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アルプス、モンブラン
(2001年7月16〜17日)

 2001年7月17日AM8:00 ヨーロッパアルプスの最高峰モンブラン山頂を踏むことができました。
私にとって初めての海外登山、そして単独行のため感動は一入でした。また、今回のアルプス旅行を行うにあたり貴重なアドバイスや情報を与えてくれた山仲間には感謝する次第です。感動や感謝の気持ちが大きければ大きいほど、なかなか言葉や文章で表すのは難しくもあり照れくさいものです。そんなことで感動したことなどについてはいずれかまたの機会にさせていただき、以下の文章は単なる山行記録として書きました。

 

登山行程概略

メンバー: 単独

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登山電車の終点駅ニー・デークルに迫るピオナセイ氷河

 

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テート・ルース小屋手前の斜面から見えたえエギーユ・デュ・ミディ

 

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テート・ルース小屋から見える、落石の危険があるクーロアールと、その右に見える尾根がエギーユ・デュ・グーテ小屋へ至る岩稜。
 肉眼では見えなかったがフィルムを拡大するとエギーユ・デュ・グーテ小屋が写っているのが確認できた。0108a04_.jpg

 

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テート・ルース小屋の前でくつろぐ人々

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クーロアールを襲った第2波の小さな新雪雪崩の末端

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エギーユ・デュ・グーテ小屋のテラスからのぼってきた岩稜を見下ろす人たち

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ヴァロ避難小屋上部の尾根。チョット急な唐松岳八方尾根といった感じ

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モン・モディからのぼる旭

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ヴァロ避難小屋を見下ろす

 

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西側の雲海に見えたモンブランの影

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モンブラン頂上(左うえの一番高いところ)が間近に見えたが風も強くなりここからが厳しく、そして長かった

 

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モンブラン頂上から東側の景色。

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下山時、ニー・デークル付近で遭遇したカモシカの一種。シュタインホックか?

7月16日

天候:晴れ
タイム:ニー・デーグル(登山電車の終点) 935分、テートルース小屋  1150分、エギーユ・デュ・グーテ小屋 15時50

 前日15日シャモニの街は肌寒く終日雨。山の上は雪だったようだ。16日の朝、ロジェールキャンプ場からモンブランやエギーユ・デュ・ミディを眺めると真っ白になっている。

 シャモニ駅前から朝二便目7時30分の路線バスでロープウェイ駅のあるレ・ズーシュへ向かう(ロープウェイ駅はレ・ズーシュ村にあるというがレ・ズーシュのバス停ではなく、次のバス停である。前日に偵察しておいたので迷うことはなかった)。
バスの乗客は唯一人だったがロープウェイ駅にはすでに10人くらいの日本人とその人たちのガイドがロープウェイの出発を待っていた。窓口でベルビュー間の往復チケットを購入すると程なくしてロープウェイが出発する時刻になった。

ロープウェイがベルビューへ到着し、ニー・デーグルへ行く登山電車へ乗り継ぐわけだが、ロープウェイと登山電車の時刻がリンクしておらず、霧の中ちっぽけな停車場といった感じの駅で30分くらい電車を待つ。電車を待つ間に三々五々登山者が集まり、ほぼ満員の状態でニー・デーグルへ向かう。 

 曇っていた天候も登山電車の終点ニー・デーグルに着いたときにはほとんど快晴 一面の新雪が眩しい。ルートは新雪をまとい目印らしきものがほとんど見当たらない、登り始めの前 多少の不安はあった。しかし谷間のルートなので高みを目指せば良い訳だし、また登り始めてみると先行するトレースが次第に1本にまとまりだし大いに助けられる。そしてなによりも無風快晴なのがありがたい。

 ニー・デーグルから一時間くらいで谷間をのぼりきり、南東へ続くなだらかな尾根を歩く、そのなだらかな尾根からエギーユ・デュ・ミディが望めた。遭難者慰霊のものなのだろう、かなり昔の年代が刻まれた十字架が立っていた。
さらにすすむと小さな岩稜に付けられたジグザグの道を登る。その道の一部分にワイヤーがフィクスされていたが必要性は全く感じなかった。しかし悪天やシーズンの最初や最後であれば、雪もしくは氷の状態も悪いから助けられることもあるのだろう。

 その小さい岩稜をのぼりきるとなだらかな雪原(地図によるとテートルース小氷河)とその先には山小屋、さらに左手前方には険しく切り立った大きな壁が目に飛び込んでくる。その小屋はテート・ルース小屋。そして大きな壁は今日の目的地エギーユ・デュ・グーテ小屋(以下グーテ小屋)へ至るパイヨ岩稜だ。

