第101回定期 受難節コンサート2013
 J.S.バッハ/ヨハネ受難曲  


2013/03/29  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
   2013/03/30 16:00 埼玉:彩の国さいたま芸術劇場・音楽ホール


J.S.バッハ/ヨハネ受難曲 BWV245 〔NBA稿〕 


《出演メンバー》

指揮鈴木雅明

コーラス=独唱[コンチェルティスト])
  ソプラノジョアン・ラン*、澤江 衣里、緋田 芳江、松井 亜希(下女)
  アルト  :青木 洋也(CT)*、鈴木 環、高橋 ちはる、布施 奈緒子
  テノール:石川 洋人、谷口 洋介、藤井 雄介、水越 啓(下役、僕)
  バス   :ドミニク・ヴェルナー*、浦野 智行(ピラト)、佐々木 直樹、藤井 大輔(ペテロ)

オーケストラ
  フラウト・トラヴェルソ:菅 きよみ(I)、前田りり子(II)
  オーボエ/オーボエ・ダ・カッチャ:三宮正満(I、オーボエ・ダモーレ)、尾崎温子(II)
  ヴァイオリン I:若松 夏美(コンサートマスター)、パウル・エレラ、竹嶋 祐子
  ヴァイオリンII:高田 あずみ、荒木 優子、山内 彩香
  ヴィオラ:成田 寛、長岡 聡季
  ヴィオラ・ダモーレ:若松 夏美(I)、高田 あずみ(II)
  ヴィオラ・ダ・ガンバ:武澤 秀平
  リュート:野入 志津子

 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木秀美、武澤 秀平  ヴィオローネ:今野 京  ファゴット:村上由紀子
  チェンバロ:鈴木優人  オルガン:今井奈緒子

(BCJ事務提供のデータによる:13/03/29更新)


バッハ音楽の中でも最も劇的かつ透明感あふれる「ヨハネ受難曲」。今回の受難節コンサートでは、十年ぶりに実現した世界的エヴァンゲリスト・テュルクとの共演で、また久々にリュートやヴィオラ・ダモーレも用いた編成でお届けいたします。一期一会の機会をどうぞお聴き逃しなく。

(チラシ掲載文)


第101回定期演奏会 巻頭言 (BWV245)  

 バッハを愛する皆様、ようこそおいでくださいました。
先月の第100回定期演奏会をもって教会カンタータの全曲演奏が完結したので、1年間くらいは隠遁して、じっくりとその思い出に浸っていたい、という気持ちがなかったわけではありません。しかし、現実にはそのようなことが許されるはずもなく、あの後すぐに渡米して、ニューヨークフィルと共演、そして震災のためのチャリティコンサートを含めて、合計6回のコンサートがちょうど終わったところです。
 今回は、ニューヨークフィルの音楽監督アラン・ギルバート氏のお招きで、BCJの合唱団のみが渡米し、J. S. バッハとメンデルスゾーンの作品を演奏しました。メンデルスゾーンの作品には、イェール大学スコラ・カントールムの合唱も加わって、見事なハーモニーを奏でてくれました。そして言う間でもなく、ニューヨークフィルの各メンバーの驚くべき技量の高さ、柔軟さ、そしてフレンドリーな対応のお陰で、共同作業は本当に楽しく、充実したものでした。
 今回の企画は、バッハフェスティヴァルのオープニングコンサートであったので、本来はJ. S.バッハの作品のみを取り上げるべき所でしたが、私は、どうしてもシンフォニーオーケストラでバッハのみを演奏することに抵抗があったので、シンフォニーオーケストラでなければできないようなプログラムを、と考えて、バッハとつながりの深いメンデルスゾーンの作品をもあわせて取り上げることを提案したのです。結局プログラムは、バッハのモテット《歌え、主に向い新しい歌を》で始まり、メンデルスゾーン13歳の作品《マニフィカト》と最晩年の未完の《クリストゥス》を経て、最後をバッハの《マニフィカト》で締めくくるという異例のプログラムでした。舞台上は、モテットをたった10人の器楽と合唱で演奏した直後に、通常の二管編成になるなど、編成を大きく変化させることになりましたが、こうしたことを受け入れてくれるところにも、ニューヨークフィルの柔軟さが表れているのだと思います。
 今回、私にとっての最大の収穫は、メンデルスゾーンの《クリストゥス》が演奏できたことです。この作品は、ついに未完のままに残されてしまったので、わずか20分弱しかありませんが、イエス・キリストの「誕生」と「受難」ふたつの部分に分かれ、後半の「受難」の部分は、事実上メンデルスゾーンの残した唯一の受難曲と言ってもよいでしょう。ご存じの通り、メンデルスゾーンはJ. S. バッハのマタイ受難曲を20歳の時に再演した人ですから、自ら受難曲を書いていても何も不思議はありません。しかし、彼の残した宗教作品は、多くが詩編に基づくものであり、受難のコラールに基づくカンタータはありますが、受難記事に基づく受難曲は残念ながら1曲もありません。
 この作品の第2部「受難」Das Leiden Christiでは、いきなりユダヤ人がピラトと対面する審判の部分から始まり、5つのトゥルバ(群衆)の合唱と短いレチタティーヴォが立て続けに演奏されます。これらのテクストは大半がルカによる福音書の受難記事から、プロイセンの外交官クリスティアン・フォン・ブンゼンという人の助けを借りて、メンデルスゾーン自身が構成したもののようですが、音楽的には、バッハの受難曲から大きく影響を受けています。特に、「十字架につけよ」と群衆が叫ぶところは、マタイ受難曲よりはヨハネ受難曲からの影響を受けているのではないか、個人的には思っています。というのは、異様なまでの不協和音を生み出す強烈な半音階進行、特にト音(G)と変イ音(As)のぶつかり合う不協和音は、ヨハネ受難曲の第1曲冒頭や第21曲dの群衆の叫び「十字架につけよ」をまざまざと彷彿させるからです。
 もっとも、J. S. バッハのヨハネ受難曲では、不協和音が単に半音がぶつかり合うだけではありません。第21曲dと第23曲dに表れる「十字架につけよ」の音型は、既に第1曲冒頭に表れています。第1曲は、弦楽器の激しいうねりに乗って、オーボエとフルートの、ニ音(D)と変ホ音(Es)、そしてト音(G)と変イ音(As)の強烈な不協和音で始まりますが、これは、それぞれ、すぐに第1声部が第2声部の下に回って大胆に交差することで十字架の音型を表すと同時に、不協和音が解決されるのです。十字架とは、即ち、神と人との不協和を解決する極限の方法であったのですから、十字架音型と共に不協和音が解決する、というこの冒頭ほどに、象徴的な音楽は滅多にありません。さらに言葉を添えれば、ヨハネ受難曲の構造と響きは、実にこの一点にかかっていると言っても過言ではありません。というのも、この十字架こそが、シンメトリーの基礎であり、J. S. バッハはこの受難曲において、全体の調性の構造、コラールの配置、また群衆の叫びの音楽など、あらゆる観点から執拗に幾重ものシンメトリー構造を実現しているからです。

