2000年5月24日(水)

今日は上の娘の試験の日だ。
数学の試験らしい。どんな風に答えるのか去年のように行ってみたい所だが、娘に強く強く拒否された。
「ゾーリッツァのお母さんと二人で行けば恐くない!
外国人のお母さんたちにはこんな風習があるのだというのを見せつければいいのだから。」
と言うと、上の娘は馬鹿にして相手にしない。

どんな風にテストを受けているのだか・・・。

ただ、今日は淋しいことがあった。
ロシアでは、教科書は配布されるのではなく、1年間ないし2・3年間貸し出される。
その教科書は必ず学校に返さなければならない。
今日、娘はその借りていた教科書たちを学校へ返すために持って行った。
教科書を入れていた棚は、すっかり空いている。

10年生にも11年生にも使う教科書も、全て彼女は学校へ持って行った。
もう、学校で試験があるだけで、授業はないのだ。
ロシア語の教科書とはお別れだ。
彼女にとっては、ロシアの1741番校での授業は二度とやってこない。これでおしまい。


彼女はその教科書たちにカヴァーを付けて丁寧に扱っていた。

2年間。


一口に2年間。

その長い時間、彼女はこの教科書と日夜ともにしていたのだ。
時に辞書も必要な時もあるけれど、今や習った所は辞書なしで理解できるようになった。
ロシア語にちっとも問題はない。

今年はロシア語のテストもロシア人と同じ土俵で受けたが、彼女は5を取ってきた。立派なものだ。

彼女がここでどんなことを学んだのか、まだはっきりとはわからない。日々の生活の中、或いは日々の学習で精一杯だったのだから。 ただ、日本に帰った時に、それがゆっくりゆっくり熟成されて彼女の中で育っていくだろう。
どんな風に育っていくものなのか、わたしたちにも、彼女自身にも分かってはいない。

ロシア人の友達と過ごした日々。
今週一杯でなつめたちは8年生を終える。
1週間前に、クラス写真が撮られた。
彼女はその写真を額に入れて欲しいと言った。

私はそれを彼女の大いなる努力のシンボルとして、額に入れて飾ってやろうと思っている。

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