 グーテ小屋を目指す場合はテート・ルース小屋へは寄らずに雪原を進行方向左側(東方向)へトラバースして岩稜に直接取り付いた方が早いらしいが、トレースが全てテート・ルース小屋方向へ付いているのでそれに従いテート・ルース小屋経由で行く。ガイド登山の場合はテート・ルース小屋で昼食を摂るのが通例らしい。

 テート・ルース小屋前ですこし休憩した後パイヨ岩稜の基部へ向かう。

 岩稜基部の落石の危険があるといわれるクーロアール手前でアイゼンと登攀具の準備をしていた時、後ろにいたパーティのガイドがいきなり大きな叫び声をあげた。反射的に落石の警告かと思いクーロアール上部を見上げる。雪崩だ。白波のような形で雪が落ちてくる、先端の波の高さは3メートルくらいもある、かなり大きい。その大波はクーロアールの中央部を直撃し、深い谷底へ消えていった。一旦収まったかに見えたがすぐに誘発された第二波の小さな雪崩が続いた。
これほどの雪崩を間近に、そしてルート上を襲うのを見たのは始めてだ。しかし不思議と恐怖心は感じなかった。
幸いにも雪崩に巻き込まれた人は居なかったがその前後にはたくさんのパーティ(私も含めて)が居たわけで間一髪と言った感じだった。

 雪崩が落ち着いた後、先行する2パーテイーが渡りきったのを確認し、張られているワイヤにカラビナを通し急いでトラバースする。

 パイヨ岩稜は日本の山のルートに例えると穂高岳山荘から奥穂へ登る途中の鎖場に感じが似ている。それが延々と続くというもので要所要所にはピカピカのワイヤがフィクスされている。ガイド登山すべてのパーティはそこをアンザイレンしコンテでのぼっている。

 岩稜の中間部で休憩していると後からきたパーテイのガイドが「Best conditin today」!と気さくにそして青空をゆびさし笑顔で話しかけてくる。このモンブランに何度ものぼっているであろうガイドがGoodではなく、あえて「Best」というのだから今日は相当の好条件なのだろう。こちらもブロークン英語で応える「Yes!Lucky today」

 パイヨ岩稜は普通2〜3時間くらいの登りらしいが、われわれ(私と他のパーティも含めて)が登ったときは降雪直後ということもあり所用時間は優に3時間を超えてしまった。

 

 
7月17日

天候:晴れ
タイム:グーテ小屋 3時10分、モンブラン頂上 8時、グーテ小屋着 10時50分、発12時、テートルース 13時50分、ニーデーグル 15時45

 AM1時50分。あたりのざわめきで眼を覚ます。
昨日の夕食に比べればはるかに質素な朝食を食べる。しかし寝起き直後でまだ食欲のわかない体には十分な量の朝食だ。その朝食を食べながら食堂の窓ガラスに着いた氷を爪で掻き落とし外を覗く。
星が見えた。そして風もないみたいだ。「ラッキー!」

 慌ただしく準備する人たちに混じって自分も準備をする。混雑の中の要領の悪さで小屋を出たのは他のパーテイより相当後の方だった。

 小屋の脇からエギーユ・デュ・グーテの尾根にあがってみれば、風除けブロックを積んでテントが5張くらい張ってあった。さらに先に眼をやると暗闇の雪面にボワァと反射するヘッドランプの灯りの行列が見える。

 シャモニの街中から眺めたグーテ小屋からモンブラン頂上へ至るスカイラインはきわめてなだらかに見える、しかしその場に臨み実際に歩いてみると結構傾斜はきつい。

  エギーユ・デュ・グーテからドーム・デュ・グーテへののぼりそしてドーム・デュ・グーテを少しくだりドームのコル、さらに少しのぼってヴァロ避難小屋が立つ小さいコブにつく。ここらあたりで雲海を突き破るように出てくる日の出を迎える。雲海と逆光に映えるモン・モディの鋭い山容、そしてピンクに染まる雪面、素晴らしい景色だ。気分爽快。

 日の出と共にモンブラン頂上へ繋がる尾根筋が確認できるようになる。ルートが見えたことで早く頂上へ着きたいという高揚とも焦りともとれる気持ちでそれからが長く感じた。それに穏やかだった風も徐々に強くなる。特に最後のナイフリッジ上で正面から顔面に吹き付ける地吹雪には少してこずる。

 ヨーロッパアルプス最高峰4807メートル着8時。グーテ小屋を出発してから約5時間、高度障害もほとんどなく体調が良かったのでもう少し早く着けるかとおもっていたが結構かかったようだ。

 頂上で景色を確認しながら到達の証拠写真を6枚程撮る。その頂上からの景色は雲海のせいもあるが東側手前の針峰群を除けば意外に平坦な光景であった。逆を返せばアルプスの広さというか大きさを感じる。マッターホルンも視界に入っているはずだがどれがそうなのかは判らなかった。
頂上での体感気温はきわめて低く感じた。オーバーグローブを外しフリースの手袋でカメラを操作したが一瞬の間に悴んでしまった。

