第95回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ Vol.61
   〜ライプツィヒ1730〜40年代- I 〜  


2011/09/25  15:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
   2011/09/24 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第217回神戸松蔭チャペルコンサート)


オルガン前奏:M.プレトリウス《いざ、わが魂よ、頌めまつれ》
          J.S.バッハ《目覚めよ、と われらに呼ばわる物見らの声》BWV645 (Org:今井奈緒子)
J.S.バッハ/教会カンタータ 〔1730-40年代のカンタータ 1〕            
            《われら汝に感謝す、神よ、われら感謝す》 BWV 29 
〜休憩〜
             《主はわが信実なる牧者》 BWV 112
             《目覚めよ、と われらに呼ばわる物見らの声》 BWV 140


《出演メンバー》

指揮鈴木雅明

コーラス=独唱[コンチェルティスト])
  ソプラノハナ・ブラシコヴァ*、緋田芳江、藤崎美苗、松井亜希
  アルト  :ロビン・ブレイズ(CT)*、青木洋也、鈴木 環、高橋ちはる
  テノールゲルト・テュルク*、石川洋人、中嶋克彦、水越 啓
  バス   :ペーター・コーイ*、加耒 徹、佐々木直樹、藤井大輔

オーケストラ
  トランペットI/ホルンI:ジャン=フランソワ・マドゥフ、
  トランペットII/ホルンII:グレアム・ニコルソン、
  トランペットIII:斎藤秀範
  ティンパニ:菅原 淳
  オーボエI/オーボエ・ダモーレI:三宮正満、
  オーボエII/オーボエ・ダモーレII:前橋ゆかり[BWV 140, 112]、
  ターユ/オーボエIII:尾崎温子[BWV 140, 29]
  ヴァイオリン I :若松夏美(コンサートマスター)、荒木優子、竹嶋祐子
  ヴァイオリン II:高田あずみ、山内彩香、山口幸恵
  ヴィオラ:成田 寛、深沢美奈
  オルガン・オブリガート:鈴木優人[BWV 29]

 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木秀美  ヴィオローネ:今野 京  ファゴット:村上由紀子
  チェンバロ:鈴木優人  オルガン:今井奈緒子

(11/09/20、UP)


第95回定期演奏会 巻頭言 (BWV29、112、140)  

みなさま、ようこそおいで下さいました。
 「ブレーメンの音楽隊」で有名なブレーメン市は、ハンブルクと並んで、14世紀以来ハンザ同盟の重要な拠点として発展した歴史の町です。北海に注ぐヴェーザー川をはさんだ北東の岸には街の中心マルクト広場があり、その周りに聖ペテロ(ドーム)教会Dom St.Petriと古色蒼然たる市庁舎Rathaus、向かい側にはシュッティングSchuttingと呼ばれる歴史的な商工会議所などが、重厚な歴史の輝きを放っています。さらに、州議会議事堂と、コンサート会場として有名なグロッケDie Glockeが斜めに向かい合い、市庁舎の後ろには、聖母教会Unser Liebe Frau Kircheが控えて、まさしく、ブレーメンの政治・経済・文化のすべてが、このマルクト広場を中心に動いていることがわかります。
 特に、ブレーメンの市庁舎は、市の独立の象徴でもあるローランド像とともに、世界遺産に登録されており、絢爛豪華なボールルームや吹き抜けの天井には、歴史的な船の模型と巨大なくじらの顎の骨が飾られて、海の男達がブレーメンの歴史を担ってきたことを如実に物語っています。また地下レストラン”ラーツケラーRatskeller”の奥には、有名なワイン倉があり、目を見張るような巨大なワイン樽が静かに横たわっています。19世紀初頭にナポレオンがこの町を占拠したとき、まずいちばんにこのワイン倉を押さえた、と言われているくらいですから、当時からその存在がフランスにまで知れ渡っていたに違いありません。

