北九州の祭り(開催日)
福岡県指定無形民族文化財に指定され熊手須賀神社の祭礼として、藩政時代から行われている。黒崎祇園といえば、華やかな飾り山笠を思い浮かべるが、祭りの幕開けを告げるお汐井取りの行事だけは笹山笠で行われる。この笹山笠は、山笠の原形といわれ黒崎祇園の特徴である。お汐井とり後、笹山笠は飾り山笠に衣替えし、華麗で勇壮な祭りを繰り広げる。
戸畑祇園大山笠行事は、国指定重要無形民族文化財となっている。昼間の幡大山笠が夜になると提灯大山笠に姿を一変させるのが最大の特色である。享和2年(1802年)、筑前の国鳥旗村(現在の戸畑区)で疫病が広がり、大変苦しめられた。そこで村人たちが須賀大神に悪疫退散を祈願したところ、たちどころに治ったため、解願行事として山笠を作り、村中で祝ったのが戸畑祇園大山笠行事の始まりといわれている。
提灯大山笠は、309個の提灯を、高さ10m、12段に重ねたもので、重さは2.5tにもなる。その姿はまるで光のピラミッドで、そろいのハッピに鉢巻き姿の担ぎ手が「ヨイトサ、ヨイトサ」の掛け声とともに練り歩き、真夏の夜に光の軌跡を残していく。
飛幡八幡宮(2つの山笠がある)、菅原神社、中原八幡宮のそれぞれに山笠があり、それぞれの地区でも運行される。
八坂神社の夏祭で「無法松の一生」で有名な祇園太鼓に象徴される勇壮な祭り。
小倉祇園太鼓は、県指定無形民族文化財になっている。
小倉祇園も旧藩時代には、趣向を凝らした飾り物(山鉾、おどり屋台車など)があったが、明治以降は太鼓中心の祇園祭りとなった。ハイライトは何といっても太鼓競演会。山車を持つ町内単位100チーム以上が参加し、伝統の技術打法を競い合う。また、最終日は太鼓大広場で「あばれ打ち」や「みだれ打ち」が飛び交い、会場は熱気に包まれる。
五平太舟(当時、石炭運搬に使われた舟を地元の人はこう呼んだ)を思わせる形の山車が、区内をパレード。山車の周りでは、おとこ達によって樽太鼓が木槌で打ち鳴らされ、そのノリのいい五平太ばやしにあわせて、長襦袢に浴衣を短く着た女たちが踊る。また、約2000人のタイマツ行列が高塔山を登る「火祭り」は、まるで炎の大蛇のようだ。
「大里電照山笠」で打ち鳴らす大里太鼓は、奉納太鼓として遠く一千年前、戸上神社鎮座の頃から始まったとされています。
明治の中頃、太鼓の名人広光宮司が神殿で奉納する太鼓が人々の好感を呼び、春・秋の大祭りが盛んになりましたが、昭和の一時期とされていました。 昭和46年地元の人々の懐旧の情か郷土芸能として復活し、昭和61年から大里太鼓を乗せ、今日のように華やかに電照されるようになりました。
北九州市政25周年記念を契機に誕生した「わっしょい百万夏まつり」。まずは地元企業のパレードに始まり、次に北九州の代表的な祭りである小倉祇園太鼓や黒崎祇園山笠、大里電飾山笠、若松五平田ばやし、戸畑祇園山笠が、一挙に披露される。そして、北九州の夏まつり最後を飾るイベント”百万踊り”。会場となる小文字通りは、踊る人でびっしり埋まり、迫力満点。クライマックスに花火が上がる。ほかにも約5000人が参加する”いきいきパレード”などもあるビックな祭りだ。