安吉の名にかけて!「高専のヒミツ」篇#2


17:飛ぶ教室

 高専の修学旅行のたぐいは、前期期末試験の後10月の第1週にまとめて行われていました。ちなみに、
 1年 能登方面に合宿研修
 2年 いわゆる修学旅行
 4年 関東方面に工場見学
 3,5年は試験休み、でした。

 さて、ある年「修学旅行」でのこと(私が在学した年です)
 当時は、修学旅行の行き先は「各クラス」毎に学生が自主的に決めていました。
 私のクラスでは、「北海道」派と「四国」派がまっぷたつ。
 採決を取ったらぴったり同数。
 で、最後は議長の私の1票で「四国」に決まりました。

 ところが、「沖縄」というクラスがあり、当然飛行機で行くわけですが、「よそが飛行機を使うならうちだって」ということになり、なんと四国に行くのに飛行機を使うことになってしまいました。
 そうなると、旅行委員の腕の見せ所です。
 4泊5日の修学旅行は、
 長岡→(新幹線)→上野→(電車)→浜松町→(モノレール)→羽田→(ANA)→松山→高知→祖谷渓→高松→(連絡船)→宇部→(列車)→岡山→(新幹線)→京都→(雷鳥)→長岡
 という、まさに四国V字縦断旅行となってしまいました。
 ああ、つかれた。

 しかし、時刻表マニアが旅行の計画を立ててはいけません。
 移動ばっかりで疲れました。

 忙しすぎて殺人を犯すヒマがないトラベルミステリーっすね。でも、行き先自由なんて、うーらまーやしーい♪


18:飛ぶ級友

『高専』のヒミツ...こんなコーナーが、できていたとは。
ちょっと見ていなかった隙に(^^;卒業して10年以上なのでなつかしや〜
新潟市出身の私が高専に入って一番驚いたのはやはり雪の量。
入寮当時は二号館の一階の住人でしたが冬は完全に埋まっていました。
窓をあけると雪の壁だったので冷蔵庫代わりに便利でした。

そして、新雪がつもると三階あたりからダイビンクした人が私の目の前にボコボコ落ちてきたものです。
そういえば当時の寮長が三号館(四階建て)の屋上にある給水塔の上からダイビングするという荒技で一躍ヒーローになっていたような記憶が..。
最近は長岡も雪が多くないのでこーゆー習慣はもうすたれてますかねぇ?

ひえー、若さと豪雪の融合芸。フツーの民家の雪卸……なんだこれ……もとい、雪おろしでも、落っこち事故が毎年あるのに、四階のさらに上の給水塔からダイブして無キズでいられるんでしょーかっ?


19:フライングコンテスト

確か当時の副寮長だったか、体操部だったんですよ、あの先輩
寮の3号館の、4階建てのその上の屋上の手すりの上から2回宙返り+1回ひねりで頭から雪の中に突っ込んで...
実は私、目撃しました。その日の夜の点呼時の連絡は、
「学校側から、3階より上からは飛ばないようお達しがあった」
というものでした。

ちなみに、週末になると寮内放送で突然「スカイハイ」が流れ出し
「ただいまから×号館×号室にてフライングコンテストを行います」
という放送が流れ、素晴らしい飛びっぷり(バック転等)を見せた人に対して、みかんや菓子の投げ込みが飛び交う様子が見られました。

寮では頻繁に行われていたフライングですが、学校の授業中に教室からやるやつがまれにいて、玄関まで歩いて中に入るのがめんどう(距離がある)ので、授業中の教室の窓から中に入ってくるやつがいました。私たち(当時1年生)は数学の授業中で、雪まみれの上級生が突然窓から現れたのにはたまげました。

なんと、予想外のビッグイベント。『鳥人間コンテスト』かマスカラス登場か(ふ、古い^-^;)ってカンジですねー。それにしても、「3階より上」だけを禁止する学校って…。


20:世の中がついてくる(たぶん)

高専ネタで少し気になった点がありましたので投稿します。
空の色の話ですが、これは少しあやしいようです。
JISで定められている標準の光D65は、国際標準にもとづきアメリカ、カナダ、イギリスの測定結果を統計的手法を用いて決めたものです。これを裏付ける日本に長期の測定結果があるということがものの本にはかかれており、このことを言っているのかも知れません。日本で良く使われている標準の光Cというのがありますが、これは尼崎の空の色です。ということで専門家の間でもあまり取りざたされることはありません。
高専の卒業生の(財)日本色彩研究所の小松原仁さんという方は日本の第一人者として活躍されており、こちらの方はかなり有名です。

