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   ■ 四谷シモンさんとのトーク |
++2006/ 7/24(Mon)++
去る7月22日、多摩美術大学の「21世紀文化論」という講義に四谷シモンさんがゲスト講師に招かれ、私がそのお話を伺っていくという大役を担った。シモンさんは、その都度口からついて出てくる言葉が詩人のようで、かつ実作者でないと語れない、鋭く示唆に富んでいる言葉を沢山お持ちだ。だが、それは意識して出てくるものではないらしいということは、過去の取材やイベントを通して分かっていた。当日、シモンさんの口からどれだけの言葉を引き出すことができるか、それもできれば、そこで初めて発せられるような・・・。それだけを自分の課題として臨んだが、そのミッションの難度に最初は自分、コチコチであった。 だが、人形の世界を紹介するために用意した画像を見ながら話をしていくうちに、段々リラックスして、シモンさんの土俵が広がっていった。私も、素材のことや表現のモチベーションなど、自分でも知りたいことがあったから、シモンさんが軽く流そうとする回答にはしつこく食い下がり、後の打ち上げでは「しぶといんだもん」と愚痴られてしまった。以前、シモンさんから「しつこい」と言われることは誉め言葉だという人がいたので、そういうことにしておき、講義に立ち会った同校の教授、中沢新一氏をはじめ関係者の皆様に一応の評価をいただき、まずは無事に終わって良かったと、ほっとして飲んだビールの美味かったこと。 この時の講義録、9月発行の「人・形note」(DFJ47号)にて抜粋収録予定です。 |
   ■ マジックランタン |
++2005/11/28(Mon)++
12月4日まで、43号でもとりあげたノンク・プラッツで期待の新人、高水佳乃(たかみ・よしの)さんの展覧会を開催中。人形の玩具性、郷土人形の無名性、現代的な創作性が、うまく融合している。無上の楽しみに沿って素直に作っていくと、こういう魅力のある小さな世界ができあがるんだなあ、と感心する。44号でとりあげた「厠神」や、CMの「たらこキューピー」とも通じる愛らしさがある。気になる方は、ぜひノンク・プラッツまで見に来て下さいね。 |
   ■ 始まった |
++2005/10/30(Sun)++
と感じたのは私だけだったろうか。 昨日のニュースは、立て続けに厭な予感をもたらした。 自民党が、憲法第九条の改正案を明確に打ち出してきた。自衛隊を自衛軍として軍隊として認識するという。 その自民党は、郵政民営化に反対した50名の議員を除名、離党勧告の処分を決めた。 横須賀のキティホークは引退、代わりにアメリカから原子力空母がやってくる。 靖国神社参拝した小泉首相に対する韓国からの批判。 いつも見ているニュースの時間に、いっぺんにこれだけの内容が流れた。 私はいつでもノンポリでいたい一人で、特に支持政党を持たない浮動票層だ。白紙委任は厭だから投票には行くけど、ひとつの政党に投票し続けることはない。 自衛隊を軍隊とする自民党の憲法改正案については、先の総選挙の前にもニュースで流れていた。参議院で郵政民営化案が僅差で否決された頃だ。既に武装化している自衛隊の呼び方が変わるだけの問題とも言えるが、建前でも武装放棄を謳ってきた国家の姿勢が問われる重大事なのに、国民は自民党内のチャンバラ的活劇に関心を集中させた。特定郵便局の基盤背景に見た目もグレーな印象の抵抗勢力を相手にする小泉首相の芝居がかった決めぜりふは、いつも政治に関心を持たない人々にも分かりやすく響いた。私でさえ、小泉節を頼もしく思ったほどだ。 だが、この勢いで憲法改正という自民党の思惑に拍車をかけてはいけないと思った。 開票後、街頭インタビューで自民党に入れたけど、「勝ちすぎだね」とちょっと後悔するようなコメントを2,3聞いた。ちょっと、で済めばいいのだけど。 そのちょっとで連想するのが、原子力空母を迎える横須賀市民のコメント。3人の市民が街頭インタビューで答えていたが、どの人も「ちょっと心配」と言っていた。この関連では、「絶対安全」と「安全に絶対はない」と必ず水掛論になる。