角松敏生

CONCERT TOUR 2002〜2003“TOKOYO”

2003年1月25日 新潟県民会館


新潟での人気は根強し

 昨年10月に新作“INCARNATIO”をリリースした角松敏生、2年ぶりの全国ツアーです。今回は、BIC(角松ファンクラブ)会員のまどさんのご厚意でチケットを確保していただいたので、席は5列目のど真ん中! 角松のライブは10回以上観ているけど、こんないい席で観るのは初めてだなぁ。ありがとうございます。
 会場の1階席はほぼ満席、2階席もかなりお客さんが入っていたようなので、ソールドアウトに近い状態だったと思います。他の公演では、集客がかなり厳しい所もあるようなので、新潟での角松人気は根強いものがあるようです。


バンドメンバーはいつものとおり超一流

沼澤 尚(Dr)
青木智仁(B)
浅野祥之(G)
小林信吾(Key)
友成好宏(Key)
田中倫明(Per)
本田雅人(Sax)
山田洋(Manipulater)
鈴木かずみ(Cho)
高橋かよこ(Cho)
内藤哲郎(和太鼓)

 「いつものとおり」と書いたけど、角松バンドでタカがドラムを叩くのを生で観るのは、私は多分初めて。スガシカオやシアターブルックでのタカの演奏は聴いたことがあるけど、角松ともよく合うね。素晴らしいドラマーです。
 そして、今回の目玉は和太鼓(!)の内藤哲郎氏。会場によってはトンコリ(アイヌの伝統的弦楽器だそうです)奏者のOKI氏が参加しているそうですが、現在はドイツツアー中ということで、新潟公演ではトンコリは残念ながらハードディスク出力でした。内藤氏は元鼓童の人ですが、石田ゆり子と噂になったあの人ですよね? ま、そんな下世話な話はともかく、太鼓を叩く姿は非常に凛々しく、男気を感じましたな。
 「なんで角松で和太鼓やアイヌなんだ?」と疑問に感じる方も多いと思いますが、その辺の事情はまた後で。


角松、がんばってるよ

 新作“INCARNATIO”は全曲演奏し、新作以外の曲は“Realize”と“浜辺の歌”、あと2001年の20周年記念ライブで配布されたCDに入っていたという曲の3曲のみ。なんと、2度目のアンコール以外は活動凍結前の曲は1曲もなし!
 「角松、本気でがんばってるなぁ」と感心しましたよ。
 “INCARNATIO”は、サウンドはもちろん、詞の世界も大きく変化していて、「日本人のアイデンティティとは何か」みたいなことをテーマにしているので、80年代の角松ポップスと並べて演奏するのはちょっと無理がある、というのもあるとは思いますが、過去の遺産ではなくリアルタイムのアーティストとして勝負しようとする40男、いいじゃないですか。40〜50歳代の、かつてニューミュージックと呼ばれていた世代で、今なお新境地にチャレンジしている人なんて、角松くらいでしょ?


角松先生、授業中

 “INCARNATIO”のスピリチュアルな曲が続く中盤までは「授業中」、“Realize”など盛り上がり系の曲の終盤は「放課後」だそうですが(笑)、確かに今までの角松のライブとはちょっと違う雰囲気が漂っていました。MCもかなり長かったのですが、いつもの音楽業界の辛口批評(笑)ではなく、海外で生活して、自分の日本人としてのアイデンティティを考え直したという話とか、各地の聖地や伝統の祭を見て回った話、アイヌの歴史の話等々、思わず背筋を伸ばして聞いてしまうような話が多く、勉強になりましたよ。「年をとったら、女より酒が優先になった」という告白も面白かったけど(笑)。