それから長岡高専の英語名ですが、Nagaoka Technical Collegeです。もちろんTechnical Collegeと言ってもアメリカ人に通じるわけでもないですが、少なくともHigh Schoolではないです。

高専=男が多いということで男塾という表現が良く見られますが、私のいた時代ではどちらかというとチーマーに近かった気がします。今から20年位前ですが高専では超ナントカという言葉が使われていました。おかしな言葉を使うなあと思っていましたが、いつの間にか全国区で通じる言葉になっていました。これは妙でした。
そういえば無線部の人達は皆携帯型の無線機を持っていて、これも今の携帯電話文化を先取りしていたような世界がありました。

高専出は社会に適応できなくても良いのです。世の中が自分たちについてくるので す。
たぶん。。。。

「超」は理系のヒトは昔から使っていたようですね。英語のveryとかultraの訳語で。余談ながら、私のまわりでは「超」的なことの表現に、よく「鬼のように」と言っておりました。世の中ではどうだったのだろう、アレは……。


21:風の中のすーばるー♪

renewal!
去年末、NHKで放送された「ロボコン」にて「ロボコン大賞」を受賞し長岡高専を有名にした長岡高専ロボティクス部の「長岡猿軍団」、この時リーダとして活躍した方のホームページにある「『長岡猿軍団』ロボコン大賞」のページ、この内容がなかなか良いです。田口トモロヲのナレーションで前半部分のBGMは「地上の星」、表彰式のシーンからはBGMを「ヘッドライト・テールライト」として読むと楽しめます。

ご紹介のホームページには、プロジェクトXばりのドキュメントが!……と思ったら、なぜか現在見えなくなっております。見えるようになりました。上記の青文字部分をクリック!


22:長岡ではない某高専の

ご無沙汰してる間に、高専がフィーバーしてますなー
あっしは長岡ではない某高専の、さらに寮出身者ですが、だいたい高専の雰囲気はどこも一緒みたいですね
うちの寮は上下関係が超厳しくて、まさに今話題のPL学園野球部の世界でした
毎年、入寮して3日持たずに退寮していく新入生が必ず数人いて・・・
標的にされるのは下っ端1年生だけなので、その1年間さえ我慢できれば、あとはもうシャバに怖いもんなんてないっす!
「ドカン」と称する某高専オリジナルトランプゲームがあったり、3階建てなのに雨漏りする2階の部屋があったり、まさしく独自文明を育むミラクルワールド!
高専の秘密本の一冊くらいは軽〜く書けまっせ!
もっとも、今はそんな面影もないほどソフトになっちまったみたいですが

#生きてるうちにどこかの高専が甲子園に行ってくれないかなー、ってのは全国高専OB共通の夢

伝説の長岡市非公認ホームページと言われる『長岡市非公認ホームページ!』…マンマですが…のタカハシ作者からでございました。それよりなにより、こ、高校野球にエントリーしてたんですか、高専って!


22:長岡ではない某高専・セクハラ篇

長らくNGをみることができずにおりましたが、今日、久方ぶりに拝見いたしました。
ああなつかしい。
久しぶりにみたら、高専のページが充実していて笑いました。
私も、当時の女性にしては珍しく、他県ですが高専土木工学科の卒業生です。
文化交流会や、関東甲信越高専大会(夏に行われる、高専同士の体育大会、勝てば全国大会もある)4年生のときの見学旅行(修学旅行みたいなの)で長岡を訪れました。
「修学旅行でナゼ長岡」と長岡在住の時には必ず尋ねられたものです。

うちの高専とちがって、長岡高専の方々は本当によくしてくれました。
文化交流会のときは、お土産にと、学校の備品をこっそり下さった方もおりました。

高専生活は、女子高希望だった私にはつらくて、「女子のくるところにあらず」と机に落書きされたり水泳の授業を休むと「××××」とセクハラにあったりしたものでした。現場を見学に行っても、「女が入ると事故がおきる」といわれ、外から眺めることもよくありました。

私のがんこ親父は、「息子(私の兄)を土木技術者」にする夢をあっさり無視されたので、女である私をその夢のターゲットにしやがったのです。
バイクき×がいの親父はもうひとつ、家族全員で、ツーリングに行く夢というのがあり、県下唯一の許可学校である高専は願ったりかなったりだったのでしょう。
ただでさえ小柄な私は足の届かない中型のバイクに乗らされ、5年間、雨の日も風の日も、雪の日も何とか生き延びて通ったのです。通学中に競走を挑まれたり、族の集会に誘われたり 近所のおばさんたちに「不良」と後ろ指を指されたり、あまりいいことはありませんでした。

