儂は先日、この魔道書に記された手引きに従い、異国の地にて銀の門開門の儀式を執り行った。
《通火の塔》に戻ってから我が弟子に言われて気付いたのじゃが、不思議なことが起こっていた。この『ア・ルア・イーの魔道書』《物語の書》に、いつの間にか儂の創り出した物語が新たに記載されていたのじゃ。
さても謎多き異端の書よ‥‥
――魔道師アイゼルの手記より
集いの章 四の位
秋の夜の夢、猫の夢
秋の微風靡く中原の街道。見えるは門の都アラゾフの城壁。時に妖精代九五二二年、原蛇の月の闇の青龍の日。ここにまた、運命の舞台に降り立つ四人の旅人がいた‥‥
野槌座の魔力を盗賊団に貸していることに罪悪感を覚えつつも、現在の生活から抜けられずにいる野槌のまじない師、ヴァレリウス。
次なる目標と定めたアラゾフを目指し進む彼は、道端で弦を直している女吟遊詩人に出会う。藍色の羽飾りのついた帽子を取ると、彼女はジェライアと名乗り丁寧に挨拶してきた。明日に行われるアラゾフのオラジール伯が嫡子、オリアンの誕生日の宴に呼ばれているのだという。
いつの日にか受けた予言――「いつか吟遊詩人と出会い、歌に語られるが如き活躍をするであろう」をふと思い出したヴァレリウスは、道を急いだ‥‥。
全身を包帯でまとい、鎧に身を包んだ歩兵カイゼルもまたアラゾフへと向かっていた。携えるは地面を引きずる程の長さの剣。小国の乱立するオメラス、カルザック国の傭兵として戦っていた彼は敵国との戦のおり火攻めに遭い、顔と腕に重い火傷を負っていたのだ。黙って進む彼は木の上から聞こえてきた声に驚き、振り返る。
「おやおや、役者がもう一人揃ったようだねぇ」
ぴょんと枝から飛び降り、陽気に挨拶してきたのは貴族の衣装をまとった小柄な道化。被るは精巧な猫の仮面。背後に浮かんだのは、十三の塔を持つ巨大な都市の幻視。
二言三言交わしたカイゼルは、道化が自分の秘密を知っていることに驚く。――ある戦の折にぽっかりと空いた記憶の空白があり、気が付いてから拾った剣に刻まれていたカイゼルという名を自分の名にしていたことに。
「まぁいい。君も明日の宴で重要な役割を果たすことになっているからねぇ」
道化はそう言うと、パチンと指を鳴らして姿を消した‥‥。
また、オラジール伯からの仮面舞踏会の招待状を手に、アラゾフへと進む二人組があった。
未だ明かされぬ夢の中の女性との出逢いを探しつつ、各地を巡っていたオラジール伯の遠縁、漂泊の騎士キルク・ラトス。
共に歩むは風虎の魔法を極めし風の公子マシュー・ゴドー。その多彩の瞳に宿せしは全てを見通す通火座の力。グラム魔道師学院より魔獣探索の命を受け中原を巡る彼は、魔法の知識のない友人キルクに力を貸し、共に旅してきたのだった‥‥
その醜悪な容貌に女子供が道を開け、静まり返るアラゾフの雑踏をカイゼルは進む。木の上で昼寝していた猫の道化が再び現れ、奇怪な予言をする。
一方、伯爵の嫡子オリアンへの手土産をと、マシューとキルクは装飾の凝らされた短剣を買い求めていた。店の外の騒ぎに気付き、見れば無言の歩兵が剣を引きずりながら歩いてくる。喉をやられているのか、二人の呼びかけにもカイゼルは頷くだけだった。
「どうやら声は聞こえるらしいな」囁くマシュー。この場でこの歩兵と出会ったのも、何かの定め、あるいは風の導きなのか‥‥
キルクらと再会してしまった事に驚きつつも、ヴァレリウスはアラゾフの宿《黒猫亭》に部屋を取っていた。正体を知られることはなかったが、盗賊団を退治しに来る騎士達に混じるキルクやマシューには、彼もたびたび会っていたのだ。
野槌座の呪文を唱え、灰色の鷹へと姿を変えるヴァレリウス。アラゾフの空高く舞い上がり、鷹はオラジール伯の屋敷の間取りを確かめる。庭の奥の地下の物置への入口が注意を引く。
戻ろうとした鷹のヴァレリウスを見咎めた人物がいた。庭で談笑していた二人の貴婦人が空を見上げ、ヴァレリウスと目があったのだ。普通の人間には正体が知れるはずもない。貴婦人の背後に一瞬、鶴とつぐみの姿が見えたような気がした‥‥
手土産を買って一休みするマシューとキルクは、夢占い師に占いを頼む。占いの最中、二人は幻視を見た。地中深くに隠された、巨大な壷から聞こえてくる誘いの声にマシューは不吉なものを感じる。キルクは豪奢な宮殿で踊る、仮面の貴族たちの情景を見た。オラジール伯の屋敷ではないようだが‥‥?
