昨日、上の娘の友達でユーゴスラビア人のゾーリッツァのお母さんが遊びにやって来た。
お茶を出したら、子どもの話になった。
「実はね、私は上の息子が可愛くって可愛くって仕方がないのですよ。彼は誰にでも心を開いて、どんなことも疑わない子なんです。親が言うのも変ですが、本当に言い子なんです。」
「あっ!それ、わかりますよ。私がはじめてゾーラを見た時、彼は私に向かって、とってもとっても優しい目をして笑ってくれましたもの。びっくりしました。あんな大きいのに小さな子どものように、親しく笑ってくれて・・・。ここロシアではあまり知らない人に向かって、微笑むってことはしないですもの。」
「そうでしょう。誰だって、心の中のどこかに壁を作っているものなんです。それがあの子はそんなもの全く知りもしない。ロシア人はあの子のことを馬鹿にするんじゃないのかって心配しているんです。それに純粋すぎて、これからの人生で傷つくこともおおいのではないか・・・と。」
確かにゾーリッツァのお母さんの言い分は良く分かる。
まず、ここロシアではモスクワっ子は、見知らぬ相手には無関心である。しかもかなりの時間をかけないと挨拶すら交わし合わない。
特に若者の間ではその傾向が顕著である。
ドゥニャンもはじめてゾーラを見た時、この子、ちょっとおかしいんじゃないのかしらと、こっちが警戒心を抱いたほどだった。
なんとも言えない無垢な笑顔と警戒心のない目の光に驚いたのだ。
それが即、おかしいんじゃないのかしらなんて思うとは、悲しい性だがそう感じてしまったのだから仕方がない。
「大きくなって誰かに騙されたり、利用されたりしたらどうしようって感じる時もあるんです。」
「いえ、彼なら大丈夫。きっと、彼の周りにはいい人ばかりが彼を慕って集まるでしょうから。」
「そうですよね。だって、彼は数学は学年で一番。学校以外にも音楽学校に通っているんですけれど、そこでも彼の音楽理論の理解の速さに先生たちは驚いているんですよ。しかも彼はアコーディオンがとっても上手なんです。この前、ナツメをコンサートにせっかく招待したかったのに、電話が通じなくて彼女に彼の演奏を聞かせられなくって残念だったわ。」
と、ドゥニャンまがいの子どもの自慢が始まった。
ゾーラだけではなく、ゾーリッツァもいかに可愛いか言い子か。
これではドゥニャンだって負けていられないではないか!!
さかんに二人で子どもたちの自慢話の大会が始まっていた。
子どもに関する自慢話は尽きないものだ。相手も遠慮しないから、こっちだって遠慮なし。こんなことを書くと、またナツメに叱られるが、
「ここがロシアの学校でなく、日本だったら、私が一番を取っちゃうのに・・・。校長先生の息子のイヴァン君には歴史と文学では歯が立たない、なんて言ってますよ。」
なんて、法螺まで吹いてしまった。
「ただねぇ、日本はいいじゃないですか。戦争のない国だから。ゾーラやゾーリッツァの小さい時から、夜中に飛行機が何十と飛んで来て、頭の真上を通るんです。凄い音で・・・。爆弾が今にも落ちるんじゃないかしらってほど近いんですよ。それが遠くへ行く音に変わるとホっとするんです。」
「・・・・・。」
「そんな中で子どもが育っているというのは、恐ろしいことです。日常ではないことが日常に行われている・・・。朝、起きてみると近くの建物が爆撃にあって破壊されているんですよ。そんな状態が続くんです。今はそうでもありませんが・・・。」
「・・・・。」
「工場も壊されるから、多くの人が職を失う。どんなにユーゴスラビアで勉強しても、資格をとっても今の子どもたちにとっては、意味がない。夫は大学で化学を学んでいました。
そして、システム・エンジニアとして働いていたのですが、職場がなくなった。ユーゴでの平均給料は65ドルですよ。」
「それはロシアと変わらないのではないのですか。」
「いえ、ここでは夫は、建築労務者として、働いています。一日働くと50ドルになります。ただし、仕事があればの話ですけど。」
「ということは、あまり仕事がないのですか。」
「いいえ、こちらでは沢山仕事があります。一つのダーチャを作るのに何箇月かかかります。その間は仕事があるのです。それに大勢のロシア人は新しいダーチャを建てています。」
あぁ、あのノーブィ・ルスキーの立派なダーチャのことだなぁとドゥニャンは想像する。
「それよりも心配なのは、子ども達の仕事のことです。彼らに何ができるのか。彼らはきっとユーゴには戻れないでしょう。あそこでは何も仕事がないから。こちらで勉強して資格をとる方が、ずっと子どもたちの将来にとって良いのです。だから、わたしたちは一家でこちらに来ているんですよ。」
なるほど。
でも、ドゥニャンにとって、どうしても分からないことが一つある。
戦争の悲惨さ、国の経済の破壊状態などなど、いっぱい話してもらったけど、ゾーリッツァはいつもアディダスの素敵な上着を着て、ナイキの最新の靴を履いている。
ユーゴには今、イタリアやドイツから色んな商品が大量に流れ込んでいる。それを購入する経済力がユーゴの人々にはあるのである。
ロシアで売っている衣料品よりもずっとユーゴでの方が質も良いし、安いという。
何なんだろう。
それでも国の体勢としてよりしっかりしているロシアの方が将来性があると見込んで、ゾーリッツァ一家は出稼ぎに来ているのだ。
母親としての同じ心配、そして喜び。同じ外国人同志、この国で生きることの難しさ、厳しさ、そして楽しさを語り合ったが、他方、国のシステムの崩壊による経済混乱に巻き込まれた人と、幸いにも日本のようにある程度システムのしっかりした国に生きているものとの違いを感じた一日であった。
国というシステムを越えることの出来ないことをしみじみと感じた。