クラスメートも最初は40人いたのに、卒業時には現役24人と、上から落ちてきた留年生(ダブり学生)と留学生あわせて35人になってしまいました。席が余るので、別荘席というのが誕生し、気分で席を行ったり来たりしている人もいました。

また、あまりに私たちのクラスからの留年生が多すぎて、1教室に入りきれないほどで、下の学年は、夏の暑さといったら、、大変だったそうです。
連続留年で強制退学制度というのもあるので、進級問題は割とシビアでした。
クラス換えの存在しない高専ですが、留年によって、下級生と同じクラスになったり、久しぶりに元のクラスメートと同じクラスになったり(違う年度で2人とも留年)合同授業で他学科の学生と、いっしょになったりそれなりの変化はありました。

高専伝説もたくさんありますが、他高専なので、やめておきます。
ぜひ、長岡高専伝説特集もしてみてくださいね。

これまた伝説の人物、『NG!』初期の紅一点投稿者・みーもきゃっと嬢からでした。っていうか、ご結婚なさったので、『マダムみーも』からでした。高専人だったなんてどびっくり。そしてご主人は××ご出身とのこと、どどびっくりでございます。どーぞお幸せにー!!


24:ちょっと、この話は

長岡高専の英語名ですが、15年くらい?前に「Nagaoka National College of Technology」に改称されています。理由不明(笑)。

さて、高校野球ですが、ちゃんとエントリーしています。
もちろん、1年生から3年生までのチーム編成です。ただ、このような学校ゆえ? 留年する人も結構いまして、予選のラジオ中継の際に2年生のピッチャーが「来年の活躍に期待したいですね」と紹介されていたんですが、実は彼、2回目の2年生ゆえ来年は出場権が無い...ということもありました。ちょっと、この話は一般公開できませんね...
予選が悠久山球場であろうものなら、花見コールならぬ「応援コール」が始まったものです。

すみません、一般公開してしまいました。読者のみなさん、この稿はヒソかにお読みくださいませ〜。


25:高校との微妙な違い

高専には靴箱がありません。土足です。しかも正面玄関(?)にはカーペットが敷かれている為、そのままあがりこむのに少々躊躇するとかしないとか。

あ、なるほど。そーですね、高校までは『内履き』ってヤツがありましたね。でも、教官はきっと健康サンダルに履き替えているに違いない。また、

11月の頭に学園祭があります。高専ぽい空気を味わえるかもしれませんので、興味のある方はゼヒ(笑)※ただし出店はかなりショボショボ

とのこと。わたあめ機とかビアサーバーくらい自作しそうですけどねえ、高専生。


26:「べとギャルズ」そのほか

○その1、旧土木課のはなし
当時、土木課と言えば別名「べと」と呼ばれており、女性がいるなんてことは通常は考えられないのですが、私が入学当時、1年から5年までで約10人ぐらいの女性がいました。その上、上級生は綺麗な人が多かった。で、その女性陣、あるイベントをきっかけに「べとギャルズ」なんぞというグループを結成してたりしました。
あの頃の女性陣は今はどうしているのやら…

○その2、ロボコン
これ、今でこそ規模が大きくなりましたが、開始当時は予選なんぞ無くNHKから各高専にでませんかと依頼がきてました。で、ほとんどの高専が電気課か機械工学課が出場してたんですが、長岡高専のみ土木課が出場してました。ようは他の課の教官が余り乗り気ではなく、うちの課のイベント大好きおじさんが物好きを集めて出場したのが始まりです。
で、このロボコン、第1回目のテーマが単一電池2本を使用したマシンで人間1人を50mを何秒で移動できるかというタイムアタック物でした。
しかし、この時のメンバーが作った代物は、
 「単一電池2本で8人乗せても移動できる。そのかわり移動速度は亀より遅い!」
その名も“ダム号”というテーマの趣旨とは少々?異なる代物でしたが、これで特別賞貰ってたりします。(人数は10人だったかも)
※ここで裏話、ロボコンは第2回目までは予算は無制限で、作成したロボットのNHK持ちだったんですが、各高専とも巨大で重いものを作ってきたため、3回目以降はロボットに予算制限と重量制限がつきました(ちなみにダム号の重量は80キロ以上はあったはず)

○その3、高志寮
寮ネタはいろいろありますが、取りあえず当り障りの無い所でどこにでもある、怪談話を3つほど。

1.談話室の板張りの床
その昔、寮で自殺した学生の死体を置いた畳が、何度取り替えても人の形にそって黒ずんで腐る為、その部分だけ板張りにしたという話。

2.4号館に埋まる子供
行方不明になった子供が、4号館の壁に塗りこまれているという話。

3.木の中にめり込む人影
当時、寮の正面玄関の前にあった池の脇の大きな木に、人がめり込んでゆくという話。 ※現在の女子寮の場所

なるほどでございます。「べとギャルズ」は甘酸っぱい青春のいちぺーじというか何と言うか。そして、いくら亀より遅くとも、単一電池2コで人間8人を動かせるっていうのはスゴすぎですっ!!!


