75年型のフェラーリF1マシンです。
ニキ・ラウダが 最初にドライバーズ・チャンピオンになったときのクルマ。
フロント・ビュー。
’76、’77と開催された、富士スピードウェイのF1グランプリにはこのマシンの後期型(312T2)がやってきました。
サイド・ビュー
当時のF1マシンは、まず日本では現物をまのあたりにする機会がなかっただけに
非常なあこがれの対象でありました。
フロントウイングの翼端板が無くなってるので、ちょっと間抜けであります。
パーツを調達して再撮影するであります。
エンジンは、マウロ・フォルギエリ設計のフェラーリ312B・フラット12
シリンダーが地面と水平に置かれた180度V12、排気量は2998cc。
495ps/11,800rpmのパワー、レブリミットは12,400rpm。
1970年から80年まで、11年に渡ってDFVとやり合った名機です。
見掛け上はボクサー(Boxer)・エンジンに見えるのでその頭文字を取って”Tipo 312B”と名づけられたそうです。
ギヤボックスは、このマシンの為に開発された横置き5速。
”Transverse(横の)”ギヤボックス搭載、ということでこのマシンは”Ferrari 312T”と名づけられたそうです。
Ferrari 312B/flat12
フェラーリ312Bの走行音です。
MP3形式(ファイルサイズ・184KB)です。
これがほんもの。
手前#11が先輩格にあたるクレイ・レガッツォーニ(スイス)。向こう側#12がニキ・ラウダ(オーストリア)。
この2台のマシンは、先代モデル312B3タイプのフロントウイングが付いた初期型のようです。
ちなみにフェラーリのドライバーズ/コンストラクターズ・チャンピオン獲得は、
64年(ジョン・サーティーズ)以来じつに11年ぶりだったでした。
ラウダ選手は、ちょうどいまのシューマッハみたいなメシア(救世主)扱いだったでありました。
またこの時のチーム監督は、フィアットから出向したてのルカ・モンテゼモロ(現社長)。
チーフ・エンジニアのマウロ・フォルギエリは、鈴木亜久里の鈴鹿3位表彰台で印象に残る
ランボルギーニV12・F1エンジンの開発責任者に転進。
チーフ・メカニックのエルマノ・クォーギは、後にアルファロメオF1で腕を振るう等々…
いまにして思えば錚々たる顔ぶれです。