新潟には初登場の宇多田ヒカル。県内最大の屋内施設の朱鷺メッセで2日間の公演です。会場はちょっと狭めの幕張メッセみたいな感じで、当たり前だけど、イス席です。キャパは8,000人くらいだと思うので、2日間合計で15,000人以上の動員だったはず。
客層は小学生から老人(!)まで幅広い。というか幅広すぎる(笑)。小中学生&両親の一家で来ているお客さんがやたらと多く、なんと爺さん、婆さんまでいる。通常のポップス系のライブではとても考えられない客層で、宇多田ヒカルは本当に国民的な歌手なんだなと改めて実感しました。今の時代、こんな歌手は他にいないよ。
バンドは6人編成で、ドラム、ベースが黒人、キーボードの白人がバンド・リーダーで、もう一人のキーボード、パーカッション、ギターが日本人。舞台上はシンプルに楽器が並んでいるだけですが、映像関係のセットがスゴイ!
LEDライトをカーテン状に天井からつり下げてオーロラビジョンのように映像を映すシステムが使われていて、多分あれはU2のVERTIGOツアーで使用されたMiSphereカーテンをさらに進化させたものではないかと思う。ステージ背面全体に映像が映し出されるだけでなく、ステージ前面にも移動式のLEDカーテンが配置され、プロジェクター方式では不可能なダイナミックなビジュアル表現が実現されていました。
映像の担当はもちろんダンナの紀里谷和明氏なのだろう。いわゆるVJとは一味違う作り込まれた映像のクオリティーは、まさに映画を観ているような感覚でした。
ライブは“Passion”でスタートし、4つ打ちビートのまま“This Is Love”“Movin'
On Without You”さらに“traveling”へと繋がっていく。黒人のリズム隊による人力ハウス・ビートが鳴り響く・・・はずが、どうも演奏に迫力がない。打ち込みとの同期演奏で、909系のキックが常に4つ打ちで鳴っており、ベーシストは手弾きのアナログ・シンセベースも使っているのだが、PAからは低音が出てこない。会場の音響特性なのか、それともボーカルさえ聞こえればいいというアイドル的なミックスなのかよく分からないが、腰を揺さぶられるようなサウンドではない。ギターの今剛氏の存在感あるプレイだけが光っていました。
バンドがイマイチならボーカルに期待、となるわけですが、今回のコーラスは全部ハードディスク出しで、生のコーラス隊無しだったので、これまた迫力に欠ける。また、宇多田ヒカルのボーカルの魅力は母親譲りの微妙にハスキーな声質にあると思うんだけど、バンドの演奏と声がぶつかって、ただのハイトーン・ボイスに聞こえてしまい、彼女ならではの味が伝わってこない。
しかも、この日の宇多田ヒカルは高音のピッチが非常に不安定だった。いや、安定して(?)フラットしていたと言ってもいい。ライブ中盤で、チェロの生演奏とデュオで“Be My Last”と“誰かの願いが叶うころ”を歌うバラード・コーナーがあったんだけど、サウンドがシンプルなので、中低音部の声の魅力はよく分かった。だけど、高音部の音の外れ方ははっきり言って酷かった。キーを間違っているのかと思ったよ。
この後のMCで「このバラード・コーナーは気に入っていて、気持ちいい。ファンから“テレビと違って歌上手いんですね”とメールが来る」と本人は話していましたが、ホントかよ!? 俺は「実は宇多田ヒカルって歌下手なんだな」とガッカリしてしまったよ。
はっきり言ってMCは下手。アンコールで「次で最後の曲です」なんて正直に言うなよ。「もう1曲演ってもいいかな!」って言って、観客の期待感を煽るのがプロってもんだ。あと、この日はちょうど新潟スタジアムでSMAPがライブを演っていたんだけど、「SMAPの5万人に負けないように盛り上がっていこう!」なんて情けないこと言わないでくれ。キミは国際的なアーティストなんだから、ジャニーズのアイドルなんかと同じ土俵に乗ったらアカンよ。
まぁ、10代の女性アイドルだったら、ライブのMC内容についてもスタッフからしっかりと指導があるのでしょうが、天下の宇多田ヒカルにそんな指導をする人はいないわな。
デビュー当時はまさに「天才」「カリスマ」だった彼女も、大学留学がウヤムヤになったり、UTADAとしての全米リリースが不発に終わったりで、すっかり下界に降りてきてしまった感じがする。
しかし、老若男女を問わないファンを持つというポジションは、日本では唯一無比。2時間以上のセット・リストのうち、英語版アルバムの3曲以外は、全てがシングル・ヒットまたはタイアップ曲という驚異的な構成で、CDなんて滅多に買わないお父さん、お母さんでもほとんどの曲を知っていたはずだ。
美空ひばりもユーミンも到達できなかった地点に宇多田ヒカルなら行ける可能性は十分ある。15歳で作った“First
Love”がアーティストとしての頂点だったなんて言われないようにがんばってくれ。まだ23歳、先は長い。