今のところ、国内の原子力事故もいくつかおこったが、死亡に至ったのは「ちょっと」で、被害の範囲も「ちょっと」だから、自分は作業員でもないしそこにいる確率は絶対的に少ないから、オーケーなのだろうか。 政府高官も、「原子力発電所のようなものだと理解してもらえれば有り難いです」なんて言ってたが、国民をなめた無神経な言い方だと思った。 50人の造反議員に対して厳しい勧告をした自民党の懲罰委員会(正式名称は忘れたが、そういう委員会)の中央に、女性議員二人がいたのは、印象的だった。確か、森山真弓議員と小野清子議員だ。何故、懲罰を宣告する象徴としての顔が、この二人だったのだろう。元法務大臣と元オリンピック体操選手。 先の総選挙で、無所属となった自民党議員の代わりに伏兵として突如として現れた、華麗なる経歴の自民党の新参議員たちがいた。私の地元でもアメリカ帰りの、経歴も印象も見た目のいい候補がトップで当選した。 自民党の中のことだから個人的にはどうでもいいという思いだが、民主党も含めてこの国の暮らしと頭の構造がアメリカに傾倒してくのが、気持ち悪い。 私は人形を通して、この国がいかに個性的な魅力と可能性を保持しているか、気づかされることが多い。 戦争の膠着状態を招いている米英主導のグローバリゼーションの行き詰まりだって、日本の文化にそれを突破するヒントが沢山あるのではないだろうか。 そういう意味でも、日本人であるということの見直しは本気でやってかなきゃならない。それを実践することは、靖国神社参拝や自民党政権を支持することとイコールではない。日本の人形の懐の深さを原点に考えていくと、今の日本の社会構造が、いかに自分たちの精神世界を小さく不自由な枠組みに閉じこめようとしているかが分かる。最終的には集団自殺に誘うかのように。これは大いなる歴史の視点から見れば、人口調節のための動物的本能? 話はとぶけど、45号49頁で、つじとしゆきさんが最近の若い人たちを「考えるように教育されていない」と言った発言に対して、読者からの感想で「考えないように教育されてきた」という応答を頂いた。 それもそうだし、私が最近すごく気になっているのは、みんな「怒らなくなった」ことだ。 日常的には怒っていることが一杯あるのに、その対象に対して、怒りをアピールしているだろうか。 怒りのエネルギーのやりとりが、国民的にすごく下手くそになってないだろうか。 叱る、叱られることを避けてないだろうか。 怒ることを、誰かヴァーチャルなヒーロー、例えばゲームやアニメのキャラクター、テレビに映る「はっきり物を言う」政治家に任せてしまってないだろうか。 そうやって自分の身体に直接響いてくる、感情のストレートなやりとりを避けてきたことのつけが、始まりつつあるのだと思う。 身体感覚。これから重要なキーワードになると思っている。 |
   ■ ジュリー・レスコー(1) |
++2005/10/24(Mon)++
しばらくテレビを見ない時期があった。忙しすぎて、見る時間がとれなかった。それから、ふっと時間がとれてテレビをつけてみるようになると、そういう時に限って、見る価値を感じないものばかりだった。こんなに私は見る回数が少ないのに、いつも同じようなタレントが出ていて、時間つぶしのようなジョークを言い、ケバケバのクローズアップと馬鹿笑いで間を持たせる。もしくは紙芝居のようなドラマ。チャンネルを回し、番組表を探りながら、自分にあった番組を探す根性もない。出たとこ勝負のものしか見るしかない私にとって、我が家に衛星放送が導入されてからは、地上波はスキップされるようになった。 最近、ヴィジュアル系の仕事をしているプロ数人とテレビの話をしたら、それぞれ地上波は見ていないという。やっぱり視聴者の「チャンネル化」は着々と進んでいるのだろう。 地上波に比べれば、衛星放送のチャンネル数は比べ物にならない。最初のうちは、珍しがってあれこれ観察していたが、一通りの観察が終わると、「出たとこ勝負」の私にとって、「とりあえず生ビール」的なチャンネルが3つくらいしかないことが分かった。その中のひとつ、「ミステリチャンネル」で、見るともなしに見ていたフランスのドラマが気になって、それが掛かっている時は、最後まで見るようになり、挙げ句には放送時間をきちんと調べて完璧に全部見るようになったのが、「ジュリー・レスコー」である。