1984年4月 んで地元の静岡にはFISCOでフレッシュマンやってる人達が出入りするレース屋さんがけっこうあったりで、地元の峠に集まってくるハチロクってけっこうフレッシュマンそのままの足だったりしたんすよね。当時は東京に住んでたんでそーいったいい情報が入手しにくかったんすよね。んで次に行ってみたのがTBSさん。当時国内ラリーはハチロク一色でして、よく月刊誌のプレイドライブ買ってたんすが、そこにハチロクで富士のフレッシュマンレースやってるって広告出てたんで行ってみる事に。そこで入れたのが定番のTRDフロントオイル27レース用ショートにリアがなんだっけなー、ダルマセリカ用の低圧ガス8段だっけかなー。んでTRDノーマル形状の4.3キロスプリングにスペーサー。えらいドライ向きで調子いい。なーんだみんなこれで走ってたのかーみたいな。当時は社外メーカーにまともなショックがなくてTRD製が文句なしぶっちぎりの性能だったんすよね。しかし当時は車検が厳しく当局によるハチロク狩りなんつーモノが横行してたりして、いやいやいやいや、なかなか足いじるだけでもタイヘンな時代でした。シャコチョーなんかヤバくて入れられねーみたいな雰囲気だったんすよね。シャコチョー入れるっつーたら特攻服着て屋根切った車に乗るくらいの根性なきゃ入れられない?みたいな。捕まってもノーマル皿切っちゃうワケだからノーマルストラットに戻せないワケだし?新しい車だから解体屋にストラットゴロゴロしてたワケでもないし?今じゃ考えられない感覚っすけど。 その後タイアのグリップ上がってもっと硬い足ほしくなって、改造車検制度ができたんで改造申請書類付きのリボルバさんの8K6Kバネだっけかな、そのへんのサスを通販でとったり、この辺からは自分で組むよーになっちゃったんで脚の事では店にはいかなくなっちゃったんすよね。いろいろ部品とってはいろいろ組んでみたいな。 1990年くらい? 地元の峠でオニ速のマニラ氏がハチロクチューンの相談で沼津のテクニカルさんに行くってんで金魚のフンみてーについてったのがテクニカルさんとの付き合いのはじまりっす。テクニカルさんは富士レース村の神様の1人スリーテックの西尾さん系列の人で西尾さんやニスモ系のニッサン関係者と交流があり、そうそうニッサンのデイトナで勝ったVRH?エンジン作った林さんともよく連絡とってたりニッサン系に通じてた方でした。テスタロッサさんとか、えーーなんだっけなー、1回セリカのエンジンスワップの相談で東京いって1回話した白石さんだっけかなー、えーーー、本当に西尾さんの直下で働いてた人たちとはまた違うみたいなんすが出入りして交流はあったみたいです。思想を受け継いでたみたいな。んでL型で記録だしてけっこうカーボーイとかにデカデカ出てたりL型全盛時代あちこちに顔出てた方でした。ガレージカレラの社長さんもテクニカルの元お客さんだったり、テクニカル出身のショップさんっつーと小野エンジンワークスさんとかピストさんとかアウトトラッシュさんとか。カムコワークスさんも元テクニカルのお客さんだったり。そうそうテクニカルのステッカーで全国のサーキットの草レースめぐりしてるとけっこう声かけられるんすよね。えーーー、これも名前忘れた、ハチロクで最高速記録作ってそれこそハチロクヘッドのポート埋めやった人、いしづきさんだっけかなー、あの人もなんかテクニカルさんと関係あって声かけられた事あったんだよなー。んな感じでけっこうみんな繋がってたりします。そうそうテクニカルのステッカーはかなりオーラがあって有名だったんすよね。 いや話だいぶそれちゃいました。ハチロクの話にもどりますけど、もうすでにこの時自分もGTR持ってたんすがとりあえずハチロクの相談で行くってんでハチロクで出動。ところが店に向かいだしたら突然ハチロク不調になってなんとかたどりつけた状態。どーもガスケット抜けてるっぽい?みたいな。初めて店行ってその場でハチロク置いてくる事に。いやもうその当時で十数万キロ乗ってたんすよね。寿命じゃろみたいな。富士のフレッシュマンのハチロクレースでも何度も優勝してるってんでそのままお願いしまーすみたいな。そうそうニッサン系L型チューンで有名でその流れで出たばかりの32GTRもいっぱい入っておって、結局これがきっかけでハチロクだけでなくてGTRもやりだして草レースにハマる事になったんすけどね。