8月27日(木)

念願の引越しが終わって、2・3日前から我が家での話題はもっぱら上の娘の通うロシアの学校のことばかりである。
外国人である娘をすんなり受け入れてくれるかどうか。ましてや、日本人である彼女を受け入れるために学校はどんなことをわたしたちに要求してくるかビクビクしていた。
およそ、大学や各種学校などでは、外国人料金はとても高い値段を取られる。
知り合いのロシア人からも「月に5・600ドルは覚悟したほうがいいかもしれない。」「いやいや、義務教育で私立の学校でもないのに、お金をとるわけがない。」「いいえ、実際は外国人は普通の公立学校は受け入れないんじゃないの。」と、言われてみたり「モスクワにはいい学校と悪い学校があってその差は激しい。気をつけて学校を選んであげないと後が大変。」等など、口々に好き勝手なことを言う。
その度に気の小さいわたしは、どうせお金を取られるようなら、日本人学校にしたほうがいいのかなぁ。とか、超エリート校といわれるところへ通わせるのも手だとか、かまびすしい。


まずはアパートの隣の住人に聞いてみた。
「あのう、学校のことをおしえてもらいたいのですが・・・。」
「何のために。」
「モスクワには英語特別校というのがあると聞いたのですが、この近くのはどこにあるかご存知ないかと思いまして。」
「さあ、知らないねえ。」
「あの・・・・。それでは、だれか学校へ通っている方を知りませんか。」
「うちは、あいにくそんなこどもはいないんでね。」
取りつく島もない。


「お隣のオバサン、ヤナ感じ。人のことジロジロ見るだけで、学校のことは何も知らないみたい。でも、気分悪いんだよ。なんだかイジワルな感じでサ。」 と、ヘンヘンにブツブツ文句を言っていたら、ブーブーと呼び鈴がなった。
もみ手をしているお隣のオバサンとおじさんが立っていた。
「さっきは、どうも。」
「ハア。」
「なあに、近場にいい学校があるのを思い出したんでさ。」
「ちょっと、失礼。」
ヅカヅカと子ども部屋に勝手に入っていく。靴も脱がないで・・・まったくゥ。
「ほら、あれがいい学校だよ。」
オバサンの指差すほうに小さな黄色い建物が見える。
「ああ、あれですか。フーン。」
「ちょっと遠いんですがね。いい学校なんですよ。よかったら、うちのやつに送り迎えをさせますよ。」
「それで、一体、おいくらなんです。」 ドゥニャンの声のトーンが上がっている。
「いや、なんせ、わたしらもまだ相場ってやつを知らないんですよ。」

そういえば、大家さん引越しのとき、隣を指差して「KGB、KGB]って耳打ちしてたっけ。

でも、なにはともあれ、貴重な情報が一つ入ったわけである。いやな思いをしたのも無駄ではなかった。


早速、その学校に行って、副校長先生にあってみる。生徒作品などが壁にズラリと貼られている。先生はキビキビと新しい年度の用意に忙しそうだ。なかなか、やっぱり、いい学校のようだ。
この学校は別に英語特別学校ではないが、外国語教育に力を入れていて、英語特別学校のカリキュラムと同じのを組んでいるらしい。
副校長先生も自信を持って、 「ここはレベルの高い、いい学校ですよ。安心して子どもを私たちに預けてください。」 と、言ってくださった。

文学の授業のことで2人の先生が喋っていたのをちょっと小耳に挟んでみると、
「今年は、11年生にショーロフの’静かなドン’を教科書にどう?」
と、一人の先生が言うと、
「11年生には、それはちょっとむづかしくありません?マヤコフスキーやソルジェニーツィンの’イワン・デニソーヴィッチの一日’なら・・・、エセーニンなんかもいけるかもしれないわねえ。」
なんて、話し合っている。すごい質の高さ。ため息が出るような羨ましさである。
とてもいい学校で先生方の熱心さも伝わってきたが、学校まで歩いて25分から30分かかるのは考え物である。毎日の送り迎えもいるだろうし、マイナス20度から30度という真冬の寒さの中で通うのは無茶かもしれない。


アパートのすぐそばにも2つ学校があるので見学しに行った。
両校とも先生方も副校長先生もとても気持ち良く応対してくださった。それに娘の受け入れを疑いもないものとして扱ってくださったのには、頭の下がる思いがした。
わたしたちは、歩いて5分の小学校2年生のときから外国語の教育もしているという地域の普通学校に娘を通わせることに決めた。
それが、モスクワ14番学校である。

明日、再び14番校に行って、必要書類を提出する予定である。
娘の受け入れに好意をもって接してくださったモスクワの先生方、ありがとうございました。




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