今では、見られない時はビデオに撮るほど、テレビに対して勤勉になってしまった。通りがかりに入った居酒屋が、時間をとっても行きつけるようになり、挙げ句には予約を取ってまでも出掛ける、という感じだ。 http://www.mystery.co.jp/guide.html 13年くらい続いたシリーズで、二人の娘を持つシングルマザーのジュリーが若く美しい時から、貫禄がついた熟年となるまで、子役も同じ役者で続けている。全64話中、もう58話まで来てしまった。毎週1話ずつ放送してるから、最終回ももうすぐ。 これが終わったら、他に行きつけはないから、また流れ者さ。 |
   ■ 深夜、人の川を見る |
++2005/ 9/17(Sat)++
愛知万博のパビリオン、夢見る山「めざめの方舟」の特別イベントで最上和子さんが小品「アイオーン」を上演した。その関わりで、私もリハーサル、本番と会場入りしたが、今まで見た最上さんの演目では最高の出来になったのではないかと思う。それにしても万博は、駆け込みで日々記録的な入場者数となっているそうだ。パビリオンは一日に一つしか見られないつもりで行かなければならないらしい。 会場下見打ち合わせを終えた深夜、誰もいない会場の暗がりを一同がとぼとぼと歩いていくと、明るくなった足元にいきなり列をなして通路に横たわる人々が出現。眼前の事実が掌握できず、疲れた頭に新手のダイインか何かの抗議ハンストか難民がワープしてきたかと、ある意味ショックのためにしょうもない推測がぐるぐるするが、「徹夜待ち」という語彙が浮かび、眼前の事実を了解させた。実際、一番前のおじさんたちは、会場ガイドを開いて作戦会議をしているし、川の字になって寝ちゃってる家族もいる。新たに列に加わる母が連れた幼子はパジャマのズボンをはいている・・。 一緒にいた人が、徹夜待ちって好きな人達っているんですよ、と説明してくれた。なるほど、ここにもプロの道あり。 申し訳ないが、私は今回の万博にはまったく関心がなく、企画立ち上げの頃に押井守監督から御案内が随時あったので、終わる頃に「めざめの方舟」をちょろっと見に行こうなんて考えていたが、甘かった。今回は関係者として入れて頂いたが、そのまま来れば整理券も予約完了で見ることができなかっただろう。 状況を了解済みのジモティは、多い人で40回、50回と通っているそうだ。うへー。それを教えてくれたタクシーの運転手さんに、因みに何回行ったんですか?と聞いたら「私は一回です」。それを聞いて、根拠もなく安心。 明け方近くに会場帰りの我々を乗せる運転手さんの方が、我々を何と思うか分からない。そういえば、そのまま列に並んで人気パビリオンを見る手もあったんだなあ。 |
   ■ 発行直後 |
++2005/ 9/11(Sun)++
45号の発送作業はほぼ完了、という状況となる。いつもながら、発行直後の数日間は、地に足がつかないようで落ち着かない。まず、校正の時に何度も目をこらしたのに見落とした誤植が、頁を開けた途端、一発で目に入るという恐ろしいジンクスがある。あのしなびたキュウリ(気持ちだけ)みたいにシオシオになっても何とか仕上げた脱稿時の自分を思うと、自分のことなのに同情してしまうという切ない気分。もちろん、気づいていないミスもあるから、今回はどんなミステリを孕んでいるだろう、とできたてホヤホヤ、ピカピカの最新号を見つめながら、過去のトラウマが魑魅魍魎のごとく一気に押し寄せる。でも、今回の特集のつじさんには何とか気に入って頂けたようでホッとする。実は編集しながら私も、プロレスの話で盛り上がる人形誌もいいなあと、DFJもやるじゃん、と、誰も言ってくれないから自画自賛。カチーナ人形の記事でも、可愛いからなんだけど、写真を見てはプッと吹き出してしまう人形もあった。 明日のジョーとはご近所だったつじさんは、自分にもアンチをたてるほどの人だから、いつカウンターがとんでくるかわからない。さすがに彼からは、悪口ふくめてリアクションがあるとおもしろいですね、とのこと。メールでも手紙でも思ったことを送って頂けたらありがたい。 