2000年3月24日(金)
指揮:アレクサンドル・コプィロフ
演出:ヴァシーリエフ(コラッリ、ペッロ、プチパ、ゴールスキー、L.ラヴロフスキー原振付け)
美術:セルゲイ・バルヒン
衣装:ユベール・ジヴァンシー
ヴァシーリエフ版でグラチョーヴァのジゼルを見る(本当はルニキナのはずだった)。アルベルトは予定通りツィスカリッゼ。
グラチョーヴァ、ジヴァンシーの黄色い可愛い衣装がよく似合い、小さく素敵な村娘。
ただ毎度の事ながら、「少し重ためで、たぷっりとした中庸」の彼女のバレエができあがっている。いや、グラチョーヴァは自分のバレエでもって、自分の考えているジゼルを自在に表現している。
作曲家リヒャルト・シュトラウスは自分の表現したいものをメロディー、音色、和音でもってなんでも描くことができたが、結局のところ自分のいいたいこと、好きなことを書くので、いたるところにシュトラウス色がでていた。
それと同じくグラチョーヴァも、やろうと思えば可憐な村娘でも、こましゃくれた小娘でも、怒れるジゼルでも踊ることができるのであろうが、結局はグラチョーヴァ=ジゼル−病気がちながらふっくらとしていて、なによりも踊りが上手−となる。これだけ個性がはっきりしていれば、あとは好き嫌いの問題となる。
とはいっても、第二幕では息を呑む、時の止ったかのようなしっとりとした瞬間がいくつもあり、それは見事というより他ない。役柄からいって派手な踊りでは雰囲気を壊してしまうことを充分知り尽くした上での中庸さ。これはもちろん非凡なバレリーナにして可能なことである。グラチョーヴァのヴィリーを見るためだけにでも、モスクワへ来る価値はある、と言えるくらい。
ツィスカリッゼもいつもながら、華麗な踊りを見せてくれる。ジャンプは高く大きいし、回転は速いし、その際の足や腕の角度が1度と狂わずにきまっている。天性の明るさも心が伴っているので、悲しみのなかからも希望につながるものを導き出そう、というアルベルトであり、ウラーノヴァ最晩年の弟子としてともに練習をする機会が多くあったのか、グラチョーヴァと「共通のバレエ語」で語りあっているかのようであった。
その他でめだっていたのはバ・ダクシオンの一人、デニス・メドヴェージェフ。カザノヴァファンタジーなどで主役を踊るほどの力量をもつだけあって、音楽とぴたりとあっていた。韓国のジュユン・ベも、ソリストの一人として踊ると、とてもきれいで華がある。グリゴローヴィチ版の収穫際では男女ひとりずつがメインとなるが、こうして男女四人ずつ八人でクラシックなバレエを見せてくれるのもとてもいい。
コールドは「白鳥」以上に透徹として澄んだ雰囲気が徹底していて、これまた高い水準。ただミルタを踊ったアントニチェヴァはとてもきれいなバレエを踊っていたが、これは全然役にそぐわず、かえって存在感を薄めていた。二人のヴィリー(ヤツェンコ・ウヴァーロヴァ)はそれぞれヴィリーの「班長」として、ヴィリーの性格付けをコールドに示していた。
オケも立派。第二幕、ジゼルとアルベルトの踊りの伴奏をするヴォオラのソロ−音がちょっとかすれて音程もぎりぎりずれそうでずれない−を聞けば、このオーケストラの力量のほどがわかる。
振付け、コールド、ソリストそしてオーケストラの現在の水準を考えると、ジゼルはボリショイでクラシックを味わいたいという人むけのお勧めとして、一番目が二番目に入る。お腹一杯おいしい中華を食べたい人はドンキホーテかな。
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