2000年5月2日(火)

おとつい、隣りのアイーダがお茶を飲もうと、ドゥニャンを誘いに来てくれた。 もう少ししたら、バレエを見に行くし、どうしようかな??と、一瞬迷ったが、アイーダの柔らかな笑顔には負けてしまう。

「ヨシコサ〜ン。あなたが日本に帰ってしまったら、私どうしよう・・・。」
「どうして??」
「だって、こうしてお茶を飲む相手がいなくなるし、ちょっとしたアミールの文句を言える相手もいなくなる。淋しくなりますよ。」
「私もアイーダなしでは淋しい。日本にもいいお友達はいるけれど、アイーダとは腹蔵なくおしゃべりできるのよね。」
「なぜか、なんでもオープンに喋ることが出来るのよ、私達って。そう思わないですか。ヨシコサン。」
「うんうん、ドゥニャンだって、そう思うんですよ。」
なんとなく、ジーンときてしんみりするドゥニャン。アイーダも優しい目でドゥニャンを見ている。しんみりとした雰囲気が、悲しくなって、
「ねえ、アイーダ。一緒に毎日、運動しましょう!!楽しいわよ。きっと。ドゥニャンの蜜蜂の先生が、運動しないと駄目だって、言ってたの。アイーダにも必要なんじゃないの?家にいて、座ってテレビばかり見ていたら、駄目だもんね。」
「そうねぇ。一緒に歩いてみようかしら?またまた、体重が10キロも増えたことだし・・・。私の体重、今何キロあると思う??」
「えっ??そんなのわかんないわぁ。」
「当ててごらんなさいよ。フフフ・・・。」
「だって、身長も全然違うし・・・。見当も付かないなぁ。」
女性にとってどの国でも体重のハナシは禁句である。もし実際以上に多く言ったら、アイーダは傷つくに違いない。

「でもねぇ、ヨシコサン。淋しくなるわねぇ。日本へ帰らないで、隣りのアパートを買っちゃいなさいよ。一緒に楽しく住みましょうよ。」
ドゥニャンだって、アイーダを日本に連れて帰りたいのは山々である。
なぜか、何を話しても柔らかくっておっとりとした雰囲気になるアイーダとは、ドゥニャンはつまらない時、退屈な時、いつも楽しませてもらっている。
それに夫の悪口を言う時には、ちっとも遠慮がいらない。
二人でブーブー言いながら、チョコを食べたり、お茶を飲んだり。
「ヨシコサン、あなたには本当に感謝をしているの。毎日毎日。いつも必要な時にあなたが居てくれるから、私の生活はとっても落ち着いた素敵なものになるんですよ。」

まぁ!!アイーダからこんな素敵な言葉を聞くとは思ってもいなかった。この言葉はそっくりそのままアイーダに返して、お礼を言いたい。
彼女がいなければ、あの長くくらい冬はより辛いものになっていただろう。
たったの20分、30分と話をするだけであるが、彼女の存在がドゥニャンにとっては、大切な大切なオアシスである。

アイーダとはこんな話はなかなかしたことがなかったが、彼女も同じようにドゥニャンのことを思っていてくれたのだ。
それにしても、言葉なんていらない。
お互いの真心って、通じるものなんだなぁとつくづく思う。


ついこの間、ゾーリッツァのお母さんが来た時も、ゾーリッツァは上の娘のことを、見た瞬間から好きになり、今では一番近しい友達だと家で言っているという。娘達のグループは4人の仲良しがいるのだが、その誰よりもお互いに近しい感じを抱いていると、ゾーリッツァのお母さんは言う。
しかも、阿吽の呼吸が二人の間に介在するらしい。

なつめもつくづく言っていた。
「ゾーリッツァは私のことを理解してくれているのよ。それにゾーリッツァの言うことも良く分かるの。」
と。
二人が分かり合えるというだけではなく、何か波長のようなものがピッタリと二人の間にうまく絡まり合えるのであろう。そんな心と心の交流を、わたしたち親子は、日本を離れているが故に余計に大切にするようになっている。

これからもドゥニャンはアイーダの家にお茶を飲みに出かけるだろう。 なつめはゾーリッツァと約束して来て、近所のアクセサリー屋さんに二人でせっせと通うのであろう。
心通わせる友を得られるって、本当に幸せなこと。

それは、もう国を離れた、何か人の魂に結びついているようなことと思われてならない。

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