 この町では、毎年8月の終わりから9月の始めにかけて、ブレーメン音楽祭Musikfest Bremenが行われ、世界中から様々な音楽家が訪れます。私たちBCJは、去年に引き続いてこの音楽祭に出演し、今年は3回のコンサートを行いました。
この音楽祭の音楽監督は、バロックヴァイオリン奏者でもあるトーマス・アルバート氏です。彼が99年に初めてBCJを招待して下さったことから、この音楽祭とのつながりが始まりました。彼は当時から、何とか、この地方の大きな特長であるオルガン文化を、この音楽祭に取り入れられないかと、様々な議論と試行錯誤を繰り返してきました。
 ブレーメンの北方に広がるオスト・フリースラント地方やクックスハーフェンの周辺、またハンブルクやリューベック周辺には、17世紀の巨匠シュニットガーの手によるものを中心に、数限りない貴重なオルガンがあり、その多くが、ハラルド・フォーゲルを中心とする専門家の粘り強い研究と、銀行などの理解ある資金援助のお陰で、今や誠に美しく修復されて、夢のような輝きを取り戻しています。しかし、オルガン文化は、やはり何と言ってもキリスト教の教会に属するものであり、一般的なクラシック音楽界とはどうしても遊離してしまうので、それらを、このブレーメン音楽祭の中に取り入れて、その価値を再認識しようとしているのです。
 そして、ついに昨年から、ブレーメン音楽祭の中の音楽祭として、「シュニットガー・フェスティヴァル」というものが設置され、歴史的オルガンを用いた一連のコンサートと、講習会やコンクールが、ブレーメン音楽祭の傘下で始まりました。その際、特に重要なことは、オルガンが、単にソロの楽器としてだけではなく、17〜18世紀のオルガニスト達が皆そうしたように、アンサンブルの中心としても用いられる、ということです。ブクステフーデであれ、J.S.バッハであれ、また17世紀北ドイツ・オルガン楽派のすべての作曲家が、オルガン独奏曲とは別に、その同じ教会の大オルガンを同時に使うことを想定したアンサンブルの音楽を残しています。そのアンサンブル音楽は、まさに宗教改革の際ルターが制定したコラールに基づくカンタータやコンチェルトであり、それこそが、「オルガニストの音楽」Organisten-Musikと呼ばれるコラールの最も重要な発展形態なのです。J.S.バッハのカンタータもまた、そのひとつに他なりません。
 私たちは、トーマス・アルバート氏の意向を受けて、昨年クックスハーフェン郊外のアルテンブルッフで、クラップマイヤーの建造による大オルガンを用いて、ブクステフーデのカンタータを演奏しました。そのすばらしさに奏者も聴衆も圧倒されたので、今年は、ブレーメン郊外のガンデルケゼーと呼ばれる小さな村で、いよいよJ.S.バッハのカンタータにこの方法で挑戦しよう、ということになりました。
 ブレーメンから車で30分ほどの郊外にあるガンデルケゼーの聖チプリアヌス・コルネリウス教会には、1699年のシュニットガーが、ハイコ・ローレンツという地元のオルガン建造家によって、美しく修復されています。このオルガンは、シュニットガーとしてはやや小振りのもので、2段鍵盤とペダル、全部で22ストップしかありません。しかし、その音色は、ほぼミーントーンの調律法と相まって、シュナイデント(切り裂くような)と表現される鋭角的で透明なミクスチャーと、歌うようなプリンツィパル、そしてまろやかで弾むようなフルートが絶妙なコンビネーションを作っており、聞き飽きることがありません。
 BCJのオーケストラと合唱が、このオルガンと共演するためには、ピッチと調律法をこれにあわせなければなりませんので、実際に私自身が5月にこの場所を訪れ、さらにオルガンのソロとコンティヌオを担当する鈴木優人にも、あらかじめガンデルケゼーを訪ねてもらい、詳しい調律法を一音一音測定しておきました。オルガンは、通常の私たちのピッチより全音高いコアトーン(この場合はa’=約460)なので、J.S.バッハもそうしたように、全音低く移調して演奏しなければならないのですが、その際、調律法が長3度が純正に近いミーントーンですので、作品の調性は慎重に選ばなければなりません。
