1984年4月

トヨタカローラレビン2ドアGT−APEXを新車で購入。パワステレスのGTVと相当迷うもののスタイルの好みで2ドアに。同じくローレシオではあるもののパワステレスのGTはリアドラムなんで豪華装備のGT−APEXを選択。学生時代だったんでガソリン代出すだけでイッパイイッパイでただひたすら峠を走るだけ。1990年2月に32GT−Rを新車で購入するまでファーストカーとして足まわり交換のみで走りまわる。それでも当時は国産で一番速い車だったんでエンジンとか改造する必要性もなかったんすよね。いやっ、今でも必要にゃーか。

1984年〜1990年

1984年から1990年の6年間の東京生活時代にやった改造は足回りのみ。84年に新車買ってけっこうすぐだったかなー、最初に相談に行ったのが当時ダートラ屋さんだったJAMさん。雑誌にJAMさんの店長さん直筆の濃い感じの1ページ広告がよく出てましてね。けっこういろいろハチロクの事とかくわしく書いてあって。今考えてみればあのキャラの濃そうな感じにひかれたのかもしれないみたいな。店行ったら丁度その広告原稿を手書きで書いてる所でした。んでハチロクの足やってもらいたいって話をしたら店長が「何のために足やりたいんだ?峠走るだけ?ウチはそーいったモノはやらない」 っといいつつ 「ツバキラインで8分出せるか?」とかいろいろ峠の話になって自分のトレノと同じ足入れてあげるって事になりました。んで選択してくれたサスはTRDのラリー用前後ショックとTRDラリースプリング(フロントのみ2.2キロ)。ラリー用なんでえらいアンダー。雨の日や安倍川の河原だと自由自在にコントロールできるもののドライの峠では自分にはこなしきれず。今になって考えてみれば当時はタイアのグリップも低かったし店長相当の腕利きだったんであんくらいアンダーでトラクション重視のサスの方が峠でもタイムだせたんじゃろなーみたいな。ある意味すごかったよなーみたいな。その後JAMさんもストリート系のハチロク作りに力を入れはじめてTRDのレース用ストラットをキットにして売るよーになったんすよね。千葉で開かれた雑誌主催のヒルクライム大会でハチロクで優勝して元はダートラ屋さんだったJAMさんがその後峠サスとかで有名になりだしたんすよね。自分が最初店に行ったのはまだその前の段階の頃でした。ドリドリがザ・峠ってビデオで話題になってプラスピーっつー店にベータ版のビデオカセット買いにいったりしたものこの頃?圭オフィスが出来る前にドリドリが出入りしてたコルスって店でザ峠ピデオの影響力使ってTRDのフルキット売ってたのもこの頃。結局究極はTRDのレース用サスって時代だったです。なんせTRD製品は27時代からの実戦のレースでのノウハウの蓄積がありますからね。はい。TRD自体はこのFRカローラの開発も20年前に終わっちゃってるんで今となっては社外品もけっこう出てきてはいますが。うーーーーん、でもTRDにモノおさめてたトキコのHTSなんてけっこういい感じでないんすかね。わからんすけど。話それましたが。

んで地元の静岡にはFISCOでフレッシュマンやってる人達が出入りするレース屋さんがけっこうあったりで、地元の峠に集まってくるハチロクってけっこうフレッシュマンそのままの足だったりしたんすよね。当時は東京に住んでたんでそーいったいい情報が入手しにくかったんすよね。んで次に行ってみたのがTBSさん。当時国内ラリーはハチロク一色でして、よく月刊誌のプレイドライブ買ってたんすが、そこにハチロクで富士のフレッシュマンレースやってるって広告出てたんで行ってみる事に。そこで入れたのが定番のTRDフロントオイル27レース用ショートにリアがなんだっけなー、ダルマセリカ用の低圧ガス8段だっけかなー。んでTRDノーマル形状の4.3キロスプリングにスペーサー。えらいドライ向きで調子いい。なーんだみんなこれで走ってたのかーみたいな。当時は社外メーカーにまともなショックがなくてTRD製が文句なしぶっちぎりの性能だったんすよね。しかし当時は車検が厳しく当局によるハチロク狩りなんつーモノが横行してたりして、いやいやいやいや、なかなか足いじるだけでもタイヘンな時代でした。シャコチョーなんかヤバくて入れられねーみたいな雰囲気だったんすよね。シャコチョー入れるっつーたら特攻服着て屋根切った車に乗るくらいの根性なきゃ入れられない?みたいな。捕まってもノーマル皿切っちゃうワケだからノーマルストラットに戻せないワケだし?新しい車だから解体屋にストラットゴロゴロしてたワケでもないし?今じゃ考えられない感覚っすけど。