出血大サービスのアンコール

 1回目のアンコールのラストは、映画「白い船」の主題歌“Always Be With You”。この曲は、ライブの最後を飾るにふさわしい名曲ですなぁ。こういうバラードには、角松にしか生み出せない世界というのが確実にあると思う。欲を言えば、かつての“What is Woman”みたいに、曲のエンディングと見せかけて、もう1度角松のギターソロに戻ってくれたら、もっと満足度がアップしたと思います。
 アンコールが終わり、客電がついて、機材のバラシが始まっても、お客さんは全然帰らない。インターネットですぐに情報が全国に広まる世の中ですから、他の会場で2度目のアンコールがあったというのを皆さん知っているんでしょうねぇ。角松のライブでは、「この客は本気でアンコールしてるのか?」と疑問に思うような、おざなりも拍手の時もあるんですが、今回の新潟は本気のアンコールだったと思います。
 そして、2回目のアンコールに登場した角松は、Tシャツにジーンズというラフな服装。「新作は全て演奏してもう曲がない」と言うので、ギター1本で昔の曲でも歌うのかと思ったら、バンドメンバーも呼び寄せます。
 「せっかく感動的に終わったのだから、これからのことは忘れてください」と言ってスタートしたのは、なんと80年代角松の代表曲、「エクササ〜イズ」こと「Girl In The Box」。
 う〜ん、それは確かに「忘れてくれ」と言い訳が必要だわな(笑)。その気持ちはよく分かる。ま、久しぶりで面白かったからいいけど、あまり客を甘やかさない方がいいと思いますよ(笑)。


“INCARNATIO”は成功したのか?

 さて、「なんで角松で和太鼓やアイヌなんだ?」という根本的な話題に戻ります。
 ライブのMCのところでも触れたように、「海外で生活して、自分の日本人としてのアイデンティティを考え直した」「各地の聖地や伝統の祭を見て回る中で、失われつつあるアイヌの伝統楽器トンコリに出会った」等々の経緯があって、新作のレコーディングに沖縄やアイヌの伝統音楽を取り入れ、またインスパイアされて曲を書いた、というのが、簡単な経緯のようです。
 そして、完成した“INCARNATIO”のCDとライブは、「角松敏生の作品」という視点で見れば、大成功でしょう。昔から角松を聴いている人なら、彼が大学の哲学科出身で、歴史や宗教に詳しいことも、過去の作品で沖縄音階津軽三味線を取り入れたことも知っているわけで、そういう視点で見れば「ついにここまで到達したか」と感慨深いものがあります。民族楽器や伝統音楽を飛び道具的に使うのではなく、角松サウンドの中に見事に違和感なくとけ込ませている。


ファン以外にも訴えるパワーを

 しかし、何の予備知識もなく“INCARNATIO”を聴いた時、どう感じるだろうか? 友人に連れられて、初めて角松のライブに来た人や、レコード屋の試聴機で、偶然CDを聴いた人には、どう聞こえるのだろうか?
 私は「元ちとせ」を初めて聴いた時、彼女が島歌の伝統を受け継いだ歌い手だなんてことは知らなかったけど、ものすごいパワーを感じた。「誰か知らないけど、これは本物だ」と思った。そんなパワーが“INCARNATIO”にあるだろうか?
 ライブで直接本人のMCを聞いたり、レコード屋で配布されていたブックレットの詳しい解説を読めば、角松がやりたいことはよ〜く分かる。しかし、説明が必要な音楽とか芸術というのは、存在として弱いのではないだろうか?
 例えば、ピカソの「ゲルニカ」を見れば、スペインの歴史を知らなくても、大抵の人は何かを感じるだろう。その後に作品の背景や歴史を知って、さらに理解が深まる。芸術ってそういうものだと思う。
 アイヌや沖縄、出雲の歴史にインスパイアされて曲を作った角松本人にとっては、和太鼓や民族楽器を取り入れることは必然性があるのだろう。しかし、出来上がった作品をニュートラルな気持ちで聴いてみると、「別に民族楽器のサウンドが無くても、十分楽曲として成立するんじゃないの?」と私は思ってしまう。逆に言えば、角松の熱心なファン以外なら、通り過ぎてしまう普通のポップスだと思う。
 伝統音楽の吸収によって、角松敏生の音楽が新しい次元に入ったのは間違いない。しかし、「一般リスナーにもアピールする存在感とパワー」、そんなものが今の角松には足りないように思う。

 



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