気を取り直した二人はオラジール伯の館へ挨拶に向かう。伯爵と息子のオリアンに迎えられ、明日の仮面舞踏会には《仮面の皇帝亭》で衣装を揃えると良いと召し使いのモーリスから教わる。
早速《仮面の皇帝亭》に向かった二人。マシューはとんがり帽子の魔道師の衣装、キルクは占いに従って猫の仮面を買う。
ふと見ると、あれでもないこれでもないと、仮面や衣装を手当たり次第に散らしている二人の美しい貴婦人がいた。手には扇、肘まで隠す城手袋。とめどなくお喋りを続ける二人は宴に招待されたカレンとリアンだと名乗り一礼する。
「あなた方のような美しい方なら、どの仮面もお似合いでしょう」と二人は鳥の仮面を薦めるが、カレンとリアンは「このような程度では、持ってきた手持ちの仮面の方がましですわ」と結局店を出ていってしまった‥‥
鷹の姿で《黒猫亭》に戻ってきたヴァレリウスは、庭の井戸でカイゼルが包帯を取って水浴びをしているのを見る。体に走る醜い火傷の痕。カイゼルの体からは未だ炎が燃え立っているようだ。ヴァレリウスはカイゼルの頭上、カイゼルは水の中に、不思議な幻影を見る。炎を纏いし烏が舞い、烏の頭をした貴族が何事かを囁こうとする。だが幻影は一瞬で終わった。
人間の姿に戻ったヴァレリウスは、やはりこの宿を取っていたたマシューとキルクから教わると《仮面の皇帝亭》へと向かった。
灰色の鷹の仮面を買い求め、帰り道を急ぐヴァレリウス。頭上から呼び掛けられ、彼は振り向いた。
木の上から飛び降りてきたのは、メジナの猫男爵こと猫の仮面のイルツェイン男爵。ヴァレリウスの心に浮かんだのは、壮麗な都が滅んでいく幻影。驚く彼に向かい、男爵は「ふむふむ、君はいつか詩人と出会うと予言されているね」と面白そうに話す。
「明日の舞踏会にも吟遊詩人が来るよ。歌に語られるような予言通りの活躍ができるといいねぇ」
猫の顔で笑いかけられ、恐怖を感じたヴァレリウスは宿へと駆け出す。
夕食を食べていた《黒猫亭》の客たちが、息せき切って駆け込んでくる彼を一斉に振り向いた‥‥。
青龍の日の夜、マシューは酒を携え、ヴァレリウスの部屋を訪れる。予言をする猫の道化の話を聞いて、魔道師学院で学んだ記憶がおぼろげに蘇った。猫。猫に関係する魔族が、影の都に集いし諸侯の中に確かに一騎‥‥?
古鏡の月の元、眠る一行は不思議な夢を見た。
マシューを導くは明晩の仮面舞踏会の予知夢。素顔を隠し踊る貴婦人たち。垂らした前髪に秘められた多彩の瞳が、客の中に仮面でなく素顔のものがいることを告げる。
キルクが見たのは豪奢な宮殿、盛大な舞踏会の夢。獅子の頭、龍の頭、鷹の頭、着飾った貴族達が踊る。奥に座するは宴の主、幼い息子とその母親。控えるのは犬頭の家臣‥‥。
カイゼルは夢の中で、炎を纏った烏に導かれる。烏はゆっくりと飛び、オラジール伯の屋敷の上で消えた。舞踏会などに興味ない彼も、明日の宴には行かねばならぬと悟る。
そして、ヴァレリウスは燃え上がる館の悪夢を見、昔の罪悪感に苛まれるのだった‥‥。
闇の原蛇の日。オラジール伯の館を偵察に行ったカイゼルは、庭の奥、地下への入り口で何やら目配せしあう例の二人組の貴婦人を目撃する。
一方、街を散策していたマシューとキルクは、木に立て掛けられた見事な銀の細剣を見つけた。誰かが置き忘れたらしい。
マシューの警告をよそに細剣を手にした瞬間、キルクは強力な幻視の力に襲われる。その時、細剣の持ち主が現れた。
「やっぱり君たちが見つけてくれたのか。いやぁ、済まないねぇ。どうも物忘れがひどくて」
イルツェイン男爵が頭を掻きながら猫の顔で笑う。細剣を投げて返し、マシューは問い掛ける。お前の名は猫の王なのかと。
「さすがは風の公子だねぇ。僕には確かにいろんな名があるよ。猫の王もその一つだ」
マシューの脳裏に数々の魔道書の記載が蘇った。猫の王イーツォ。全ての猫の主にして強力な予知能力の持ち主。影の都ヴァランティアに集いし魔族諸侯、王の爵位を持つものの中に確かにその名が‥‥
流石の風の公子も体に震えが走る。だが、イルツェイン男爵は猫の笑いを浮かべながら指をパチンと鳴らすと二人に忘却の魔法を掛けた。そして、再び指を鳴らすと何処かへと姿を消してしまった‥‥