その後タイアのグリップ上がってもっと硬い足ほしくなって、改造車検制度ができたんで改造申請書類付きのリボルバさんの8K6Kバネだっけかな、そのへんのサスを通販でとったり、この辺からは自分で組むよーになっちゃったんで脚の事では店にはいかなくなっちゃったんすよね。いろいろ部品とってはいろいろ組んでみたいな。

1990年くらい?

地元の峠でオニ速のマニラ氏がハチロクチューンの相談で沼津のテクニカルさんに行くってんで金魚のフンみてーについてったのがテクニカルさんとの付き合いのはじまりっす。テクニカルさんは富士レース村の神様の1人スリーテックの西尾さん系列の人で西尾さんやニスモ系のニッサン関係者と交流があり、そうそうニッサンのデイトナで勝ったVRH?エンジン作った林さんともよく連絡とってたりニッサン系に通じてた方でした。テスタロッサさんとか、えーーなんだっけなー、1回セリカのエンジンスワップの相談で東京いって1回話した白石さんだっけかなー、えーーー、本当に西尾さんの直下で働いてた人たちとはまた違うみたいなんすが出入りして交流はあったみたいです。思想を受け継いでたみたいな。んでL型で記録だしてけっこうカーボーイとかにデカデカ出てたりL型全盛時代あちこちに顔出てた方でした。ガレージカレラの社長さんもテクニカルの元お客さんだったり、テクニカル出身のショップさんっつーと小野エンジンワークスさんとかピストさんとかアウトトラッシュさんとか。カムコワークスさんも元テクニカルのお客さんだったり。そうそうテクニカルのステッカーで全国のサーキットの草レースめぐりしてるとけっこう声かけられるんすよね。えーーー、これも名前忘れた、ハチロクで最高速記録作ってそれこそハチロクヘッドのポート埋めやった人、いしづきさんだっけかなー、あの人もなんかテクニカルさんと関係あって声かけられた事あったんだよなー。んな感じでけっこうみんな繋がってたりします。そうそうテクニカルのステッカーはかなりオーラがあって有名だったんすよね。

