6月4日(金)

5月31日、上の娘の学校は7年生を終了した。
なつめはクラスで5人の優等賞の中の一人に入ったのだった。
「グラモタ」と呼ばれる証書を持って帰って来た。

この証書を手にするまで、彼女は凄まじい努力を重ねた。文字どおり最後の試験期間の一ヶ月は親の私たちが閉口するほど勉強した。
「もう、やめれば。いいよ。いい加減でも・・・。」
と、鬱陶しくなってしまうほど。だけど、すべての問題に答えられるようにならないと落ち着かない、と言っては机に向かっていた。
その努力の結果が出たのだ。立派だったと多いに褒めてやりたい。


9月1日からこの日まで、娘にとってはどんな日々の積み重ねだったのだろう。

娘は夜ご飯の時、ふと、
「最初の1週間は、誰も喋ってくれなくって、何にもわかんなくって心細かったんだよ。1週間過ぎてから、ダーシャやイーラ、アミーナたちがわたしのところに来てくれて、友達になったの。毎日本当に長かった。」

そう言えば、学校にお迎えに行った時も一人でとぼとぼと廊下を歩いてきてたっけ。
全然ロシア語を解さない娘に一生懸命に話し掛けてくれる友達が出来はじめたのはちょっとしてから。その友達から学校の様子を知りたいと思い、迎えにいった時、わたしも食堂でアイスクリームを食べたり、お菓子を食べたりしようとした。
ところが、友達の中に混じって歓談し合うのをためらっていた。いつもこれにはイライラさせられた。わたしには娘が友達とワイワイ楽しむのを頑なに拒否しているとしか見えなかった。
少しでも長く友達と喋って、皆の中に溶け込んでもらいたいというわたしの焦りはなかなか彼女に通じなかった。

その当時、彼女は、1日6・7校時ある授業の中でなにを言っているのかさっぱり分からないからこそ、緊張に緊張を重ねていたのだ。
緊張のし過ぎで、授業中どうやって動いていいのかさえわからないという状態が続いた。
不動で何時間も授業を受けていたのだ。

首を動かすにも、頭で命令しないと動けないという風な感じだった。

分からないのは当然と思いながらも、彼女にとっては侘びしく厳しい日々だったのに違いない。授業中の極度の緊張がそれ以上の友達サービスが出来るほどの余力も残されていないのだ。

早く家に帰って休みたい。毎日頭がガンガン割れるように痛いと、言った。


なつめの周りに友達がぼちぼちと来てくれるようになっても、まだ言葉は分からない。
ちょっと幼いイーラは、娘が大好きになり、親切も手伝って、
「こっちへおいで。」
とか、
「今度の教室は数学の先生の教室だから。」
など、言っては手を引っ張り、教えてくれるらしい。
ただ、何を言われているか分からない娘にはその方法は少々乱暴に見えていた。
引っ張り回されて、連れて行かれる。
何を言われているのか分からないうちに体を動かさなければならないのは、苦痛だったらしい。

その内、言葉で友情が伝えられないイーラは、体で実力行使をしはじめる。

なつめに対する興味と愛着、友情と同情がないまぜになった彼女は、日に何回となく娘に抱き着く事になった。
「ナ・ツ・メ、ナツメ。」
と、言っては、抱き付きに来る。

ここが文化の違い。娘はこれには泣いた。
学校から帰ってくると、
「今日もイーラが抱き着いて離れないの。嫌なのよ。どうしても嫌。」
「いやだって、言うより他ないはねぇ。言葉で言ってみたら・・・。」

普通、日本人の場合の対人距離はヨーロッパやアメリカの人々から比べるとかなり長いと思う。べったり体を合わせるくらいの抱擁はないと言っていいだろう。

反対に、日本へ来ると、俗に言うガイジンさんたちは、ハグする事の少なさに寂しさを覚えるという。

まあ、とにかく、イーラには、娘にとって何故ハグされるのが嫌なのかサッパリ理解に苦しむところだったに違いない。大好きな友達から、拒否されているという感覚をイーラの胸の中に残してしまった。
それからでも大切に可愛がられて育てられたイーラは、娘に拒絶されないために、あの手この手で歓心を買おうと必死だった。

なつめはどちらかというと、日本の中でもクールな方であるように思う。友達との関係もある程度の距離を保ちながら、じっくりと付き合うタイプである。自分から電話をかけるという事などほとんどないし、友達からかかってこなくても、遊びのお誘いがなくっても平気なタイプ。

だから、何かにつけなつめにかまい、付きまとうイーラに対してとうとう最後には
「顔を見るのもいやだ。」
とまで、言うほどになってしまった。

「まあ、そうは言ってもねぇ。イーラはなつめのこと大好きなんでしょう。いいじゃないの、好きなようにさせてあげて、ハグして来た時だけ、はっきり嫌だって言えば・・・。」
「だって、わたしの鼻が小さいとか、髪が黒いって触るんだもの。」
「その時は止めてって言うより他はないわねぇ。」 「それにね。優しいダーシャがわたしの横で座ろうとすると、すねるんだよ。今度から友達しないって。」
「それは、困ったねぇ。でもダーシャといる方が、なっちゃんは好きなんだ。」
「だって、嫌なことしないし、優しく教えてくれるし、悪ふざけしないから。これをして欲しいなぁっていうことだけ教えてくれるんだ。でもわたしがダーシャといるとイーラは嫌な顔するんだもの。」
「なっちゃんが珍しいのよ。きっとそのうち終わるから。」


