ロシア・ナツィオナリヌィ・オーケストラ コンサート


2000年5月20日(土)

演目
ブラームス 二重協奏曲
ブラームス 交響曲第一番

指揮:ジョージ・クリーヴ

ソリスト:ヴラディーミル・スピヴァコフ(ヴァイオリン)、ガリー・ホフマン(チェロ)

場所:モスクワ音楽院大ホール


4月30日にあるはずだった、クレーメルをソリストにむかえてのコンサートがキャンセルになり、その代替演奏会。

指揮者、曲、ソリストなどより、何よりも印象に残ったのはロシア・ナツィオナリヌィ・オーケストラ(RNO)の響き。
それを堪能させてくれた一夜。

ありきたりの言葉でいえば、渋い音。
といっても十分に鳴っているし、管と弦のバランスもばっちりで、極上の緑茶や赤ワインの味わい。
この響きで連想するのは、プロイセンやザクセンのオーケストラはこうだったのではないか、ということ。
もちろんそれは空想中の空想。レコードなどからの想像をしたりして多少とも現実的に考えると、
ベルリンフィルと競っていた時代のベルリン・シュターツカペレやゲヴァントハウスがこうだったのでは?

ヴィーンフィルでも機能性を重んじてしまうような時代にあって、古き良きドイツ・オーケストラの伝統を継承しているオーケストラを
存続させうるというのは、善くも悪しくもロシアの特殊性のおかげなのでは。

つまり、資本主義であって資本主義でなく、「お金がすべての世の中」、「よいことをやる人ほど報酬も多い世界」になっていない、
なりえていないので、 こういうことがありえるのだ、と思える。

ソ連のオケといえば、金管が力の限り叫び、一糸みだれず、ヴィブラートをふるにきかせる弦楽群、
炸裂する打楽器、というイメージがあるが、 このオケはそれとは対極的な行き方。
芸術性を何よりも優先し、いくら効率が悪くてもよいから、納得いくまでゆっくり手をかけて
編み上げた絨毯のはだざわりをもつ弦。
それに相応するように、出せても必要以上の音量をださずに渋さの滋味をもつ管。

それがブラームスをやるのだから、悪かろうはずはない。

一つ馴染めなかったのは、芸術監督であるスピヴァコフのヴァイオリンの音色。
音質が細いのはよいとしても、響きがガラス的で、鋭い刺が耳にはいってくるよう。
1712年製のストラディヴァリを使っているそうだが、以前はもっとなめらかな音色をもつ人だったような気がする。
チェロのホフマンはカナダで生まれ。1986年にロストロポーヴィチ・国際コンクールの優勝者。幅の広い音色で、
第三楽章の第二主題は郷愁をさそい、胸にぐっとくた。

交響曲は、落ち着いた音色ではじめから最後までとおし、まさにブラームスの世界。
ヴィーンで生まれ、アメリカで教育をうけた指揮者、クリーヴは、オケのよい部分を
生かすことを中心に演奏していたのでは。第四楽章のコーダ部分では、早めのインテンポを通し、それが激情の表現というより、
むしろあっさりした印象を後に残した。その他ちょっと変化球があったが、本線から大きく逸脱することがなかったからいいけれど、
ちょっと首をかしげたくなるものが多かった(例えば、第四楽章の有名な主題を、再現部では強調してかなりゆっくり演奏させたり、
曲想の転換点でポーズをとったり)。

いつもながらの、第一ヴァイオリンの後ろにチェロ、コントラバス、ステージの右側に第二ヴァイオリンという配置
に加えて、ヴィオラの後ろにコントラバスの半分(一曲めは3人、二曲目は4人)があるという面白い構成。その試みは
成功していたと思う。 舞台右端にトローンポーン群。これは第一交響曲では効いていた。

アンコールはハンガリー舞曲第一番。渋さの中の明るさが面白かった。


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