27:大講義室をホームルームに

 高専で留年してクラスメートが増えた、なんて話が載っていましたが、私の在学中にも似たような事がありました。
 当時、土木工学科で大量の留年が発生し、通常の教室では入りきらなくなりました。
 そこで、本来なら合同授業等で使う大講義室をホームルームにした事があります。
 ふたクラス分の広さがある教室ですので、後ろの方がだいぶ余っていたようですね。
 そして、本来使われるべき教室は、物置となり、戸には鍵がかかっていました。

 ところが・・・

 この教室、廊下側には窓がない代わりに、足下に換気用の小さな戸があったのですが、ここの施錠を忘れたらしく、開きっぱなしでした。
 ですので、学園祭などで、学校に泊まり込んだときなどは、ここの戸をくぐって(人一人くぐるのがやっと位の狭い戸でした)、積み上げられた机の下を通り抜け、ほこりがかぶった広々空間を勝手に使って遊んでいました。

 高専の留年率のすごさがわかるエピソード。そんな進級戦争のなか、ほこりをモノともせず閉鎖されている教室に入り込んで遊ぶのは、盗んだバイクで走り出すよーなものなのか……。


28:文化祭名物演劇大会

 私は旧土木工学科の卒業生です。10月終わりから11月始めにかけて高専では文化祭が行われます。様々なイベントが催されますが、やっぱり一番は学科対抗演劇大会でしょう。これは文字通り高専の5つの学科それぞれが演劇を行うもので、優勝チームにはもちろん、主演男優・女優賞、脚本賞など各賞を取った学科にはなんと賞金(商品じゃないよ、お金だよ)がでます。お金がらみですからねぇ、どこの人たちも本気でやってましたね。審査員は、各学科ごとに前年度のOBと教官が一人ずつ選ばれて行います。私も審査員を行ったことがありますよ。

 さて、我々土木科はビリの常連(?)だったみたいです。なぜなら内容が内容でしたから・・・ギャグありシモネタあり何でもありでしたから。私たちが一年の時は、クラスの女の子たちはレズやってたし。あと、演劇の小物の一升瓶には本物の酒が入っていて、本番中に飲んでましたよ。まあ、演劇始まる前に景気付けってみんなで一升瓶回しのみしていたから同じことだけど。
 こんな土木科がなんと二年連続で優勝しちゃったから驚いたね。(ていうか、私も参加していたんだが)打ち上げの飲み会の時はもうみんな壊れているし。羽目を外しすぎていろんな事件がありましたよ。(高専坂の下で一晩寝てしまった人、急性アル中で病院送りなどなど・・・)

 昨年は長岡にいなかったため見に行けませんでしたが、今年は見に行きたいと思っています。そうそう、文化祭には関係ないですが、昨年の体育祭でついに環境都市工学科が優勝できなかったそうですよ。土木工学科設立以来続いていた体育祭優勝がついに途切れてしまったそうです。時代は変化しているんですね。

工業系の学校の文化祭の目玉がどーして演劇なのかはさておき、未成年のア×コール摂取のことなど法に触れることもさておき、2週前に掲載してたらよかったでした、この情報。私も見たかったなあ、理系の北島マヤ・理系の姫川亜弓・理系の桜小路くん(<該当者はうれしくないかも?)。


29:S雄哲学

お久しぶりです。Earthtandです。しばらく見ぬ間に高専ネタがかなり増殖しているので、私も近代卒業生らしくまた一つ投稿しようと思います。

そう、私がネタを振った「S雄」教官です。

彼は高専の名物教授……というよりも、「高専の登竜門」です。「倫理社会」と称して、実際に教えているのは「倫理」でも「社会」でもなく、「S雄哲学」! これを2年の時に(なかばむりやり)教えられるので、一部には「反S雄哲学者」も出てきます(^^;)