しかし、こんな状態が2・3ヶ月続いた。それもだんだんエスカレートして、娘のする事なすことに口を挟んでくるようになった。だが、イーラを見ていると悪意からしているのではないことがよ〜く分かってしまう。
ただ単に娘の付き合い方がイーラにとっては、物足りないのだ。言葉で遊べないので、小猫が遊ぶように体でジャレ合いたいのだった。

12月に入ったある日、娘は、もう学校へ行きたくないと泣いた。訳をよく聞いてみると、
「今日、あんまり学校であんまり疲れたから、ア〜アって伸びをして疲れたって言ったら、イーラはね、わたしが学校では座っているだけだから、疲れることないでしょうって言うの。でも、日本の学校へ行って何を言っているか分かって聞く方がずっと疲れないんだよ。いやだもう、わたし・・・。」
と、言ってむすめは泣き崩れた。

「そう、それはひどいわねぇ。ママがちょっと文句を言ってあげる。」
「いいよ。言わなくても・・・後で何かあると困るから。今度から出来るだけイーラを避けるようにするから。」
「そうは行かないわよ。はっきりこのことだけは言っておかなければ!!」
「もういいんだったら。ママぁ。お願い。我慢すればいいんだから。ダーシャもアミーナもいるから。学校へ行くから。イーラには言わないで!」
「いや、それは言っておく方がいいのよ。イーラのためにも良くないと思うから。こんなひどいこと言われて黙っていたら、また言われるかもしれない。学校がつまんなくなるでショ?!」
「もう、つまんないよ。」

わたしはいきり立ってしまった。早速イーラに電話をかけた。
「イーラ。あなたねぇ、今日、ナツメになんて言ったの。どんなことを言ったか覚えてる?」
「えっ??」
しょっぱなから凄い剣幕のナツメのママに押されている。
「ナツメに言ってはいけないことを、あなたは言ってしまったのよ。なつめは泣いているわよ。どんなことを言ったのか、よ〜く考えてごらん。」
「分かりました。」
ひどくしおらしく返事をしたのはいいけれど、本当に分かったくれたか、一抹の不安が残っていた。わたしが興奮し過ぎていたことと、イーラが悪意なく言った言葉がなつめを傷つけたことが伝わっていないかもしれない。

次の日、学校へ行くと、不安は適中していた。
イーラとアミーナの仲良しコンビが、なつめを完璧に無視するという行為に出たのだった。
ただ、ダーシャやディアナ、二人のレーナはいつも通り娘に接してくれた。
むすめは2人から無視されることで却って楽になったとはいったものの、わたしの気持ちの収まりが付かなかった。
無視をされるということ、一人でも関係の悪い友達がいることは、それだけでストレスとなる。それを毎日異国の学校で我慢させるかと思うと、娘を不憫に思う気持ちと、わたしの言ったことが通じていない欲求不満が湧き上がってくる。
ここは引き下がることの出来ないイジメに対する国際的なツボのようなものである。
このツボをおさえてしまわないと事態は収束に向かわないと思ったのだ。なにかの機会を見つけて、絶対わかるまで話してやろうと、決心していた。


12月29日、1学期最後の日、娘たちの「ともしび」の会が開かれた。「ともしび」とは、お茶を飲んだり、ディスコを体育館で即席に作って、学期末に行われる子どもたちのガンバリをねぎらう会のことである。

わたしもカメラとビデオを携えて、この会に臨んだ。他の父兄は来ないのだが、なんとなく紛れ込んだといって差し支えない。なつめの担任の先生は、おう揚な先生でとても人情味豊かな先生であるので、完全装備している母を見て、拒否しきれなかったらしい。

その日のこと、なつめを見る目が厳しいイーラとアミーナ。その目つきはイヤミなものだった。ゲームになって、むすめがトロいと嘲笑に変わった。そして娘を追い落とすような雰囲気に及んでしまった。

ここだ!!

「ちょっと、アミーナ、イーラ。いらっしゃい。あんたたちのその目は何ナノ?なんでなつめのことをにらむの?彼女が何か悪いことでもした?」
二人はふてくされていた。特にアミーナは手を腰に当て、斜めに構えている。

「アミーナ!!あなたのその態度は一体何ナノ?わたしはイヤシクも大人なのよ。」
わたしの怒声と気勢に当てられた二人は、直立不動の姿勢になった。

「なんでなつめを無視するわけ?それってよくない。とっても悪いことなのよ。どれだけなつめが悲しい思いをしているか、考えてごらんなさい!」

「・・・・」

しかし、二人から返事はなかった。

「悪いと思ったら、どうしたらいいのか、これから良いと思うことをやりなさい!!分かったわね。!!!」


二人は席に戻っていった。よ〜く見ていると、イーラがなつめのためにジュースを持っていこうとしているではないか。

よかった。
今回は本当に安心した。
長い間のなつめの懸念がこれで氷解するであろう。
この3人の多感な少女たちは一回り大きくなって、お互いの距離の大切さを分かり合うことが出来るであろうと、確信していた。


それは今日にまで至っている。
ダーシャ、ディアナ、二人のレーナ、アミーナ、イーラそしてなつめは仲良しグループのメンバーである。それぞれの個性が富みに出てきて、7人が寄ればうるさいほど。

女の子の関係ってどこでも同じである。

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