今日は最上和子さんの去年のワークショップでメイクを担当した画家、マリー・ジョゼ・メドヴィエルさんの個展のオープニングに行った。最上和子さんもそこで舞踏の小品を披露した。マリーさんが荒いテキスタイルに着色を施した作品と最上さんの踊りの「色彩感」のようなものがよく調和していたと思う。 来週は最上さんは愛知万博の「めざめの方舟」の会場で踊ります。15日、16日の夜、2公演のみ。最上さんのサイトもチェックしてください。小川が呼び掛け人となったワークショップのアーカイブにもなってます。 http://nonc.jp/mogami/index.htm |
   ■ 45号がもうすぐ出ます |
++2005/ 9/ 6(Tue)++
絶賛休暇中と題したことをいいことに、一夏以上の時をあけての更新になってしまった。最近に至っては休暇どころではなく、45号の制作に追われて、世に言う夏休みは一日もとれなかった。つまり、春に「早夏休み」をとっただけなのかもしれない。いつもながら、制作の追い込みは本当に体に良くない。時に心臓が止まるかも、と思う。前回はそういう状況に、追い込み時期に作家の某Hさんと居酒屋に行ってから(飲みに行くのが悪い)、ノロウィルスらしき症状が出て〆切までの一週間、お粥生活だった。自分でもあの極限状況をよく耐えたと思う。それ以来、周囲に「痩せたね」と言われ、それはちょっといいかも、と思った。これを維持すべく、25年前の出産前のスタンダードを目標にジムに通い始めた。このジムでの観察メモリーは、興味深いことが多々あるのだがそれはさておき(人生に飽きたらだまされたつもりで一度、スポーツクラブの平日会員になってごらん)、多少は筋力アップしたはずなのに、体重と共にパワーも落ちたか、今回の追い込みの後も風邪をひき、約一週間ダウンした。今回から美大に通う娘が助っ人に入りかなり助かったのに、このダメージの大きさを考えると、自分のペースを見直さざるを得ない。 ということで、本誌でも告知させて頂きましたが、発行間隔を1年に2回、ということで、今後は制作に臨む所存です。間隔があく分、内容の充実をさらに図りたいと考えてます。DFJを支えてくださっている読者の皆様にご理解頂ければ幸いです。 |
   ■ 絶賛休暇中? |
++2005/ 4/28(Thu)++
講読会員の人には告知済だが、通常ならば6月に発行するペースのところを1回お休みさせて頂き、次号の45号は9月発行を予定している。6月には、展覧会情報の頁のみを会員の方に発送して、情報面をフォローする。創刊以来、年4回の発行ペースできたが、これが色々な意味で大変なので、思い切って休養をとることにした。 少し空白になるのもいいだろう、と休養期間に突入した矢先、ユリイカが人形特集をするからと執筆依頼があり、また別方面からも労力的には一日で終わるものだが心の準備が必要なとんでもない仕事の依頼があり、バカンス気分である春の日々が、なかなかに振り回され続けている。春の日とは、一見穏やかに見えながら気まぐれな突風や気温の変化で一筋縄でいかない。 とりあえず、ユリイカの原稿は無事に書き上げ、今週から店頭に並んだ最新号に掲載されている。最近考え続けていることを1万字ほどの原稿にまとめた。DFJにも、こんなに長く自分の論考を載せたことはないので、いい機会だったと思う。ベルメールのテーマで、榊山裕子さんや、井桁裕子論で藤田博史氏、イノセンスからの絡みで押井守監督も顔を出している。 特集のタイトルで人形愛をテーマに謳っているから仕方ないが、私の文では、人形愛以前の人形観を基点に現在の人形の状況を見て考えることに力を入れた。この原稿を書き終えてから、次へ、次へと考えるべきことが開かれていく感じがする。精神の自由を考える時、人形とは本当に面白い媒体としてヒントを与え続けてくれるものだと再認識した。 日本に生まれながら、人形を人形愛以降の概念だけで捉えてしまうのは、勿体ないことだと思う。 |
   ■ coppers早川展 開催中 |
++2005/ 4/19(Tue)++