んでとりあえずこの時はハチロクのガスケット抜けをきっかけに十数万キロ乗ったエンジンやりまおしちゃいましょみたいな感じになりまして、腰下は手間かけて組むよりショートブロック買った方がいいよってんで、92ショートブロックを注文。ちょうど101レビンの5バルブ4A−Gが出たばっかの頃だったんすよね。92ショート注文したらコンロッドが101タイプでしてオーーみたいな。んでヘッド思い切り面研してHKS264カムIN、EXに入れたらノックでまくり。うーーん、ションベンカムでこの圧縮はやべーでしょってなワケでターボガスケット入れて圧縮戻し。バルブカツカツまでめいっぱい面研しちゃったんでもっとデキャーカムでないと実質の圧縮上がり過ぎちゃうんでない?みたいな。いや正確な圧縮わからんっつーもんでワタスがヘッド実測して図面作って面研量から計算で圧縮比出したりしていろいろ検討したりしやした。自分で圧縮比計算で出してきたらテクニカルさんも面白いヤツだってな事でより仲良くなれたみたいなとこありまして。んで何ミリのガスケット入れよか決めて装着みたいな。んで実際調子が出はじめたのがアンフィニの簡単な燃料増量装置をつけてからですかね。カムが入って吸気増えた分の燃料入れたら走る走る。この頃が一番調子えかったでつ。ボッシュのダイナモで145馬力程度でしたが峠だったら自分の400馬力以上出てるGTRよりぜってーはえーよ状態。うーーーん。この頃が一番ハチロクえかったよなー。この仕様で1990年台を過ごす。1997年にホムペ開いて知り合ったぞさんの紹介であるコンピュータ屋さんに264ライトチューン仕様にあわせたコンピュータ作ってもらったらさらに調子でまして。これはホムペに書いてありやすね、「40ピンのソケットタイプのワンチップ専用EP−ROMに交換」って事らしい。なんて名前のコンーピュータ屋さんだっけかなー。サードスープラのコンピュータやってるとか聞いたけど。うーーん。いかん最近の頃になればなるほど忘れてる。年は食いたくないもんす。にしても当時はGTRで雑誌主催の派手目な草レースでそこそこの成績おさめるくらいの程度には走れてた時代だったんすが、それでもハチロクの方が峠じゃ自分のGTRよりハエーよなーみたいな。けっこう雑誌の業界レースとかでもそこそこ走れてる状態だった自分のGTRよりハエーGTRでも現われない限り峠ならハチロクで負ける気しねーってな感じいまして、うーーん、一番ハチロクが楽しかったのがこの仕様の時ですね。はい。 1998年以降 30歳代になると地元でいっしょに走ってた人達も落ち着いて走り車卒業しちゃうケース増えてきたりしてたんすが、ホムペはじめた事で同世代でもしつこく車やってる全国の濃い人達と知り合う事ができるよーになりまして。その盛り上がりで出てきたのがハチロクの300度カム化計画。実際雑誌の草レースの「ハチロク世界一決定戦」とか見ても300度以上のカムで結果出せてるのはごくごく一握りの数台だけでして、その直後に続くのは264カム仕様とかのライトチューンの走りこみ系。んでビリの方にどーにもまとまらない300度カム系の激しくいじった車がいっぱいたまってるみたいな構図になってました。下手にこの手のハードチューンに手を出すとハマってノーマルより遅くなるケースが非常に多いってのは充分にわかってはいたんすが、この時点で同じ1台のハチロクに15年も乗ってたんで一度でいいから300度オーバーのカム入れてみたいよなーってのがありまして。何度目かわからんハチロクブームが盛り上がってたのもあって勢いでエンジンやる事に。 300度の11ミリリフトカム入れるには純正のアウターシムじゃまずいんでインナーシム仕様に変更するんすがTRDの部品はタケーんすよね。それでHKSのインナーシムの入ったヘッドを中古で仕入れたんすが、HKSの部品計測したらものすげー重かったんでこんなもん組めないって却下されちゃいまして。金ドブに捨てたーみたいな。しかしレース用部品風な製品なのになんで純正より重いの?みたいな。答えはひとつ、見せかけだけで商売してるHKS製品だからみたいな。やべーー。改めて軽いTRD新品を買う事に。うへーー。 ところが結局筑波では油温管理がおいつかず涼しいシーズンだったのに1周しないウチに油圧ドロップする症状が出てパワーバンド6千回転からなのに7千リミットでシフトアップしてかないと油圧がもたない状態でロクに走れず。