いや話だいぶそれちゃいました。ハチロクの話にもどりますけど、もうすでにこの時自分もGTR持ってたんすがとりあえずハチロクの相談で行くってんでハチロクで出動。ところが店に向かいだしたら突然ハチロク不調になってなんとかたどりつけた状態。どーもガスケット抜けてるっぽい?みたいな。初めて店行ってその場でハチロク置いてくる事に。いやもうその当時で十数万キロ乗ってたんすよね。寿命じゃろみたいな。富士のフレッシュマンのハチロクレースでも何度も優勝してるってんでそのままお願いしまーすみたいな。そうそうニッサン系L型チューンで有名でその流れで出たばかりの32GTRもいっぱい入っておって、結局これがきっかけでハチロクだけでなくてGTRもやりだして草レースにハマる事になったんすけどね。んでとりあえずこの時はハチロクのガスケット抜けをきっかけに十数万キロ乗ったエンジンやりまおしちゃいましょみたいな感じになりまして、腰下は手間かけて組むよりショートブロック買った方がいいよってんで、92ショートブロックを注文。ちょうど101レビンの5バルブ4A−Gが出たばっかの頃だったんすよね。92ショート注文したらコンロッドが101タイプでしてオーーみたいな。んでヘッド思い切り面研してHKS264カムIN、EXに入れたらノックでまくり。うーーん、ションベンカムでこの圧縮はやべーでしょってなワケでターボガスケット入れて圧縮戻し。バルブカツカツまでめいっぱい面研しちゃったんでもっとデキャーカムでないと実質の圧縮上がり過ぎちゃうんでない?みたいな。いや正確な圧縮わからんっつーもんでワタスがヘッド実測して図面作って面研量から計算で圧縮比出したりしていろいろ検討したりしやした。自分で圧縮比計算で出してきたらテクニカルさんも面白いヤツだってな事でより仲良くなれたみたいなとこありまして。んで何ミリのガスケット入れよか決めて装着みたいな。んで実際調子が出はじめたのがアンフィニの簡単な燃料増量装置をつけてからですかね。カムが入って吸気増えた分の燃料入れたら走る走る。この頃が一番調子えかったでつ。ボッシュのダイナモで145馬力程度でしたが峠だったら自分の400馬力以上出てるGTRよりぜってーはえーよ状態。うーーーん。この頃が一番ハチロクえかったよなー。この仕様で1990年台を過ごす。1997年にホムペ開いて知り合ったぞさんの紹介であるコンピュータ屋さんに264ライトチューン仕様にあわせたコンピュータ作ってもらったらさらに調子でまして。これはホムペに書いてありやすね、「40ピンのソケットタイプのワンチップ専用EP−ROMに交換」って事らしい。なんて名前のコンーピュータ屋さんだっけかなー。サードスープラのコンピュータやってるとか聞いたけど。うーーん。いかん最近の頃になればなるほど忘れてる。年は食いたくないもんす。にしても当時はGTRで雑誌主催の派手目な草レースでそこそこの成績おさめるくらいの程度には走れてた時代だったんすが、それでもハチロクの方が峠じゃ自分のGTRよりハエーよなーみたいな。けっこう雑誌の業界レースとかでもそこそこ走れてる状態だった自分のGTRよりハエーGTRでも現われない限り峠ならハチロクで負ける気しねーってな感じいまして、うーーん、一番ハチロクが楽しかったのがこの仕様の時ですね。はい。

1998年以降

30歳代になると地元でいっしょに走ってた人達も落ち着いて走り車卒業しちゃうケース増えてきたりしてたんすが、ホムペはじめた事で同世代でもしつこく車やってる全国の濃い人達と知り合う事ができるよーになりまして。その盛り上がりで出てきたのがハチロクの300度カム化計画。実際雑誌の草レースの「ハチロク世界一決定戦」とか見ても300度以上のカムで結果出せてるのはごくごく一握りの数台だけでして、その直後に続くのは264カム仕様とかのライトチューンの走りこみ系。んでビリの方にどーにもまとまらない300度カム系の激しくいじった車がいっぱいたまってるみたいな構図になってました。下手にこの手のハードチューンに手を出すとハマってノーマルより遅くなるケースが非常に多いってのは充分にわかってはいたんすが、この時点で同じ1台のハチロクに15年も乗ってたんで一度でいいから300度オーバーのカム入れてみたいよなーってのがありまして。何度目かわからんハチロクブームが盛り上がってたのもあって勢いでエンジンやる事に。

いやテクニカルさんには300度オーバーカムのL型積んだS30Zとかがウヨウヨしてましてね、音とか加速感とか最高なんで一度あーいう仕様の車に乗ってみたいなーってのがありまして。その為にS30買うのもタイヘンなんでとりあえずハチロクで同じ300度カム入れてみるのもいいかなーみたいな。そうそうテクニカルさんとよく店で雑談してて目の前の国1を激しい仕様のハチロクが通ったりすると、「ウチにあーいう激しい車入ってこないかなーっ」てよく言ってたりしたんで、そんじゃー自分のでやってよみたいな。そんな感じでハチロク300度カム化計画がはじまりました。

