東京二期会「フィガロの結婚」

 東京二期会の公演の何がいいかといえば、託児付きなのがいい。新国立劇場やアルカイックホールなど、もっと他でも充実してもらいたいのだが、ようやく社会的認識ができてきたところだから、すぐには実現しそうになさそうである。

 今回の「フィガロ」は、意外と普通で、舞台装置の扱い方などには独自性があったものの、人物の動かし方もわかりやすく、びっくりすることはなかった。そういう舞台だったのだが、一点気になることがあった。

 「フィガロの結婚」は全編が充実して面白い作品なので、どの部分が一番好きかと問われると、みんなそれぞれ違うところをあげると思う。私が好きなところは、4幕のバラのアリアからスザンナとフィガロが仲直りするあたりである。この部分に、スザンナの魅力が凝縮されているように感じるのである。そもそも「フィガロ」の中で誰が一番中心かというと、これもみんなそれぞれとらえ方が違うかもしれないが、登場頻度からいえばスザンナである。2幕と4幕のフィナーレの一部を除いて、すべてのアンサンブルに参加しているのだから、中心人物といっても差し支えないと思う。そしてそれほど他の登場人物とかかわっているということは、それだけ賢く冷静に物語を進行させていることだと思う。そのスザンナがバラのアリアでは素直な心情を表して、そのあとの変装では簡単にフィガロに見破られてしまうのである。機知に富んでいるだけではないスザンナの魅力がこのあたりに匂うのである。

 このあたりの重要なポイントのひとつが、声だけでスザンナの変装がフィガロに分かってしまうということである。声だけで変装を見破るなんて当然のことのようだが、実はそれはむずかしいことではないかのかなと思う。やはり心に留めている好きな人の声だから見抜けたのではないか、私はそう思うのである。暗いところで変装して人をだまそうと思えばだませるものだと思う。現に伯爵は夫人とスザンナを取り違えている。ところが、この部分、今回の演出では、フィガロがスザンナの顔をしっかり見てしまって、スザンナの変装だと気づかしていた。フィガロが変装を見抜くことを、観客にすっきり分からせようとして、このような演出をしたのだろうけど、私はすっきりしない。やはり、ここにフィガロとスザンナの愛情の確かさがあるので、進行を分かりやすくするための目的でこういった処理にするとその愛情が伯爵夫妻と同程度のものになってしまう。

 気になったのはこの点ぐらいで、他はわかりやすい進行が効果的だったので、全体的にみれば満足したのだが、気になったところが私の好きなところであったものだから、ちょっと違和感を感じてしまった。些細なことですみません。演出は宮本亜門。

(2002年2月24日 東京文化会館)

戻る