@ 今日の駄ツッコミ・幸せだけど高度な表現がない社会
『MIYADAI.com』の10月3日分『昨今の映画状況についての座談会[寺脇研、荒井晴彦、宮台真司]での宮台発言です。』に、全体の論旨を無視してツッコんでみる。まず、「幸せだけど高度な表現がない社会」と「不幸だけど抑鬱感ゆえに優れた表現がある社会」という無理矢理な2択問題のネタふりがあって、こう続く。
この問いを最初に思いついたのは、ポン・ジュノ監督が『殺人の追憶』(03)で来日した際に発言を聞いたのが契機です。「韓国映画は隆盛だと言われるが、日本でATGが流行った六〇年代と同じだ。急激な高度成長で社会の歪みが生まれ、抑鬱感が蔓延している。それをベースにした、エネルギーの発露や、状況への批判があるだけだ。日本はもうそういう時代じゃないが、韓国もいずれそうなる。韓国に高度な表現が多いというよりも、時代の問題に過ぎない」と。鋭いと思いました。
鋭いかな。似たようなことは大昔に大島渚がいっていたけど。正確な言葉は覚えていないが、「問題のある国の方が面白い映画は作れるんだ」ってな感じ。その時の対象も韓国映画だった。あと「高度な表現」という言葉にもひっかかる。どういう定義なのか、どっかに書いてあるんだろうか。宮台的には、日本映画は「不幸で高度な表現がない」説だったりして?
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