 
 さて、バッハにおいては、意味深い構造や音型が、単に象徴的であるばかりではありません。「叫び」を象徴する不協和音は、実際に「叫び」として聞こえなければなりません。楽譜の通り演奏すれば不協和音になるのではなく、不協和音として叫ばなければ、不協和音の役目は果たせないのです。そうした不協和音こそが、私たちの罪を表現し、「十字架につけよ」という群衆の叫びが、私たちの中にある罪から出ていることを告白します。つまり、ここでユダヤ人の叫びを叫んでいるのは、私たち自身に他なりません。
 思えば、このトゥルバの叫びは、受難曲冒頭から既に聞こえていたのではないでしょうか。冒頭の三回にわたる「主よ、主よ、主よ」という叫びは、何を隠そう、前述のオーボエとフルートの十字架音型に乗っているので、この叫びは、あたかも私たち自身が、十字架の上から叫んでいるような構造になっているのです。聖書は、私たちは、本来ならば、自らの罪によって十字架につけられるべき存在であると教えます。それは、第22曲のコラールが告白するとおりです。そして、この受難曲は冒頭で、その罪深い我々が、自らの罪によって既に十字架につけられた状態を現出していると言ってもよいのです。つまり、合唱に象徴される私たち罪人の群れは、既に冒頭で、自分が十字架に架かるべき者であることを表現しているのです。
 受難曲の中の人称と時制は、甚だ錯綜しています。主イエスを否定したペテロは、バスによって歌われますが、その悔い改めを歌う第13曲アリアは、テノールによって歌われます。また、イエス・キリストを歌う歌い手は、合唱の中で「十字架につけよ」と叫んでいます。「十字架につけよ」と叫んだその同じ合唱が、信仰告白のコラールを次々と歌い、冒頭には「主よ」と叫ぶことは、何とも理解し難いことですが、この受難曲においては、同時に極めて自然なことでしょう。この構造によってこそ、聖書の中の罪深い登場人物は他ならぬ自分自身であり、イエスの十字架による救いは、自分に向かってなされたことが、余すところなく表現されているからです。
 言葉を変えれば、私たちが毎年受難曲を演奏するのは、聖書の言葉や教えを忘れないようにするためではありません。むしろその都度、私たちに救いが必要であること、自らが十字架につけられるべきであることを告白し、その都度、イエスの十字架によって、新たな救いが完成したことを、自分自身のこととして公に言い表すためなのです。
 ペテロは、3回主イエスを否定したとき、鶏の声と共に、自らの罪にはたと気がつきました。ですから、主イエスの復活の後、ペテロは、「主よ、あなたを愛します」と3回告白しなければなりませんでした(ヨハネ21:15)。そのような思いをこめて、冒頭の三度の叫びを、すべての時制を超えて完成された救いへの、私たちの信仰の告白として叫びたいと願っています。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明

(BCJ事務局提供の資料より:13/03/29UP)


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