 下山は往路を慎重にそして頂上到達の感激を反芻しながら思う存分のんびりくだる。

グーテ小屋に着いてみると人々は皆満足しきったような顔をしている。頂上付近は風が強かったが好条件だった その好条件の下、頂上を目指した人たちのほとんどが登頂できたのではないかと思う。
グーテ小屋で1時間休憩し、小屋のスタッフの方達にお世話になったお礼を言って下山する。

パイヨ岩稜のくだりは昨日の好天で雪が溶けているかと思っていたが、予想に反して逆に踏み固められて昨日のぼったときより固くなっていた。

 パイヨ岩稜をくだりきり さらに例のクーロアールを渡りテート・ルース小氷河をトラバース(帰りは小氷河を最短距離でトラバースするトレースが付いていたのでテート・ルース小屋には寄らず)し終わったところでアイゼンを外す。

 これより下は昨日のぼってきたときと景色が一変している。昨日は真っ白だったが雪はほとんど溶け、ガレ場ながらしっかりとした小道が露出している。「昨日こんなとこのぼったっけ」?そんな錯覚をおぼえる。
ニー・デーグルにあと20分くらいの地点でカモシカの一種シュタインホックにルートを遮られる。草か苔を食べているようだ。そっと横を通り過ぎようとしたが仲間同士互いに角を突き合わせ餌の取り合いが始まった。おとなしそうな顔をしているが結構気性は荒いみたいだ、そばによって頭突きでもされてはこまるので餌を食べ終わるまでの20分くらい彼らから5メートルくらい離れた位置でじっくり観察しながら休憩する。

 ニー・デーグルについてみると昨日の朝は登山者のみだった駅周辺には多くの観光客で賑わっており、昨日とはまるで雰囲気が違う。そんな雑踏の中、モンブランを登り切ったのだという充足感に浸りながらくだりの電車に乗り込む。

 

装備について
 ヤッケとオーバーズボンを持たずゴアの雨具で代用したが本文に記述のとおり頂上付近の体感温度は低く、ほぼ日本の3000メートルクラスの冬山に匹敵する様に感じた。ただ初日グーテ小屋に入るまでは好天のため気温は高く上半身は冬用の下着一枚で行動した。アルプスの夏は日本のゴールデンウィーク程度の気候といわれるが、天候により体感温度は極端に変動するようだ。したがって多少の天候変動でも確実に登頂を狙うのなら冬山の服装が必要。

グーテ小屋の予約と宿泊について
 
グーテ小屋は9月10日までの期間中連日予約満杯とのことでシャモニに入ってから予約をしようと思ったが取れなかった。確実に予約するなら事前に日本でする必要がある。ただし、予約した日を基準に行動日程を組むとその日が悪天だったら中止または途中断念と言うことになり登頂の確率は低くなるとおもわれる。
予約がとれるコスミック小屋からのルートを一時検討したが、コースについて十分な下調べができていなかったので断念。マナー違反だったが小屋の予約なしのままグーテ小屋経由のコースで登山を決行した。宿泊を拒否された場合、上部のヴァロ避難小屋まで行ってビバーグをする覚悟と装備をもって臨んだ。幸いにも小屋のスタッフの方は快く歓迎してくれた。しかし遅れて小屋に着いた人達はベッドが確保できず食堂にマットを敷いてシュラフに包り寝かされていた。また最悪宿泊拒否ということもあるかもしれない。

山岳保険について
 
通常の海外旅行損害保険では登攀具およピッケル・アイゼンを使用する登山は適用外。フランス山岳会が主催するスポーツ保険の一種?「カルト・ネージュ」をシャモニのインフォメーションセンターで手続きする。料金は有効期間8日間で200フラン(Fr)。

シャモニ現地での情報収集
 
シャモニの街にあるシャモニ観光局インフォメーションセンターは現地での情報収集には欠かせない存在。向こう三日間の天気予報が掲示されるので登山日を決定するのに大いに助かった(ただし天気予報は日本語のものは無いため電子辞書と首っ引きになりながら理解するのに苦労した)。
 また日本語のデスク、ベルナデット・津田さんは日本人観光者にとって絶大な信頼と人気。私も上記のカルトネージュの加入手続きをベルナデットさんにしていただいた。

モンブラン登山後
 
翌日18日は昼間ほとんど雨、雨の中のテント撤収も億劫になりロジェールキャンプ場からの移動を19日に伸ばす。19日以降ツェルマットとグリンデルワルトを周り、スイスアルプスの景色を思う存分眺め、7月26日帰国。

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