当時ネット知り合ったクーペさんと間瀬の耐久草レースでチームつくってハチロクで参加したり、オヤジハチロクステッカー作ってオフ会さかんにやってたりしてまして、クーペさんいきつけのジェネシスさんも最近ストリート系の車もやってくれるって話があったりして、うーーーーーん、なにせホンダのセナターボF1時代の技術面の主導者みたいな人っすからね、いやくーぺはんもそーだし、泣く子も黙るみたいなすげー人たちなんで、うーーーん、とっても引かれたのですが、長年の付き合いがあったのとL型と同じコンセプトで4Aもやってもらいたいって部分があったんでテクニカルさんで4Aのフルチューンを進める事に。

当時はホンダブイテックエンジンが全盛時代でして、部品を単体でとったり整備書のクリアランスとかチェックするとどーもホンダはエンジンパーツにかなり拘りあっていいモノ使ってるって事で、それなら4Aにホンダのピストン入れたら?みたいな。ヘタな社外ピストン入れるよりホンダ製の方が安いしモノいいでしょみたいな。カタログパワー120馬力程度の4A純正ピストンで200馬力オーバーはヤバイかもなんでホンダブイテック用のピストンならカタログで200馬力オーバーうたってるワケだしボアもたまたま同じだし入れたら面白いじゃない?みたいな。結局ピストンピンのフルフロー化とかいろいろはじめたらやっかいな加工がいろいろ必要になってきまして、パワークラフトのカシマさんの所に行っていろいろ複雑な加工をお願いしたりしました。とにかくホンダのピストンで4Aをまわしてみたい、みたいな。最初そこから入ったんで思った以上に複雑な加工が必要になり、うーーーん、かしまさんが複雑な仕事安くやってくれたんで非常に助かったです。ありがとうございました。

300度の11ミリリフトカム入れるには純正のアウターシムじゃまずいんでインナーシム仕様に変更するんすがTRDの部品はタケーんすよね。それでHKSのインナーシムの入ったヘッドを中古で仕入れたんすが、HKSの部品計測したらものすげー重かったんでこんなもん組めないって却下されちゃいまして。金ドブに捨てたーみたいな。しかしレース用部品風な製品なのになんで純正より重いの?みたいな。答えはひとつ、見せかけだけで商売してるHKS製品だからみたいな。やべーー。改めて軽いTRD新品を買う事に。うへーー。

んで苦労してできあがったエンジンにヘッドを組み付けた1999年末、カムのタペクリ調整だけ残してテクニカルさんが突然亡くなられちゃったんすよね。うーーーーーん、もう4年以上になるけど実はGTRやハチロクに乗るといまだにテクニカルの杉澤さんの事が頭に浮かんで離れない状態でして。うーーん、この遺作エンジンの4Aをなんとかモノにしなければみたいなつもりでいました。中途半端に残ったエンジンのタペクリ調整作業を自分でやる事に。ダイアルゲージ買ってシム買ってストーンで調整してみたいな。ちょと音からすると広めになっちゃってるみたいすけど。

んでエンジン組みあがったもののなにせ300度カムなんでバキューム制御のコンピュータではエンジンかけるところまでいきそーにない。いや杉澤さんとエンジン作る前に今さらキャブに逆戻りって手はないし、シングルスロットルでいいからコンピュータでエンジンまわそうって話してたんで、TRDマルチコンピュータを激安で入手。とりあえずそれでチャレンジ。地元のホットスタッフさんの協力で連日試行錯誤。この時GTVの解体車部品取りで買ったんで念願のクイックレシオ重ステラックを移植したんすよね。そうそう。んでテクニカルさんで知り合ったハ師匠にも何度か来てもらってコンピュータいろいろチャレンジ。そうそうけっこうROM焼きもやったんだよなー。自分も基本がわかってにゃーんでエンジンアイドルさせる事ができず挫折。いや負圧の出ない300度カムでバキューム制御はけっこう無理な話だったんすけどね。でもカシマさんに聞いたらグループA時代のAE82とかTRDマルチで一応動いてたとか。ならやってできない事はない?みたいな。にしても当時ハチロク草レース界でもインジェクションで300度は無理でキャブに戻すのが常識だったんすよね。インジェクションでも走るには走るけどキャブの何割落ちが当たり前みたいな。インジェクション車がいてもインジェクションなのにここまで走りますってレスキューが必ず入るくらいキャブ車が主流だったんすよね。FCRがけっこう人気だったです。そうそうFコンの金プロもけっこう情報集めたんですけどね。うーーーーん。いろいろあって却下みたいな。わるかーねーんじゃろけどイマイチ性能が中途半端みたいな。