時は過ぎ、仮面舞踏会の時刻。各々なりの扮装に仮面のいでたちで、貴族達が続々と集まる。幻術使いの芸人ということで、ヴァレリウスもその中に混じった。
ふと見れば、横で八弦琴の調子を確かめているのは見覚えのある美しい吟遊詩人。「またお会いしましたね、ヴァレリウス殿」ジェライアは帽子をとって挨拶してきた。
オリアン殿下が立派な騎士になれるよう、幻影など見せて御覧にいれましょうとヴァレリウスは言う。「ならば私は歌に秘められた真実を語り、皆さんを夢の中へと誘いましょう」と、羽根帽子の詩人は微笑んだ‥‥
歴戦の兵士の扮装の振りをして、カイゼルも舞踏会へと忍び込む。
「キルク卿、騎士は綺麗なお姫様を連れているものだと聞きましたが?」と誕生日にはしゃぐオリアンに言われ、キルクは「私のお姫様は綺麗すぎてまだ見つからないのです」と笑う。
小犬の仮面を被った召し使いのモーリスがオメラス産の蒸留酒を薦めて回り、仮面舞踏会が始まった。見ればイルツェイン男爵も、広間の中央で貴婦人に混じりくるくると踊っている。
未来の騎士には勇敢な物語を。ヴァレリウスは紐を取り出し、野槌座の幻術を使って大蛇を生み出すとオリアンにけしかける。
だが、気の優しいオリアンは剣を手に恐れるばかり、オラジール伯もその位にしておいてくれと頼み込む。
ならばとヴァレリウスは短剣を取り出し、大蛇を一刀両断すると手の中で元の紐に戻した。広間から拍手喝采が巻き起こる。
「いやぁ素晴らしい素晴らしい。蛇を題材にするとはさすがだねぇ」
手を叩きながら近づいてくる人影。猫男爵のイルツェインだった。
「ふむふむ、蛇こそ玉座に相応しい。オリアン君、君が大きくなって子供ができたら、その子は蛇の公子と呼ばれるだろうよ」
意味不明の予言をすると少年の頭を撫で、イルツェイン卿はくるりと身を翻すとまた、中央で踊り出した。腰の細剣が明かりを受けてきらきらと輝く‥‥。
キルクはオラジール伯に改めて挨拶し、マシューはとめどなくお喋りを続けているカレンとリアンに話し掛ける。二人はオメラスのブランディン卿が多忙ゆえ、代理でここに来たという。二人の頭は精巧な鶴とつぐみの仮面。全てを見通すマシューの多彩の瞳には、まるで仮面が本物のように映った‥‥
吟遊詩人ジェライアの美しい八弦琴の音が響き、舞踏会は最高潮を迎えた。楽しそうに踊るイルツェイン卿、誰にともなく誘われ、一行も中央に歩み出る。
琴の音色に混じり、一行は不思議な幻覚を見た。この館ではない、もっと壮麗な大広間の舞踏会。広間の隅の椅子で休む、菫の冠を頂いたドレスの娘。鳥の頭の貴婦人たちに囲まれた朱鷺の双頭の貴族が不気味に微笑む。広間の外で、宴を警備する紫鎧と騎士盾の衛視たち。八弦琴を奏でるのは黒服に銀帯の女性、玉座に座るは‥‥。
真夜中、客の女性たちの悲鳴で宴は中断した。香りのする毒で首を傷つけられ、入り口の方で貴婦人が死んでいるというのだ!
慌てふためき現場に駆け寄る客たち。だが、カイゼルは椅子に置き忘れられた誰かの銀の細剣に気付く。持った瞬間、カイゼルは自分たちの行くべき場所を悟った。屋敷の庭、奥の地下への入り口。その中を進む二人の鳥頭の貴婦人の幻視‥‥
早速一行は庭に出ると、地下の物置へと進む。オラジール伯の屋敷は、昔別の誰かが住んでいた場所の上に建てられていたのだ‥‥。
輝く細剣に導かれ、一行は迷路のような地下通路を抜け、明かりの漏れる小部屋に辿り着く。おりしもカレンとリアンが、崩れた壁の奥の巨大な壷の蓋を開けようとしている所だった。
「な‥‥なぜここが?」四人が来たのに気付くと、鳥の仮面の二人は驚きの声を上げる。もはやこれまでと、二人は扇を投げ捨て、白手袋を外した。
マシューとヴァレリウスの刻印が疼き、二人が人でないのを告げる。手袋の下の繊細な指先、鮮やかな青い爪は猛毒の刃。
「控えよ、定命の人の子風情が。我らは双頭の妖魔ブリン様のしもべなるぞ!」
魔力の気が恐怖となって一行を襲う。だが、耐え切ったキルクが愛用の剣を手に打ち掛かる。下級の妖魔風情に呪文は不要と、マシューとヴァレリウスも短剣を抜く。そして、カイゼルが自慢の剣で繰り出した一撃が、羽の貴婦人を一刀両断した!