制作開始から僅か4年あまりの間に、躍進的な活躍ぶりを見せる銅造形の早川父子のユニット、coppers早川の東京での2度目の個展を、ノンク・プラッツで開催中。彼等も、DFJとのつきあいで人形にはまったく関心がなかったのが、ひとがたの造形に興味を抱くようになったという心境の変化が見られる展示だ。押井監督との縁で制作したバセットハウンド(球体関節人形展に出品)と、霊羯(リョウケツ、愛知万博の「めざめの方舟」のファサード)のふたつの作品を契機に、飛躍的に技術と表現の可能性を広げつつある。 本日は、「めざめの方舟」をプロデュースしたデイズの久保社長と共に押井監督も来廊、早川父子との再会で霊羯のメイキング・ストーリーに花が咲いた。 不思議な銅の生命体、銅人形展は、24日まで開催中。 |
   ■ DFJ44号発行 |
++2005/ 3/11(Fri)++
44号は、DFJとして初めて古人形の世界を特集に取り上げた。古人形の本なら、他にも専門的なものがいくらでも出ている。では、現代創作人形の情報誌を名乗るDFJがどうして古人形を特集するのか。その狙いをダイレクトに伝えるビジュアルが欲しかった。 表紙のイメージは、DFJの専門外であるだけにトンネルをくぐり偶然の閃きも手伝って辿り着いた。昨年から特集写真を撮影している斎城卓氏の技術とコンセプトの直感的な掴みがなかったら、実現不能なビジュアルだった。 オカルティックな呪具として煽らず、骨董品としてでなく、アートのオブジェ作品でもなく、人形のルーツといわれる「おしらさま」その「もの」の凄さを「人形」誌のDFJでダイレクトに伝えるには、、、が、今回の斎城氏と私の作業のテーマだった。他の人形も同様の方向で撮影した。 表紙の背景の壁は骨董家具で、摺り漆といって、実際の色は柿渋のようなブラウン系だ。そこにアンバーのライトをあててその照り返しで撮った。表紙には、その壁は濃紺とグレーの中間にあるような色合いで、見えざるおしらさまの向きは光の方向を指し示すかのようである。 どういう印象を持つかは見る人に委ねるしかないが、無謀とも言えるこの企画の冒険と挑戦を、受ける方としては多分戸惑いもおありだったと思われるが、協力を惜しまなかった千葉氏ご夫妻に心から感謝したい。 |
   ■ not outsider, it's my standard. |
++2005/ 3/ 5(Sat)++
世の中の常識、というか傾向とのギャップを実感する瞬間が今までにも何度となくあった。大学の最初の語学の授業の時、講義内容を漏らさず聞こうと思ってはりきって一番前の席に座った。予備校の授業ではそれが当たり前で前列の席を争ってとりあったものだ。なのに、大学の授業はそうではない。ふっと我に返って後ろを見ると、席は最後列から埋まって、ほとんどの学生は後ろ半分におさまっていた。何かとても象徴的な光景で、うーん、何か違う、としっかり五月病になったものだ。でも、私は自分のへそ曲がり具合が気に入っている。大体のことにおいて、自分の思考によって自分だけの方向を探りたい。 今度のDFJの特集も、そういう模索から出てきた企画だ。世の中の人形の方向と、思い切り逆行しているかもしれない。でも、人形に携わる人には、ぜひ読んで考えて欲しい内容を盛り込んだ。 44号は7日には印刷があがってくる。早いところでは8日に発送開始、10日前後には定期講読会員の方には届くようになっている。同封DMも今度は18種類。お楽しみに。 書店で販売されるのは、3月下旬になる見通しです。 |
   ■ 卒業式 |
++2005/ 3/ 4(Fri)++
目出度いことに、今年は家族のなかで卒業式が3回もある。子供の卒業式に初めて出たのがかれこれ20年近く前の長男の卒園式だった。 世間について常識のないらしい私は、卒業とは目出度いものだと信じ、オフ・ホワイトのスーツで明るいイメージで参席したら、周囲は全員ブラック・フォーマル。皆、葬式の親戚一同みたいで、ものすごく驚いた。親戚集団の中で、黒以外の服を着ているのは、父母代表で挨拶するPTA会長と、一般庶民の私だけだった。 それが、数週間後の入学式では、親戚一同が一斉にカラースーツに替わる。この不文律の徹底ぶりには驚嘆した。一体、誰がそういう取り決めをしたんだろう。 時々、世の中の常識のレールからはずれている自分がいる。だからこそ、DFJをやってこれたというのもありますが。 |