んで対策で自分でオイルクーラーを装着する事に。この頃オートワークスの取材でみんなで出かけたんだよなー。 そのヘンのカラクリがだんだん見えてきて困ったなーみたいな。なんでも200オーバー狙うには86ヘッドのポート形状だと無理だと。実際ハチロクのグループA時代は200馬力弱だったそーで。いやレース屋さんの数値は辛いから街の話をは違うんでしょーけど。それにパワーバンド6000以上なら9000くらいまで回したい所ですが純正クランクだとレース何戦かで曲がってしまうそーで最低TRDオプションクランク(18マン?絶版)が必要だと。部品買えないし高いしみたいな。そーなると300度カムを活かす方法ないじゃんみたいな。でもせっかくあこがれのカム入れたからハズすのもったいないし。でもカム活かす回転までまーせるクランクもなければ、カム活かすパワーだせるポート形状のヘッドがついてるワケでもないと。うーーーーーん。こまったなー。そんな中で300度カムの乗り物なら12Rとか買えばいいんじゃない?ってな事で思わず12R買っちゃったり。どーもL型の300度カムのあの刺激的な加速にあこがれありまして、バイク買ったり、仕上るハズのない300度カムハチロクをいつまでもそのままにしてたりみたいな。いやS30買えばええんでしょうけどね。かなり気合必要だし置く場所もねーし。いやいやいやいや。 2003年 そうそうひげさんの紹介でた20年くらい前フレッシュマンレーサーだった人と知り合いになりまして、当時参加者が多くて3クラスくらいにわかれてレースしてた時代にスポンサーついてチャンピオン争いしてたっつーくらいすごい人なんですが、彼のいきつけのセリザワレーシングさんに遊びにいったりもしました。いや20年くらい前、地元の峠に本物のレーサーが当時としてはかなり激しい白のまんまレースカーみたいなKP61(FRスターレット)でタマにやってきて、それがまたドエライハエーって噂よく聞いた事あるすが、それご本人の事だったみたいです。当時みんなそのKPにあこがれてKP白く塗ってる人がけっこういたくらいでして、いやいやいやいや伝説の人にお会いできて光栄だったす。はい。んでセリザワさんでいろいろな話になってコンピュータやるならモーテックおぼえれば他の車種に展開もしやすいし?なんてアドバイスもらいまして。なるほどなーみたいな。ボデイ補強の考え方なんかも独特で面白かったです。そうそうマッドさんもまた違う考え方で、実戦で結果出されてる所もいろいろなアプローチあってうーーーん、面白いもんだなーみたいな。そうそうセリザワさんは補強するなら車一回切ってバラバラにしてから組まないと精度でないって発想でした。そうそう燃料やるならベンチが基本だって考え方だったり。いやーーー日本のグループA開幕戦で上のクラスのDR30スカイラインをぶち抜いて総合優勝したトランピオレビン作ってたんすよね。うーーーん、あこがれのレビン作ってた人がこんな近所にいたなんてみたいな。いやいやお話できただけでも感動でした。いやニッサンがあのレビンは八百長だってオフィシャルに抗議してハチロクを分解車検したけど何もでなかったってのは伝説になってますもんね。いやいやいやいやいやいや、痛快だったよなー。うーーーん。んでセリザワさんで紹介してもらった板金屋さんでフレーム修正やる事に。やはり元レーサーの方がやってらしてレースカーやレストアカーがけっこう入ってました。ボデイは基本ですもんね。そこでパネルボンドとか教えてもらいまして。そだカートリッジガン貸してくれるって話になってたんすよね。いやいやいやいやいや。あそこでのお話も楽しかったです。どーもありがとうございました。みたいな。 2004年 そうそう話がいろいろになってアレですけど、ひとつ別の問題。70ミリファンネルの101の4スロ仕様だったんすが吸気音がすげーんすよね。低速ないんで普通の交通の流れにのせよーとするとある程度ストッロル開かないといかん。そーするともう爆発音ですよ。車の音ってより爆弾の音みたいな。とても街では乗れない状態。いやアイドリングでスロットル閉じてれば陸自の車検ちゃんとそのまま通るくらい静かなんすがスロットルあけるとヤバイ。とても車庫から出せない状態。実際カムとヘッドとクランクのミスマッチングでホントの速さ狙えない状態なのに爆音のせいで普段も乗れないんじゃーまるで役にたたない置物状態。