それと同じ高さ、つまりシャンデリアと天井画のある天井のさらにその上はリハーサル用の「小さな劇場」になっていて、結局、ボリショイ劇場の屋根は地上から40,7メートルの高さのところにある。
リハーサルホールは「大劇場」やボリショイの新館と較べるとたしかに小さいが、「小さな劇場」といっても日本的な基準でいえばステージの広さは「ちゃんとした劇場」。
オーケストラボックスはあるし(ハープも2台!)、客席も100程ある。
舞台の横幅は17メートルくらいだろうか。ちなみに大劇場のカーテンの横の長さは約21メートル、新館のステージの横幅は25メートルである※。
普段公演をみている時には天井の上にこんなところがあるなんて想像もつかないけど、知ってしまうとリハーサルホールの底が抜けたらどうなるんだろうとバカなことを考えてしまう。
もちろん内部にいる限りそんなに高いところにあるとは全然感じない。とても安定した舞台。
見学にいった時にはちょうどバヤデルカのリハーサルをやっていた。
ピアノ伴奏にあわせての、主に新人むけのコールドバレエの指導という感じであった。
そしてリハーサルホールの裏が、4頭建ての馬を操るアポロン像のある大劇場の正面。
写真の左手にみえるのがホテル「メトロポール」。右側が「モスクワ」ホテル。正面遠くの方にはクレムリンも見える。
ボリショイ劇場の前は大勢の人が集れる広場になっているので、ここからアジ演説をすれば効果抜群だが、さすがに高くて声が届かないからか、ロシア革命の際には「メトロポール」が使われた。
次に少し階を下がり、衣装部屋を見せていただいた。これは「部屋」なんてものじゃなくてデパートの催事場ほどのスペースにぎっしりときらびやかな衣装が掛けられていた。しかも2つの階にまたがって。
衣装は演目別にまとめられている。白鳥の湖、くるみ割り人形、ドンキホーテ、ファラオの娘・・・と見覚えのあるものがたくさん。衣装はすべてアーティストごとの特注品であり、それぞれに名前が書いてある。バジルならバジルの衣装が固まって吊り下げられており、えりの裏あたりに「クレフツォーフ」「ベロゴロフツェフ」「ウヴァーロフ」「フィリン」などとある。
縫製はさすが丁寧で、さわってみると質の高い生地が使われているのがわかる。金や銀の刺繍がふんだんに使われているものも多いが、意外と地味。照明に照らされてはじめてきらびやかに映えるようにできているのであろう。
それにこれらの衣装はやっぱりボリショイ劇場の華が着てはじめて値打ちがでるのである。
係の女性が着てごらんなさいとおっしゃってくれたのでオペラ関係の衣装をあさっていると、オブラスツォヴァのスペードの女王やネステレンコのかぶった帽子がでてきたので興奮した。
また、衣装部屋の一角にはシューズコーナーもあり、それも同じく裏に履く人の名前が書いてあった。
ボリショイの稽古場は5−6個だっただろうか、いくつあるのか聞いたんだけど忘れてしまった(ちなみにモスクワ・バレエ学校は大きいのが4つに小さいのが16)。
今回私が実際に見たのは4つ。そのうちの一つがコンドラーチエヴァの女性用のクラス。
これは客席最上階(6階)のクロークのある廊下の並びにある部屋を使用していた。
第一稽古場より気持ちだけ小さめのところに女性が20人あまり所狭しと11時からのレッスンをうけていた。
コンドラーチエヴァは、プリセツカヤとマクシーモヴァのちょうど真ん中くらいの世代のボリショイの往年のプリマ。
もちろん白鳥のオデッターオディーリヤをはじめ主役を総なめしていた方である(残念ながら筆者はその舞台を見るのに間に合わなかったが)。
もうすぐ70歳というのに、ロシアインテリ女性の例にもれず、そばに近づくだけで人を暖かい気持ちしてくれる雰囲気をもっている。全身が上品さとか知性とかいう言葉そのものといってもよい。
そういう先生なので、厳しさは表にあらわれず、ゆったりと時間が過ぎていくような指導をなさる。男性と同じくバーが30分、ジャンプなどが30分という時間配分である。
だけどバレリーナたちの雰囲気は先生と正反対。
舞台でみる彼女たちは、踊りが好きでたまらないというようにいつも満面の笑みを浮かべている。
もちろん職業的スマイルでもあるんだろうけど、キャビン・アテンダントの作り笑いとは雲泥の差。芸術家をスッチーを較べること自体ナンセンスだけど。
仕事中ではなく、普段着のバレリーナだって、舞台上ほどじゃないけど自然な笑みの素敵な人たちが多い。
なのにこのレッスンの雰囲気は一種殺気だっている。彼女たちの表情には微笑みの「ほの字」すらなく、かといって真剣で厳しい顔というのでもなく、何かに集中して(あるいは魂を抜かれて)表情を失ったという感じなのである。
ジゼルのウィリーたちの墓場を想像すればいい。それも、チュチュ姿ならきれいな夢の世界でもあるが、ここは稽古着。
参加していたのは、グラチョーヴァ、カプツォーヴァ、ガリャーチェヴァ、シプーリナ、ベ、コバヒッゼといったボリショイ女性陣の代表的な面々。
う〜怖かった。いつもにこにこしてるガリャーチェヴァが私の正面でお稽古してたけど、いつもと表情が全く違うので、はじめ誰だったかわからなかったくらい。
怖さの代表といえばその日の夜にバヤデルカを踊ることになっていたグラチョーヴァ。
形や動きのきれいさでは、並み居る若手の若々しさでもとてもかなわない位抜群に素晴らしかった。これぞバレリーナの姿という外面的な美しさだけではなく、職人的芸術家の魂のいぶし銀的な光をも持ち合わせていた。
だけど彼女から放たれる光には棘があって、ピリピリと張り詰める緊張感が眼前一杯にひろがっていた。コンドラーチェヴァ先生も遠慮がちに彼女と言葉をかわしながら稽古を進めていた。
と、バーレッスンの途中で、鏡張りの正面においてある誰かのバッグの中の携帯が、バイブレーションでジーとなった。
携帯の電源くらい切っておけよと思う間もなくなんとグラチョーヴァがバーを離れ、バッグの中から携帯を確認すると、部屋から出て行った。
それをきっかけに、ハイドンの「告別」よろしく、稽古途中に二人三人と他の人たちも部屋を出て行き、はじめ20人あまりいたのが稽古のおわる12時頃には3人だけになった。
終わるとコンドラーチェヴァ先生が「せっかく見にいらしてくれたのに、今日はリハーサルがあってね、途中で人が少なくなってごめんなさいね。」と説明してくださり納得。
それぞれが部屋を出る時には先生に「失礼します」とドアから挨拶していたのは、日本と同じでなるほどと思った。
女性ばかりのクラスで男の私が見学するのは気恥ずかしい気もしたが、レッスンをうけている人の中にも男性が一人だけいた。
それはプリンシパルダンサーであるフィリン。赤い着ぐるみのようなかわいい格好をして黙々と稽古をしてました。
※V.N.Zarubin, "Bol'shoi Teatr. Pervye postanovki oper na russkoi stsene 1825-1993," M., 1994. および"Novaia stsena," M., 2003より。
劇場の上の方 | ||
|
|
|
衣装部屋 | ||
|
|
|
ボリショイ劇場の舞台裏その6はこちら
「2005年のボリショイ劇場」はこちら
「2004年のボリショイ劇場」はこちら
「2003年のボリショイ劇場」はこちら
「2002年のボリショイ劇場」はこちら