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更新メモ(2024/12/27)

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更 新 メ モ


12月27日。ことしも年末。

年内の授業が終わり、クリスマスも過ぎて、年末にたどりつく。よくがんばったと思う。前を向いて進むべしである。

もう一年半ほどYouTubeのリアクション動画を毎日見ていることになって、それが花冷え。とBandMaidばかりだというのでは、これはなにか新しい、創造的なものを得ているという風ではなくてまぁ惰性みたいなかんじではあるものの、しかし今年をそれで乗り切ったというかんじもある。「あっかいっはなここーろに、運命さえもー超えーるんだー」というフレーズを繰り返しながらここまできたわけである。

テレビの話をすると、つまり、コンテンツの話ではなくてメディアとしてのテレビという話でもなくて即物的な受像機としてのテレビということだが、先月にここにブラウン管の話を書いた。それで結論としてはいま新しい液晶テレビで『ワン・プラス・ワン』を見ながら ー アンヌ・ヴィアゼムスキーが緑の中で延々とよくわからない一問一答をしているところ ー これを書いているのだけれど、ここにいたるまでにはそれなりのドラマが ー 悲劇なのか喜劇なのか ー まぁ喜劇なのだろうけれど ー あった。某日、意を決して電気屋に行きテレビを買って帰ったと思っていただきたい。そしてそれなりに大汗をかいて(コンセントに辿りつくまでにCDがぎっしり入った棚を一つ動かさないといけなかったりして)場所をあけて、液晶テレビをテレビ台の上に置いて、設定を進めながら、あとはhdmiケーブルを挿せば、というところでテレビ台の前面と裏側とに手を回しながら作業をしていたらたぶんなにかの加減で身体がテレビに当たって、あれ、と思う間に不安定な液晶テレビはスローモーションのようにゆらゆらあっと前向きに倒れ込んでそのまま床にガシャン、 と落下。え?と思って画面を見たら派手に割れてしまって何もまともに映らなくなっていた、と思っていただきたい。まぁこういうのは型としては喜劇ですね。しかし、設定画面を映すところまでで志半ばにして再起不能の事故にあったテレビのことを思うとショックでしばらく立ち直れなかったわけである。「いうまでもなく人生は崩壊の過程である」、しかし、あんまりではないだろうか。「いうまでもなく人生は崩壊の過程である」。
そういうわけで、年末いよいよ暮れも押しつまって本日、意を決して前と別の某店に行き、同じサイズの液晶テレビをもういちど買い、おなじように持って帰って、まぁこんどは棚を動かす等は省略できたので汗はかかなかったがトラウマと闘いながらなんとか設置、鬼門だったhdmiもなんとか挿せて、なんとか設置ができたというわけである。自分はローリング・ストーンズは通ってきていないけれど、ミック・ジャガーはやはりかっこいいというのはわかる。さいしょに見た時には「悪魔を憐れむ歌」を知らないで見たのでレコーディングの場面もふうんというかんじで見ていたのだけれど、まぁこうして見るとやはり曲が少しずつ形をなしていくのを見るのは面白い。ただブライアン・ジョーンズはやはり影が薄くてよくわからなかった。

キャベツをざくざく切って、梅昆布茶と塩昆布とゆず胡椒といっしょにビニル袋に入れてすこし揉んでからぎゅっと空気を抜いて冷蔵庫に入れておくと浅漬けができて、まぁ白菜でも人参の細切りでもよくて、それで野菜を余らせるのがふせげてなによりである。ほうれん草をただ炒めたのとか、きのこをさっと炒り煮したのとか、なんか作ってパイレックスの小さい保存容器に入れておく。料理そのものはもうあれこれややこしいことはしなくなって、まぁしかし毎日何かを食べないということはできないので現状こういうかんじで、まぁしかしなんでもすこしでもいいのでなにかおいしいものを作って食べるように心がけたら、なにかたのしみのようなものもできるのではないかしらん。今年はなんとかがんばったということで、来年、またたのしい年がおとずれることを期待しよう。  


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