同時スタートで激しいハチロク作りはじめたクーペさんは、なにせ本職だし技術者でスキルも違うんでどんどん車仕上げてウエーバーアルファー代理店やジェネシスさんの協力でハチロクN2決戦に出場するとこまでいっちゃったんすよね。いやーーーずいぶん見えないとこまでいっちゃったなーみたいな。300度カムエンジンまわす決定的なコンピュータがない時代でうーーーん何買っていいかわからんし、いやウエーバーアルファやるにはまとまった金いるし、他の物買っても300度カムのインジェクションってあまり前例ない話だから失敗するとヤベーしってんで立ち往生してたらWPOさんが丁度あいたフリダム貸してくれるってんで借りる事に。当時これまたハチロク最速N2決戦で唯一?フリーダムコンピュータのインジェクションでトップ争いしてたテクノプロスピリッツさんにセッティングお願いしてまずハチロクを動かしてもらおうみたいな。動かない300度カム積んだハチロクをローダーで茨城まで運んでその3日後に開かれる筑波の走行会に出ちゃおうみたいな乱暴な話。いやーーテクノさんにはほんとうにお世話になりました。すげーーー短時間でいい仕事してもらいまして。ウンともスンとも言わなかったエンジンをあっという間にかけて、デフ下マフラーテクノさんのが在庫切れだってんでクリスタルボデイさんに急遽モノ送ってもらってテクノさんで装着してもらって、キャッチタンクつけてもらって、そうそう念願のシャコ調にして、んで最終的な燃料調整みたいな。ずいぶん短時間でいろいろやってもらって本当に感謝感謝でした。テクノさんの技術者のAさんともいろいろ話しさせてもらったですけど、ほんとに勉強熱心でほんとアタマが下がるってかすごい人だなーみたいな。いや実際この趣味やってるといろんなすごい人達に出会えるのが一番面白かったりするんすよね。そうそう。

2002年

ところが結局筑波では油温管理がおいつかず涼しいシーズンだったのに1周しないウチに油圧ドロップする症状が出てパワーバンド6千回転からなのに7千リミットでシフトアップしてかないと油圧がもたない状態でロクに走れず。んで対策で自分でオイルクーラーを装着する事に。この頃オートワークスの取材でみんなで出かけたんだよなー。

んで試しにボッシュのシャシダイで計測したら145馬力しか出てなかった。うーーーーん。264カム時代のグラフと重ねるとピークこそ同じでも300度カムの特性で中間が恐ろしく痩せてるんでパワーカーブの面積比較するとポンつけ264カムのノーマルエンジンの半分もない状態。どーりでエアコンハズしたのに筑波のタイムアップしなかったわけだみたいな。パワー半分じゃんみたいな。それで対策委員会。

ハチロクヘッドのポートはT−VISっつー可変バルブ機構があるために途中でチャンバー形状に広がってるんすよね。そのまんまT−VIS可変バルブをとっぱらうと丁度触媒の中身だけくりぬいたよーなチャンバー形状になっちまう。これターボカーやってる人ならわかるかもですけど案外このチャンバー形状って抵抗大きくてダメなんすよね。どーもハチロクヘッドはダメで92以降のヘッドでないとパワーでないってのはこのヘンにあるみたい。