 ちょうど8月の終わりがライプツィヒ市参事会交代式の時期にあたり、そのためのカンタータ第120番と第29番が時宜にも適い、かつ両者ともニ長調を中心とする調性なので、これらを選ぶことにしました。ニ長調は、コア・トーンのオルガンではハ長調で演奏でき、そうすれば、トランペットの音程とも原理的には極めてよく合致するはずですので、絶妙のプログラムだと考えたのです。
 このように慎重に準備したつもりでしたが、やはり大オルガンとのアンサンブルは、決して一筋縄ではいきません。オルガンバルコニーの下の階のバルコニーに、オーケストラと合唱が並んだのですが、右側のバルコニーに陣取るトランペット群と、左側のバルコニーに広がっている弦楽器群が、その距離のためにどうしても合わないのです。何度もリハーサルを重ねてコンサートは何とか無事に終わりましたが、私としては、くたくたに神経を消耗するコンサートでした。休憩時間にハラルド・フォーゲル氏に出会って、その難しさについて嘆くと、彼は、「それこそが、もっともオーセンティックな難しさだよ。バッハも同じだったんだ」と言って、励ましてくれました。確かに、J.S.バッハが演奏していたライプツィヒの聖トマス教会は、このガンデルケゼーより遙かに大きく、上下と左右のバルコニー間も、もっともっと離れていたはずです。しかも、ガンデルケゼーに比べれば、聖トマス教会の響きはずっと豊かであり、必然的にアンサンブルは何倍も難しかったに違いありません。
 そう考えてみれば、今回の実験的コンサートは、成功だったのかもしれません。実際、左側のバルコニーの角に立っていた私の位置からは、聴衆にとってどの程度の精度でアンサンブルが聞こえているのか全くわからず、また座席の位置によっても、その聞こえ方は大きく違ったはずです。しかし、大オルガンのソロとコンティヌオの効果は絶大で、プログラムが進むにつれて、聴衆の興奮が直接伝わってきました。
 コンサートがすべて終了した後、ハラルド・フォーゲル氏が、どうしてもみんなに話したいことがある、と仰るので、オーケストラと合唱団に彼を紹介しました。フォーゲル氏は、既に70年代からこの地域の歴史的オルガンの修復活動や演奏家の教育にあたり、北ドイツオルガンアカデミーや多くのオルガンツアーを主催して、私たちも大いに薫陶を受けました。いわば「オルガンのお父さん」のような方なのです。
 彼は、実に今から48年前、聖歌隊員として初めて日本を訪れ、若きドイツ人として、自らの音楽の父とも言うべきJ.S.バッハの音楽を、遠い異国である日本にも伝えよう、というミッションとしての自覚のもとに、モテットやカンタータなどを各地で演奏したそうです。
 「半世紀後の今、君たちは、それに倍する果実を携えて、今度は日本からドイツにやってきてJ.S.バッハを、こんなにも素晴らしく演奏してくれた。これに優る感動があるだろうか。ほんとうに、ありがとう。」彼は、目に涙を浮かべて、私にも、ありがとう、という言葉を残して、家路につかれました。

 この半世紀の間、日本の音楽事情は大きく変わりました。今や、J.S.バッハの音楽が、国境を軽々と超えて行くことは、今さら語るまでもありませんが、それとともに、その音楽が、世代から世代へ受け継がれていることにも、フォーゲル氏は感動されたのでしょう。
 このコンサートでオルガンを弾いた鈴木優人は、子供の時からフォーゲル氏のオルガンツアーに参加してきたので、彼から見ればいわば孫のような存在です。が、私たちのアンサンブルの中には、その同じ世代が数多く共演しています。そのようにして、J.S.バッハの音楽は、空間も時間をも軽々と飛び越えていくことが、今回のツアーによって、改めて証明されました。
 何世代にもわたって受け継がれてきたブレーメンのマルクト広場が、世界遺産に登録されているならば、このJ.S.バッハの音楽をも、そろそろ世界遺産に登録するべきなのではないでしょうか。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明

(10/09/23:資料提供・BCJ事務局)


【コメント】

VIVA! BCJに戻る

これまでの演奏会記録に戻る