ちなみに寮内でのS雄警報というのは、寮内での禁止行為がS雄に見つかった場合、本当に本当に本当にタダでは済まないことから来ているそうです。私は寮生ではなかったので、詳しいことはわかりませんが……あと、「あーお前はそのまま死んでしまえば良かったんだ」と学生に言ったという噂も聞いています。普通の教官が言っていれば問題モノですが、S雄教官の場合これが笑い話になってしまうのだから不思議なモノです。

あと、ちょこっとフォロー。
>当時、土木課と言えば別名「べと」と呼ばれており(26:「べとギャルズ」
今でも呼ばれてますよ、「ベト」。「環境都市工学科」に名前が変わっても、通称「ベト」。

>文化祭名物演劇大会(28:同
私もやりましたよ、コレ。
私は電気科卒なので他の科の事はあまり詳しく知りませんが、少なくとも電気科では「景気づけ」は数年前に廃止されたそうです。
ちなみにここ数年、ベト強いですよ。今年も優勝もってったみたいですし(私は行っていない、というより、行く気-342%だった)。最近は「運動会のベト」ならぬ、「イベントのベト」になってます。

Earthtandさんお久しぶり〜。ここでリンクさせていただいたとたん行方不明になったので、どーしたことかと思っておりました。
なお、「行く気-342%だった」はいやらしいことが書いてあったのでアレしたわけではなく、メール到着時にすでにバケていた天然バケでございます。「S雄」教官ネタの「むりやり」も同様(笑)。


30:講

長岡高専の大講義室をホームルームに、という話で思い出した話です。
高専の各講義室の入り口には「○○○講義室」と札がついていますが、一部の講義室は「○○○講議室」となっていました。
けっこうアホな間違いです。
どこがそうだったのかはよく憶えていませんけど、420講義室は「420講議室」でした。
多分、今でもそのままだと思います。

『講室』ですね。ルームプレート業者が間違ったのか、発注した原稿がそもそも間違っていたのか。


31:こんながHPが

こんながHPがあります。
真・高専用語辞典
今年卒業された方のものをベースに現状を書き加え、編集されているようです。
親としては時々ここで息子の安否確認など致しております。

高専生の親御さんからでした。中学卒業した段階で寮に入っちゃうわけだから、おうちのかたは御心配でしょうねえ。ご紹介のHPは高専用語集モノ。まだリンク許可取り中なので、取れ次第繋ぎますわ。リンク許可頂きました。「あ行」のなかには『ロボティクス部』に対抗(?)した『エロティクス部』なる怪部の記載も……。


32:すべてが伝説化される教官でした

私の担任はS雄教官でした。
死ねばよかったといったとき、まさに私はそこにいました。
たしか、生徒の1人が、「死にそうでしたよ」
といった発言に、
「あー、死ねばよかった」
と発言しました。
さすが、S雄。
しかし、彼は偉大な教官です。
『ご冗談でしょファインマンさん』を読ませます
テストで漢字が間違ってると、答えがあっていてもだめです。
しかも、漢字のはねる部分とかもみます。
花見もします。
口癖は「まーた、○○(人の名前)か、あー?」
「あー、いったいお前はなにやってるんだ、えー?」等々
しかも息継ぎせずに一気にしゃべります。
すべてが伝説化される教官でした。

理系の学校で、メイン科目ではない『倫社』の教官がこれほど人気爆発とは。それにしても、「あー」「えー」を多様しながら息継ぎナシの早口ってのは、人間ができるワザなのだろーか。


33:<DEL>変人</DEL>

>理系の学校で、メイン科目ではない『倫社』の教官がこれほど人気爆発とは

と言っておられるので少し.

理系の専門教官は(当然)各科ごとに違いますが,
一般系の教官は全学科で担当するため,単純に5倍というか,
要は誰でも知ってるって訳ですね,一応必修ですし.

まあそれをさしおいても,
一般の教官ですら<DEL>変人</DEL>個性が強い中で,
その中でもS雄教官は際立って…えー,偉大な教官ですから,
人気?なのも頷けることです.
長期休み前には必ずと言っていい程,
「お世話になってはいけない4つの車」
の話をされていたのを思い出します.

あ,ちなみに 32 の辺りはすべて本当です.
今思い出しても変…凄い教官です.

よくよく<DEL>変人</DEL>強烈な個性の持ち主であられるらしいS雄教官。なにかイベントやって『文教ニュース』に載ってくれれば私も拝見できるんですが。『文教速報』でも可。事務系じゃないから「四月人事のキナクサイ噂」には載らないだろーしなあ。<おそらく一部のac.jp関係者が大爆笑。

...To Be Continued!


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