「欲望の段階」
労働者が仕事をすることで、仕事の中に何を感じる部分を求めるか』
についての研究では、その殆どが外部要因は実際の動機づけで、限られた価値しか持たない、ことを指摘しています。
しかし、我々は、生きた人間を対象として、扱ってることを常に考えに入れなければなりません。さらに、ある人間には動機が現れても、他の人間には全く効果がないかもしれない。と、言うことを考えなければなりません。
また、可能な昇進が駄目になるのではないか。とか、会社を辞めさせられはしまいか、といった不安でビクビクするとき、本当の底力を充分にあらわす人もおります。
そうかと思うと、昇進が止まることや、職を失うことを恐れるあまり、やる気をなくし、努力することさえしなくなる人もいるのです。
他方で多くの管理者は「景気づけの話」や激励会が部下達にやる気を起こさせると思っています。
一部の会社では、定期的に激励会を開いて、参加者の精神を高揚しようとします。
効率の高い仕事を望むために、励ましのプログラムを実施したりします。
ビデオやテープを利用したり、外部の人に講演を頼んだり、論文、詩、短い引用文を朗読するなど、何れも聴衆者の「動機づけ」を狙いとしています。
これまでの経験からすると、これらはある程度の価値は確かにあります。けれども、それは、限定された価値になります。
大多数の人には、講演や、ビデオ映画の類は励ましになりますが、そういう性質のものから、何も得ることがない人もいるのです。
この種の「外部的動機づけプログラム」の主要な問題は、その場限りの短期的な効果しかないからです。
参加者達は、自分の隠れた才能と、それを引き出す方法に目を見張ります。
けれども、会場を出て2〜3日すると、ときには数時間も経過すると、すっかり忘れてしまいます。
これは、外部モチベーターの紛れもない欠点であるのです。これらには長期的な効果はありません。「外部的モチベーター」は、何回も繰り返す必要があるので、それがなければ、結局効き目を失ってしまう性質を持っています。
この様なプログラムは、参加すればするほど効果が薄くなっていきます。
それは、人間の心に同じ刺激を繰り返して与えると、習慣性になり、これに抵抗するようになるからです。
外部モチベーターには、限られた効果しかないとしますと、実際に、動機づけの出来る「内部的要因」を探し出さなければなりません。
自分自身、あるいは、宗教等の教えを、心から信じていない人が、いくら熱心に神社仏閣へお参りしたり、説法や説教を聞いても、それに力づけられることは先ずないでしょう。
また、真の信者なら説法も説教も必要としないと思います。
経営者の目標は、従業員が仕事と会社を心から信じるようにすることです。
心理学者のアブラハム・マズローは、人間が生活で追い求めるものを分析した結果、「要求のヒエラルキー(段階)」という説を打ち出しました。
この説の根底にあるものは、「人間は欲望の動物である」という原則です。
人間の要求は、一つが満たされると、すぐまた別の要求が現れます。
人間は要求を満たすために一生懸命働きますが、その要求が満たされると、更にいままでより高い要求を満たそうとするのです。
人間の要求する仕組みは、幾つかのレベルに、組織化されております。
一番下のレベルが生理的要求‥‥です。生きたいというそのものの要求です。
根本的に生きることに関心を持たざるを得ない場合、他の要求は一切出てきません。飢餓の状態で飢えているときは、食物以外に興味や関心がなくなる訳です。
しかし、三度三度充分に食事が出来ると、空腹は、もはや重要な要求でなくなります。
これは、その他のあらゆる生理的要求‥‥。休息、保護、暖かさなど‥‥。にも当てはまります。
これらの生理的要求が満たされると、生活の基本的部分には関心を持たなくなり、次のレベルの要求が、人間の行動を支配し始めます。
それは「安全要求」といわれるものです。危険、脅威、不安定さから身を守ろうとする要求になります。
産業界における脅威というのは、従業員に不安を抱かせる経営者の気まぐれな行動の場合もあります。また、えこひいきとか、差別待遇といった経営者が不公平な取扱いをすることでも、起こりがちです。
労働者であろうと、専務取締役であろうと、従業員が仕事を「安全」だと思わなければ、他のどんな動機づけも役に立たず、効果を失うことになります。 つづく
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