今週のメッセージ 2006.12.3

死んだ犬も同然のわたし

「僕(しもべ)など何者でありましょうか。死んだ犬も同然のわたしを顧みてくださるとは。」(旧約聖書・サムエル記下9:8)

これはメフィボシェトという人がダビデ王に語っている言葉です。実に自虐的に聞こえ、相手に対してあまりにも諂い過ぎているように響く言葉です。

メフィボシェとは前王サウルの息子です。また両脚が萎えてしまっている身体的ハンディキャップも負っています。当時(紀元前10世紀頃)は、王朝が代わった時には、前王朝の人間は新しい王朝によって根絶やしにされるのが慣わしでした。メフィボシェトの言葉には、ただ謙っているだけでなく、殺されても仕方のない人間、加えて障害を負った人間という負い目が感じられます。

現代にあっては、人に対してそのような自己卑下的な言葉を吐く必要はないでしょう。しかし、神に対しては「死んだ犬も同然の...」と言っても決して言い過ぎでないのがわたしたち人間なのです。使徒パウロは自らの罪深さを嘆き、「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。...わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、誰がわたしを救ってくれるでしょうか」(新約聖書・ローマ7:19,24)と言っています。また、「わたしは、その罪人の中で最たる者です」(1テモテ1:15)とも書いています。

そんなわたしたちが、神の御前に憚ることなく頭を上げて立ち得るために、キリストがわたしたちの罪を背負って十字架にかかって下さったのです。そここそ、わたしたちが自虐的にならず、変に自己卑下せず、諂わず、自分を受け入れて生きることが出来る原点なのです。