   ■ 旅 |
++2005/ 2/28(Mon)++
ヨーコさんをテレビでみた。ブータンでの生活ぶりがちょっと覗けたし、何より元気そうで良かった。息子さんも頼もしいし、旦那さんもナイス。しかし、せっかくブータンまで行って一時間半の枠を組みながら、番組の中身が薄かった。現地まで行って撮ってきた画像があるから何とか見る価値は維持できたものの、イケメンのガイド役の旅人は何故そこにいるのか、お仕事だからに決まってるが、それ以上の存在の必然性が分からない。ブータンに行ったことのある人と10分も話しただけで、「えーっ」ということが結構ある。その情報に比例するものは、画面以外からは残念ながらあまり伝わってこなかった。報道規制とかあったのかな。でも行った人は総じて、皆、いい国だと言っているし、現地であったことをもっと伝えて欲しかった。それに、日本人は急がしくてぴりぴりして、笑顔を忘れてる、という旅の大前提があるけど、それは確かに正しいけど、国内でもまだまだ笑顔はいっぱい見られるのも忘れて欲しくない。ブータンの子供の笑顔もすごく素敵だったけど、国内にも自然でタフな笑顔は一杯残ってる。ちょっと探せば、すぐに見つかると思う。まずは、自分が笑ってみると早い。それだけで日常からちょっと抜け出せる。小さいけれど、それも、立派な旅なんじゃないだろうか。 |
   ■ ブータン速報 |
++2005/ 2/26(Sat)++
この欄で以前、人形作家の上野陽子さんがシニア青年海外協力隊でブータンに行ってしまったという話を書いた。あの、都会派ヘビースモーカーのヨーコさんが、奇跡的にも清々しい空気の素朴なブータンに馴染み、さらに奇跡的にもIT音痴だった彼女がワードをマスターして活動報告書なるものをきちんと仕上げている。見事に人類進化の一例を見せてくれたが、変化する自分を楽しむ本体の彼女そのものは変わってはいない。そのヨーコさんが、日本の地上波TVデビューだ!! 2月27日フジ系列「ブータン王国ふれあい旅」で、家族で登場、主人公に情報を授ける重要なキーパーソンになるらしい。 番組の情報はこちらで; http://www.tnc.co.jp/loveasia2/ この他にも、愛知万博のブータン館で展示するミニチュア人形150体を制作したそうである。 今年の末に任期切れになるらしいが、ブータンの労働省から延期要請が出ているそうだし、本人も今の日本に帰る気がしないと言っている。ヨーコさん、ブータンでさらにIT進化するか!? |
   ■ 春の嵐 |
++2005/ 2/24(Thu)++
インターネット、ごぶさたでした。明けましておめでとう、もう遅いですね。 ずっと遠くの海と空ばかり見てて時間が過ぎてしまった。すみません、嘘です。 昨日、いつものパニックを経て44号入稿。気がつけば、外はもう春を待つばかりの気配。相当寒かろうと着込んで原稿を抱えて出掛けたのに、コートさえ着てない人もいる。ちょっと浦島太郎の気分だった。 昨年3月21日、現代美術館の球体関節人形展の打ち上げで、美術の菊地拓史さんが花粉症のくしゃみをし始めたのを受けて、花粉がアレルゲンの私は「私はまだ発症しないんだから」と断言したのに拘わらず、それでスイッチが入ってしまったみたい。以来、くしゃみが止まらず、電話に出るたびに「お風邪ですか」と言われて一年を迎えようとしている。ハウスダストもアレルゲンだし、9月からは私にとって最強のアレルゲンの猫が我が家に到来した。これも宿命か。だから3月21日は私の花粉症記念日。 今年はスギ花粉の飛び方が半端じゃないって聞いたって、どうすることもできない。花粉症患者がスギ植林を奨励した国を相手取って被害者訴訟を起こしたらどんな額になるんだろうか。花粉書被害がGNPにも影響を与えるという予測までたっている。訴訟団ができる前に何とかして欲しいものだ。 といっても、家中の埃を毛皮で吸い取る勢いで暴れ回る獰猛な猫は、餌だと思って足に噛みついてくるし、まず家の中だ。 今度の特集、ある挑戦をしてみた。新しいことをやった。さて、何でしょう。まずは、3月10日の発行をお待ち頂きたい。 |