甲高い叫び声と共に、二人の死体は一枚の羽を残して消えてしまう。
マシューとヴァレリウスは壁の中の、封をされた巨大な壷に近寄った。中に蠢く小虫と何か。魔法を操る者としての知識が告げる。原蛇座の魔族、口の大公ピュドレイがしもべ、蝗の王ローカンスという魔物がよく、蝗の大群と共にこうした壷に封じられてはいなかったか‥‥? この魔物が解放されたなら、舞踏会はおろか、この街さえも食い尽くされてしまうかも知れない‥‥
オラジール伯に事情を話し、内密に事が運ばれる。殺しの犯人は捕まったと伝えられ、客たちは丁重に帰され、舞踏会は無事に終わった。数日の内に魔道師が呼ばれ、館の地下への入り口は土で塗り固められた。
数日のち、伯と息子に再会を約束し、キルクらは館を後にした‥‥
門の都アラゾフを一望する丘、秋風の巡る街道沿い。街を後にした一行を、予想通り木の上から呼び止める声がした。
「いやぁ、やはり来たねぇ。僕の細剣を持ってきてくれると思っていたんだよ。うんうん」
マシューは銀の細剣を、猫の仮面を被ったままのイルツェイン男爵に投げて返す。
「なるほど、君たちがやることになっていたんだね。あの宴で事が起こることまでは予言していたんだが‥‥」
危害を加えるようでもないのを知ると、ヴァレリウスとマシューが、お前は自分たちの味方をしてくれたのか、お前は傍観者なのかと問い掛ける。
「うんうん、どうなんだろうねぇ。まぁ、麗しき歌の公女殿下に仕える方がいるとあっては、あの宴をめちゃくちゃにする訳にもいかないかもしれないねぇ」
ヴァレリウスは、魔族に仕え、叙事詩の真実を求む異端派の詩人たちの存在を思い出す。そして――出会ったあの藍色の羽根帽子の女性詩人のことを。
「そうそう、君の人生に関する重大な助言をしてあげよう」
相変わらず黙ったままのカイゼルに猫は言った。「『龍殺しのギルサス団』、それが君の鍵だ。それから公子君は魔獣を探していたね。北へ行くといいよ。夢の中の女性も、北にいるかもしれないねぇ」
一行は猫男爵の顔を見返し、役に立たない助言に一応の礼を言う。
「僕もあの街で何かをする予定だったような気がするんだが‥‥まぁ、いいか。さて、次なる舞台へ移るとしようか」
イルツェイン卿はパチンと指を鳴らした。しかし、それを予期していていた一行は意志の力で抗う。
「おやおやおやおや、僕の魔法が効かないのかい。まぁ、いいか。それでは、ごきげんよう」
一礼して再び指を鳴らすと、メジナの猫男爵イルツェイン卿――あるいは猫の王イーツォは、猫の笑みを浮かべ、煙の如く姿を消した‥‥
盗賊団との縁をいつか断ちきることを決意しつつ、野槌のまじない師ヴァレリウスは北へ。
未だ明かされぬ記憶の空白――通火座の諸侯、火の公爵ノマとの出会い、そして自分の兵士としての宿命を感じつつ、歩兵カイゼルは北へ。
魔道師学院よりの重大なる使命、未だ見つからぬ魔獣を求め、風の精霊を引き連れた風の公子マシュー・ゴドーは北へ。
いつか運命の恋人を求め、三人と旅路を違えるであろうことを予期しつつ、漂泊の騎士キルク・ラトスは友人と共に北へ。
秋風がそよぐは門の都アラゾフ。
その背後に浮かぶは、十二とひとつの塔持つ壮麗なる影の都の幻。
語られるは「今一度の我慢。いつか再び戻る日だけを夢見て、今しばらく待つとしよう」。
未だ解き明かされぬ定めを持った四人のことばか。
あるいは自らの忘却の魔法に道化と化すも、魔族帝国復活の見果てぬ夢を求むる猫の王イーツォのことばか。
かくて、銀幕は幕を閉じた‥‥
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