新国立劇場「ウェルテル」

 よくよく考えてみると不倫ものの話なのに、どうして10代の頃に「若きウェルテルの悩み」読んでひどく感動したのだろう。「若きウェルテル」というぐらいだから、若者のうちに読むべき書物ではあると思うが。その時の感動がストレートでショッキングなものだったので、トルストイやスタンダールの長編のように、しばらくたってからもう一度読み返すというような気になれず、それっきり私はウェルテルに接することはなかった。ひどく感動した事実だけ覚えて、詳細はかなりぼやけてきていた。というより、どうして感動したのかムリして覚えておこうとはしなかった。

 本来ならこのまま人生終わっていたのだろうけど、マスネがオペラ化していたものだから、オペラ好きとしては、いつかどこかでもう一度ウェルテルと接することは不可避なことであった。私としてはマスネに「ウェルテル」があるのは知っていたが、音楽は知らない。ストーリーも、大まかなながれは原作と違わないだろうけど、細部やニュアンスがどうなのかも知らない。そういう、「久しぶりに接するウェルテル」と「初めて観るオペラ作品」という複雑な心持ちの状況で劇場に入った。

 マスネの「ウェルテル」も、確かに若い感情をもったウェルテルであった。こういう若い恋愛と死は、どうしても涙を流して泣いてしまう。ボエームと同じ感動の涙だ。仮面舞踏会での涙とは違う。まわりの客席でもすすり泣きが聞こえる。ワーグナーでもヴェルディでも泣く人は多いが、すすり泣きではない。こういうすすり泣きのオペラは、基本的に直情的なので、年齢には関係なく泣ける。むしろ、やはり若い時の方が泣きやすいかもしれない。(泣いたから若いというわけではない。)でも今回、オペラの「ウェルテル」で私の流した涙は、10代の時に本を読んで流した涙と全く同じ涙であったのだろうか。原作とオペラの違いがあるからか、私の加年によるものなのか、ちょっとだけ違うように思えた。

 公演はすばらしかった。キャストも舞台も満点だったが、東京交響楽団の演奏も良かった。フランスオペラの美しさが十分に響いていた。(指揮、アラン・ギンガル)それから、児童合唱が僅か7人で、全く聴き劣りしないのも驚いた。演技も自然で、日本の児童合唱も結構オペラに通用するものだ。

 それからもうひとつ、どうでもいい感想。マスネは「若きウェルテルの悩み」「マノン・レスコー」「シンデレラ」「ドン・キホーテ」と、名作を題材に選ぶなんて、手堅いなと思った。

(2002年3月2日 新国立劇場)

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