜の夢」というオペラが楽しそうだと思って、チケット代を払って観ているのだから。このオペラは音楽で筋を理解したり、字幕で大意が分かったら楽しめるというような作品ではないと思う。なかにはオペラの訳詞上演なんて許せないと思う人もいたかもしれないが、この日の観客の大多数は訳詞であればもっと楽しくなって、眠る人も半減したと思う。(但し、Aキャストを観ていないので、この日の公演に限っての断定。)
(8月5日 オーチャードホール)
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