そこでジュビライドの86ヘッドのポートを92風に狭くするアダプタ買って装着。それと当初いれてた45→70サイズの4-1形状っつー極太タコアシをやめてテクノさんの42.7→60の4-2-1タイプのタコアシに変更。給排気を狭くしたのにパワーが145馬力から170馬力にアップしてめでたしめでたしみたいな。いや当初くーぺさんが86ポートは詰め物して92形状にしてあげないとダメだって言ってまして、どーもL型チューンばっか見てきたんで、んなポートを狭くするチューンなんかあるわけないじゃんってその忠告無視してきたんすが、はい、ワタスが間違ってましたみたいな。いやいやいやいやいやいや。どーもカウンターフローのOHC2バルブのL型ってとにかくより穴はでかく、マフラーは太くってやればやる程エンジンがついてくるよーなとこありまして、それはまあ基本設計が古くてなんでもカツカツにやらないとパワー出ないって事でもあるんですがイジるには面白いエンジンなんすよね。ポートの大きさ手加減するなんつー価値観なかったもんなー。どこまで掘れるかが勝負みたいな。いやいやいやいや。最初から効率のいいエンジンだったらヤリ杉は確かにまじーかもっす。考えてみればそーなんだけど、うーーーん、よくレース屋さんが細くしなきゃダメって言ってるのは当時から他でもよく聞いてはたんですが、うーーーん、サーキットに照準あわせてつめてくとそのヘンのバランスが重要になってくるもんなんだなーみたいな。

しかしその170馬力のグラフを264ポンカムノーマル時代の145馬力グラフと重ねると6000回転以下のほとんどの領域でだいぶパワー面積が少ないんすよね。300度カム仕様が勝ってるのは6000から8000までのわずかな間でちょっとだけみたいな。全体ながめると170馬力になってもパワー面積で比較すると264カム時代の145馬力仕様にまだ負けてるよなーみたいな。300度オーバーカムになるとパワーカーブはどーしても中低速痩せ型なるワケでして、300度カム入れるなら264や272でもちょとがんばれば出そうな170馬力程度のパワーじゃーかえってデメリットばかりが目だってしまって速くならない。300度カムのパワーカーブだったら最低200馬力は出さないといかん。264や272クラスじゃどー逆立ちしても出せないパワー出すのが最低条件みたいな。170馬力しか出せないなら264や272くらいのカムで中間犠牲にせずに同じパワー狙った方がパワー面積増えるんで数倍車速くなると。いやどの300度カム用にクロスも入れたんですけどね。クロスもコースにあわせてファイナル変更してかないと逆効果だったりする事もあるわけで。いやいやいやいや。

そのヘンのカラクリがだんだん見えてきて困ったなーみたいな。なんでも200オーバー狙うには86ヘッドのポート形状だと無理だと。実際ハチロクのグループA時代は200馬力弱だったそーで。いやレース屋さんの数値は辛いから街の話をは違うんでしょーけど。それにパワーバンド6000以上なら9000くらいまで回したい所ですが純正クランクだとレース何戦かで曲がってしまうそーで最低TRDオプションクランク(18マン?絶版)が必要だと。部品買えないし高いしみたいな。そーなると300度カムを活かす方法ないじゃんみたいな。でもせっかくあこがれのカム入れたからハズすのもったいないし。でもカム活かす回転までまーせるクランクもなければ、カム活かすパワーだせるポート形状のヘッドがついてるワケでもないと。うーーーーーん。こまったなー。そんな中で300度カムの乗り物なら12Rとか買えばいいんじゃない?ってな事で思わず12R買っちゃったり。どーもL型の300度カムのあの刺激的な加速にあこがれありまして、バイク買ったり、仕上るハズのない300度カムハチロクをいつまでもそのままにしてたりみたいな。いやS30買えばええんでしょうけどね。かなり気合必要だし置く場所もねーし。いやいやいやいや。