こんじゃヤベーって事でとりあえず車庫から出せるよにまず音静かにしましょみたいな。とりあえず70ミリファンネルやめてインダクションボックス装着。中に1センチくらの短いファンネルを加工して装着。最近になって264カム時代につけてたRSRの車検対応?60パイデフ上マフラーに交換。これでアイドリングはノーマルカー並に。 2005年 なにせフリーダムのスロポジ制御なんで給排気かわったらマッピング変更しにゃーとやべーんじゃろなーって思ってたんすが、乗ってみたら案外大丈夫っぽい。いや音静かになったんで踏んでも爆弾音出ないんで流れにのせやすい。実際にちょと低速トルクも出た感じで、うーーん、移動にはこの方が断然便利?みたいな。多少上が犠牲になってもこれで乗ればけっこう使えるかも?みたいな。 これまたあきぽんに作ってもらって1年くらい寝かしてあったVW製センサを使ったA/Fメーターを装着したんすが、うーーーん、けっこう普通っぽい数値?いやアイドリング濃いらしーすけど。とりあえず300度カムなのにエアコンコンプレッサー戻しちゃうしマフラーもファンネルも戻しちゃった中途半端仕様だけど音静かだし、まず車庫から出せる仕様である事が重要でしょってなワケでこの仕様であぶらさんに燃調見てもらおと御殿場でかけた所でメタルトラブル。 ってな感じで現在に至るワケです。 エンジンあけてみにゃーとわからんですけど、うーーーーーん、次どーしよーかなー。前から次いくならもうノーマル160馬力の5バルブ4Aにスワップしてエアコン付きで楽に乗ろかな?なんて思ってたりもしたんすが、うーーーん、ハチロクが多少実用的になったって実用度じゃキューブにはかなわんし。うーーーんみたいな。こんどーさんがエキマニ見て「1600にしちゃー太すぎでない?」みたいな。EXポート削りシロまだありますよっつーたら「削るとトルクへっちゃうよ」みたいな。うーーーん、んで「まだこの304カムで本当の性能味わってないんでしょ?」みたいな。「ハチロクでビュンビュンやってる連中の仕様ってこーいう風なの?」 ってんで筑波で1秒とか0秒とか出してる人達の事っすよね、だいたい300度オーバーみたいすよっつーたらこんどーさん (にんまり) みたいな。いやどーせやるなら過激なのでしょってな感じだったんで。うーーーーん。いやっトヨタ車あんましやらない?こんどーさんが動いてくれるならそりゃーーやっぱもう一回チャレンジしなきゃいかんよなーみたいな。いやいやいやいや。いやなにせもう富士はトヨタ資本になっちゃいましたし、最近はトヨタのワンメイク車両がけっこう入ったりしてますし。えへへへへ。その流れで、いやいやいやいや。まずエンジンあけてから1本だけメタル修理で済ませちゃうか、仕様に問題あれば4本とも変更か、まずそのヘンからですね。それとジュビライドポートアダプタをあるもので埋めて86ヘッドの92ポート化は最低条件みたいな?いやいやいやいやいや。FCRってスライドバルブだからトルク出るんだよねーみたいな。それもそーだよなーみたいな。やべーーーー。今まで解決しなかったものなんとか解決しとかにゃーとクイを残すよなー。うーーん、かもしんない。いやいやいやいや。 20歳の時新車で買ったハチロク。もう今年で42歳だっつーのにまだやんの?みたいな。やべーーーー。いややめちゃったら後悔しそーだし。えへへへへへ。いやいやいやいやいやいや。いっちゃえーみたいな。昨日ちょっとだけテスト走行でエンジンぶちまーして峠っぽいとこ走ったら楽しかったもんなー。やっぱなー。ハチロクはやめらんないよなー。うーーん。 そうそう昨日御殿場むかう途中でっけーキャデラックの見た事もねーよーな霊柩車が隣走っておって後ろいつまでもついてきたり横並んでこっち見たりしてたんすよね。ははーん、運転手昔ハチロク乗ってやがったな?みたいな。キャデラック運転しててもハチロク見ると血が騒いじゃうのかな?みたいな。ハチロクも最近あんまし走ってないっすからね。はい。うーーーん。そうそう、それと道中沼津のテクニカルさんの元社屋の前にハチロクとめて供養かねて写真とったりもしたです。うーーーん、あれがテクニカルさんの遺作エンジン積んだ最後の写真になっちまったとは・・・。うーーーん。 にしてもくでえページだ。読む人いるんかい。なんでもええきゃ。 |