1999年11月12日(金)
台本:A.ヌッリ、F.タリオン
指揮:アレクサンドル・ソートニコフ
演出:アレグ・ヴィノグラードフ(ブルノンヴィル/ローゼン版)
いい意味でも悪い意味でも「グラチョーヴァのバレエ」を見る一夜。
シルフィーダは妖精なので、小さく、軽く、はかなく、との先入観があると、グラチョーヴァはそのどのイメージにも合わない。もちろん見かけのことではなく、シルフィーダ役のグラチョーヴァが、である。
彼女はとても存在感が大きく、登場するだけで舞台に重みがでる。その上バレエが絶品と言ってよい程うまくとてもきれい。もちろんジャンプもふわりとそれは「軽々と」飛ぶ。でも、例えばいたずらっ気を出そうとするとそれがまったく似合ってない。ジゼルの時と違って、役柄が軽いからか成熟したバレエがそのままシルフィーダに滲みでるというわけにはいってなかった。
このバレエのみどころの一つは、2幕でシルフィーダたちがたくさんでてきてポーズをきめるところ。コールドバレエが高い水準にあるボリショイでそれがきまっていたのはいうまでもないが、今回はそれに加えて、ルニキナがそのうちの一人として、また部分的にソロを踊るという贅沢が味わえた。
ルニキナは大勢の中で踊っていても、はっきりめだつほど華がある。グラチョーヴァを中央にシルフィーダ4人が両脇に並ぶ場面があり、ふつうなら何でもない場面だが、今回は緊張感があった。グラチョーヴァにはベテランの貫禄とテクニックがあり、ルニキナにはいまにも大きく花開こうとしている若々しい美しさがある。となるとルニキナ主役のシルフィーダを想像したくなるが、どんなものか。
その他の踊り手たちは、ジェイムズのケルンも含めて、劇の登場人物としてきちっと役をこなしていたがそれ以上ではなかった。
バレエというと、劇的であったり、激しかったりするものが多いが、シルフィーダのような静かで穏やかなバレエの中に、その後のバレエのエッセンスが詰まっているから不思議なものだ。いや、それだけ深いものを、たんたんとした、しかも引き締まったものにみせるというのは、演出も踊りも水準が高いことを物語っているのであろう。
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