2003年

そうそうひげさんの紹介でた20年くらい前フレッシュマンレーサーだった人と知り合いになりまして、当時参加者が多くて3クラスくらいにわかれてレースしてた時代にスポンサーついてチャンピオン争いしてたっつーくらいすごい人なんですが、彼のいきつけのセリザワレーシングさんに遊びにいったりもしました。いや20年くらい前、地元の峠に本物のレーサーが当時としてはかなり激しい白のまんまレースカーみたいなKP61(FRスターレット)でタマにやってきて、それがまたドエライハエーって噂よく聞いた事あるすが、それご本人の事だったみたいです。当時みんなそのKPにあこがれてKP白く塗ってる人がけっこういたくらいでして、いやいやいやいや伝説の人にお会いできて光栄だったす。はい。んでセリザワさんでいろいろな話になってコンピュータやるならモーテックおぼえれば他の車種に展開もしやすいし?なんてアドバイスもらいまして。なるほどなーみたいな。ボデイ補強の考え方なんかも独特で面白かったです。そうそうマッドさんもまた違う考え方で、実戦で結果出されてる所もいろいろなアプローチあってうーーーん、面白いもんだなーみたいな。そうそうセリザワさんは補強するなら車一回切ってバラバラにしてから組まないと精度でないって発想でした。そうそう燃料やるならベンチが基本だって考え方だったり。いやーーー日本のグループA開幕戦で上のクラスのDR30スカイラインをぶち抜いて総合優勝したトランピオレビン作ってたんすよね。うーーーん、あこがれのレビン作ってた人がこんな近所にいたなんてみたいな。いやいやお話できただけでも感動でした。いやニッサンがあのレビンは八百長だってオフィシャルに抗議してハチロクを分解車検したけど何もでなかったってのは伝説になってますもんね。いやいやいやいやいやいや、痛快だったよなー。うーーーん。んでセリザワさんで紹介してもらった板金屋さんでフレーム修正やる事に。やはり元レーサーの方がやってらしてレースカーやレストアカーがけっこう入ってました。ボデイは基本ですもんね。そこでパネルボンドとか教えてもらいまして。そだカートリッジガン貸してくれるって話になってたんすよね。いやいやいやいやいや。あそこでのお話も楽しかったです。どーもありがとうございました。みたいな。

2004年

そうそう話がいろいろになってアレですけど、ひとつ別の問題。70ミリファンネルの101の4スロ仕様だったんすが吸気音がすげーんすよね。低速ないんで普通の交通の流れにのせよーとするとある程度ストッロル開かないといかん。そーするともう爆発音ですよ。車の音ってより爆弾の音みたいな。とても街では乗れない状態。いやアイドリングでスロットル閉じてれば陸自の車検ちゃんとそのまま通るくらい静かなんすがスロットルあけるとヤバイ。とても車庫から出せない状態。実際カムとヘッドとクランクのミスマッチングでホントの速さ狙えない状態なのに爆音のせいで普段も乗れないんじゃーまるで役にたたない置物状態。こんじゃヤベーって事でとりあえず車庫から出せるよにまず音静かにしましょみたいな。とりあえず70ミリファンネルやめてインダクションボックス装着。中に1センチくらの短いファンネルを加工して装着。最近になって264カム時代につけてたRSRの車検対応?60パイデフ上マフラーに交換。これでアイドリングはノーマルカー並に。

2005年

なにせフリーダムのスロポジ制御なんで給排気かわったらマッピング変更しにゃーとやべーんじゃろなーって思ってたんすが、乗ってみたら案外大丈夫っぽい。いや音静かになったんで踏んでも爆弾音出ないんで流れにのせやすい。実際にちょと低速トルクも出た感じで、うーーん、移動にはこの方が断然便利?みたいな。多少上が犠牲になってもこれで乗ればけっこう使えるかも?みたいな。

これまたあきぽんに作ってもらって1年くらい寝かしてあったVW製センサを使ったA/Fメーターを装着したんすが、うーーーん、けっこう普通っぽい数値?いやアイドリング濃いらしーすけど。とりあえず300度カムなのにエアコンコンプレッサー戻しちゃうしマフラーもファンネルも戻しちゃった中途半端仕様だけど音静かだし、まず車庫から出せる仕様である事が重要でしょってなワケでこの仕様であぶらさんに燃調見てもらおと御殿場でかけた所でメタルトラブル。

