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奈良田から農鳥岳めざすが途中敗退
(2001年2月10〜12日)

メンバー: L中谷、和田、甲谷

2月10日
天候:晴れ
タイム:広河内橋
7時55分、 発電所取水口9時30分、 1490メートルの台地14時00分、大門沢 小屋17時05分

 横浜から東名高速を南下し、新富士ICから身延町、さらに早川町をへて奈良田第一発電所のある広河内橋前の駐車スペースまで前夜入る。
駐車スペースには、この3連休を利用して山行を計画しているのだろう、3台の先着が停まっていた。

 朝、天気は上々、今日はいいところまで行けそうな感じ。ブルのキャタピラの跡が付いている林道を30分くらい歩き、林道の切れたところで早速ワカンをつける。
我々の前後に人の気配はなく、広河内橋の駐車スペース停まっていた車の人たちは違うルートか近辺の氷瀑をやっているのだろう。

 吊り橋を2本渡り、発電所取水口に着く。さらに1本吊り橋を渡って広い河原歩きとなる。
この3本の吊り橋は結構高度感があり、しかも雪が細い吊り橋の渡板の上に不安定に乗っかったまたその上をワカンで歩くものだからスリルがある。
そのさきの河原は、多分、大きな岩のゴーロ帯なのだろう、岩の上に積もったこの冬の雪が、岩のゴツゴツを消し去りなだらかな曲線を描き、好天とあいまって長閑さを感じさせる。

 何度目かの徒渉をしていたとき、岩の上でワカンを滑らし、水深30センチ位の水の中へ尻餅をついてしまう。
慌てて立ち上がろうとして足に力を入れふんばるが、更に滑り今度は全身が水に浸かってしまう。
カッコわるい。
2月・厳冬期だ。冷たいはずだがそんなに冷たさは伝わってこない。それより、歩き初めて数時間しか経っていないのに、わたしのヘマで今回の山行はこれで中止せざるをえないのか。折角の3連休の山登りを楽しみにしてきた、同行の中谷さんと和田さんに申し訳ないという想いが水の冷たさよりも先にあたまをよぎる。

 幸い、ヤッケとオーバーズボン、それとフリースのジャケットは身につけていなかったので濡れることは無く、それに着替え。そして、和田さんから夜の防寒用に持って来たダウンのズボンも借りて、山行をひとまず続けることができた。

 夏道を忠実にたどってのぼるつもりでいたが標識はほとんどなく、ルートは判然としない。地図上で”八丁坂”と書かれているあたりから右岸を高巻くが降り口が見つからない。のぼるにしたがい傾斜も増してきて、ブッシュもうるさくなってくる。どうやらルートを外したようだ。
3人でこれから先どうするか相談した結果。このままもう少しのぼって降り口を探そうということにした。

相談した地点から少し登ったところが、チョットした台地になっていて、その北側の斜面はなだらかで、ほんの少しの時間で沢筋へ降りられる事ができた。
そして沢筋を少し溯ると夏道の標識を見つけ、やっと自分達のいる沢が枝沢ではなく目的の大門沢であることが分かる。

 大門沢小屋について小屋を覗くと一階は施錠されておらず解放されていた。最初はそとでテントを張るつもりでいたが折角の御厚意なので、小屋を使わせていただくことにした。
おかげで、昼間の水没で濡れた衣服を着たままでも快適に夜を過ごすことができた。

 

2月11日
天候:晴れ
タイム:大門沢小屋7時00、
2500メートル地点12時10分、大門沢 小屋13時55分

 2日目の今日も晴れ、しかし、すすむにしたがい雪は深くなり、なかなか行程ははかどらない。そんななか、いつもの通り中谷さんがほとんど先頭を努める。ほんとにタフな男だ。

しかし、昨日と同じくルートが判然とせず、違う尾根に取り付いたようで、傾斜は急になり、一部分ナイフリッジも出てくる。2500メートルほどのところまできたとき、前面に岸壁があらわれ行く手を阻まれる。また、ここから右へも左へも回り込むことが出来ず。「The End」下るしかない。

 農鳥岳どころか主稜線までも遥か遠い、しかし、失敗感とか挫折感といった悲観的ムードは我々には無く。むしろ、これまでの急なのぼりからとラッセルから開放される安堵感を感じる。

 休憩した後、のぼりのときのトレースをたどり大門沢小屋まで引返した。

 

2月12日
天候:晴れ
タイム:大門沢小屋7時20分、
1490メートルの台地8時10分、発電所 取水口9時50分、 奈良田発電所10時45分

 初日のトレースを忠実にたどりくだる。のぼりのときに苦戦した八丁坂付近の登り返しもそれほどの苦労もなくくだる。

下山後、奈良田にある、早川町営の総ヒノキ造りの温泉につかり3日間の汗を流す。

 

 

 

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