ってな感じで現在に至るワケです。

エンジンあけてみにゃーとわからんですけど、うーーーーーん、次どーしよーかなー。前から次いくならもうノーマル160馬力の5バルブ4Aにスワップしてエアコン付きで楽に乗ろかな?なんて思ってたりもしたんすが、うーーーん、ハチロクが多少実用的になったって実用度じゃキューブにはかなわんし。うーーーんみたいな。こんどーさんがエキマニ見て「1600にしちゃー太すぎでない?」みたいな。EXポート削りシロまだありますよっつーたら「削るとトルクへっちゃうよ」みたいな。うーーーん、んで「まだこの304カムで本当の性能味わってないんでしょ?」みたいな。「ハチロクでビュンビュンやってる連中の仕様ってこーいう風なの?」 ってんで筑波で1秒とか0秒とか出してる人達の事っすよね、だいたい300度オーバーみたいすよっつーたらこんどーさん (にんまり) みたいな。いやどーせやるなら過激なのでしょってな感じだったんで。うーーーーん。いやっトヨタ車あんましやらない?こんどーさんが動いてくれるならそりゃーーやっぱもう一回チャレンジしなきゃいかんよなーみたいな。いやいやいやいや。いやなにせもう富士はトヨタ資本になっちゃいましたし、最近はトヨタのワンメイク車両がけっこう入ったりしてますし。えへへへへ。その流れで、いやいやいやいや。まずエンジンあけてから1本だけメタル修理で済ませちゃうか、仕様に問題あれば4本とも変更か、まずそのヘンからですね。それとジュビライドポートアダプタをあるもので埋めて86ヘッドの92ポート化は最低条件みたいな?いやいやいやいやいや。FCRってスライドバルブだからトルク出るんだよねーみたいな。それもそーだよなーみたいな。やべーーーー。今まで解決しなかったものなんとか解決しとかにゃーとクイを残すよなー。うーーん、かもしんない。いやいやいやいや。

20歳の時新車で買ったハチロク。もう今年で42歳だっつーのにまだやんの?みたいな。やべーーーー。いややめちゃったら後悔しそーだし。えへへへへへ。いやいやいやいやいやいや。いっちゃえーみたいな。昨日ちょっとだけテスト走行でエンジンぶちまーして峠っぽいとこ走ったら楽しかったもんなー。やっぱなー。ハチロクはやめらんないよなー。うーーん。

そうそう昨日御殿場むかう途中でっけーキャデラックの見た事もねーよーな霊柩車が隣走っておって後ろいつまでもついてきたり横並んでこっち見たりしてたんすよね。ははーん、運転手昔ハチロク乗ってやがったな?みたいな。キャデラック運転しててもハチロク見ると血が騒いじゃうのかな?みたいな。ハチロクも最近あんまし走ってないっすからね。はい。うーーーん。そうそう、それと道中沼津のテクニカルさんの元社屋の前にハチロクとめて供養かねて写真とったりもしたです。うーーーん、あれがテクニカルさんの遺作エンジン積んだ最後の写真になっちまったとは・・・。うーーーん。

84年から90年くらいまでの足回りだけ時代もえかったし、264カム時代の90年から99年くらいまではホント最高の走りで楽しかった。うーーーん。最初の15年くらいはハチロク最高だったんすが、どーもこの4年くらいツボにハマって動かせない状態になっちゃってるんで、うーーーん、まあ難しい仕様だし予測はできてた事なんだけど、なんとかまとめにゃーと。いや、まあこーやっていろいろ探求するプロセスがなんつんすかね、いろいろ出会いもあるし楽しかったりするんですが、どーにも動かさない事には。にしてもいろいろな人にお世話になって、はい、ほんと感謝感謝です。ホント実はこの出会いが一番楽しかったりはするんすけどね。はい。

にしてもくでえページだ。読む人いるんかい。なんでもええきゃ。