ヴァッスーラ・ライデンについて
TRUE LIFE IN GOD

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ヴァッスーラさんの公式のホームページが出来ました。
こちらへどうぞ!

はじめに
ヴァッスーラ・ライデンとは誰?
ルネ・ローランタン神父によるコメント
そのメッセージ
来日時のメッセージ
司祭のマリア運動との関係
おわりに

はじめに

ヴァッスーラ・ライデンさんという女性がいます。
とても不思議なこと、神秘的なことにこの女性はいつもイエズスからのメッセージを受け取っているとのことです。
「カトリック生活」1995年1月号にこのヴァッスーラさんを紹介する記事が載りましたが、そこに書かれているように、今日多くのマリア出現、示現、メッセージ、奇跡的現象が世界各地で伝えられています。その中には、ただ恐怖心のみをそそるもの、いかがわしいものもあり、教会から慎重に取り扱うように指示されたものもあります。
その中にあって、このヴァッスーラさんが受けているというイエズスのメッセージは皆さんがお読みになれば分かるように、主はいつも私たちと共におられること、私たちを非常に愛しておられること、私たちから愛されることを望んでいること、主イエズスの愛の言葉に満ちています。

このヴァッスーラさんとイエズスのメッセージについて簡単に紹介します。
そしてもっと詳しくお知りになりたいと思われた方は、参考資料に載せている本をお読み下さい。

ヴァッスーラ・ライデンとは誰?

 ヴァッスーラ・ライデンは、1942年1月18日に、エジプトでギリシア人の両親の元に生まれました。1966年に結婚。1968年に夫がFAO(国連食糧農業機関)に就職して以来、夫と共に国から国へ移り住みました。
 10代から30年間も教会にほとんど行かず、宗教的無関心な生活を送っていましたが、1985年11月のある日、突然守護の天使ダニエルの訪問を受け、その後、知的幻視のうちにキリストからのメッセージを受けるようになりました。
 今日も絶え間なく続くこの霊的対話の記録は、True Life in Godとして、すでに29カ国語に訳され続刊されています。

ルネ・ローランタン神父によるコメント

(マリア論の世界的権威者であるルネ・ローランタン神父が書かれた文章から抜粋します。執筆中)

そのメッセージ
「ヴァッスーラへの預言」(ヴァッスーラ・ライデン著 人見祥子訳 春秋社)からの抜粋)

'86.9.20
あなたに平和。
御一緒にいてよろしいでしょうか?
はい、あなたは私と共にいます、私は光です。
お側にいてよろしいでしょうか?
あなたは私の側にいます、私の中にいます、私は光です。
私を守って下さいますか?
あなたは私によって守られています。
貴方に委ねることができますか?
私に委ねきってもよろしい。
信仰を保つために、あなたの力がいるのです。
あなたには力が与えられています。
あなたの愛が必要なのです。
あなたは私にとって大切な方です。私は光で 皆に見えるようにと輝いています。恐れたはなりません、私の道は真っ直ぐです 私の道はあなたを私のところへ導くでしょう。私はあなたに会います そして あなたは私であることに気付くでしょう、私は平和と愛の光を放っていますから (ここで本文ではハートマークが2つ入っています。−濱田注)私のところにいらっしゃい。私が見えますか? 私の声が聞こえますか? 怖がらないで、暗いところにそのように立ちすくんでいないで、ほら、あなたの脚は癒されている、あなたは また歩けます、御覧なさい、視力は回復しました。私が癒したのです。
私はあなたの恥を癒しました そして あなたの罪は私によって洗い落とされました、ですからあなたの脚を使って私のところに歩いていらっしゃい、あなたの目を使って私を見るように、あなたの信仰を使って私に出会えるように。私はあなたの購い主、あなたの平和、私、イエスは、あなた方皆を愛しています。

'86.9.28
今日、イエスは一つのはっきりした幻視(知的幻視)を与えて下さいました。どこか分からないところにいて、あたりは沼地で人は誰もおらず、私の霊は迷子になってしまったようでした。私は、主が私を探しておられるのを見ました。
ここです、私、イエスです、あなたを見つけました、おいで、戻る道を教えましょう。私の声を聞きなさい、私 イエスは道です。迷子になったと感じる度に私を呼びなさい、あなたのところに来て 道を教えましょう。私は 道です。

'86.9.30
わが子よ あなたに平和。
どうぞイエス 聖なる方を感じてから 書くことができますように光をお与え下さい。
(ここで本文ではハートマークが2つ入っています。−濱田注)ヴァッスーラ 口先だけの信心は無意味な行為です。
私は自分の間違いに気がつきました、私は先の願いを愛をこめずに、深く考えずに、心から感じることなくイエスに願ったのでした、私は同じ願いをもう一度唱えました。けれど 今度は一つ一つの言葉の意味を心に深く刻みこみ 魂を主に捧げながら唱えました。
私に向かう今のような心で語りかけなさい。神である私は感じているのです。私は全てを感じています、あなたの呼びかけが、魂の底から出ていることを求めます、私を必要とし、私を愛し、あなたの唱える言葉がすべて深い意味を持つことを、神である私は実在し、感じているのです、口先だけの祈りは どんな祈りであっても葬ったほうがましです、口先だけの信心は墓から発せられた唸り声です、覚えていなさい 私は現存していて 感じているのです。私のすべての子どもたちが私に喜びを与えながら働くことを願っています。

来日時のメッセージ

'97.6.23

私のヴァッスーラ 心安らかに、父に祈りを捧げよう:

御父よ、
誠実なあなたの愛によって、
日本に顔を向けて下さい、
その果てしなくお優しい愛を持って
慈しみを注ぎにはやく来て下さい。
貧しい者 惨めな者たちの声をお聞き下さい。
あなたの栄光を讃えることができるよう、
救いの御力をもって日本を引き上げて下さい。

ああ 最もお優しい御父よ。
子供のときからあなたの掟を教え
あなたの不思議を宣言し たえまない讃美を歌うことができるようにして下さい。
この国が 讃美すべき方への讃歌、抵抗しがたい香の香りとなりますように、
ああ主よ、御言葉によって この国を訪れて下さるよう あなたに祈り 懇願します。

アーメン

そう、すべての者の父は彼女*をいつも愛してきた。
・・・・ 私が話すときには ヴァッスーラ 口を開き、代弁者となって栄光を帰するように。
(*日本のこと)


司祭のマリア運動との関係

 当時、司祭のマリア運動の指導者であるゴッビ神父はヴァッスーラの霊性と一線を画しておられましたが、1991年6月15日に個人的にヴァッスーラのメッセージをよく研究なさった上で、全ての保留にされていた部分を解かれました。そして、スイスのサン・モリッツでマリアの司祭運動の会員たちとの会合において、ゴッビ神父はこのように宣言されました。
「ヴァッスーラは教会でその役割を持っており、主の指示に従って動いています。そして混乱なく邪魔されることなく、ヴァッスーラは主の要請に答えていくべきであり、一方では最大の兄妹愛と最大の協力を得るべきです。ゆえに、分裂や葛藤や憎しみはもはや存在すべきではありません。チェナクルムのために一同が集まったときはチェナクルムの祈りをし、ヴァッスーラのチェナクルムのために集まったときには、ヴァッスーラの集まりの祈りをするように。 …喜びと、平和と、兄妹愛のうちに前進するためには一言、平和の言葉が必要だと思いました。」
 ゴッビ神父のこの言葉は拍手をもって迎えられました。
司祭のマリア運動についてはそのページをご覧下さい。)

おわりに
 私が初めてヴァッスーラさんについて知ったのは、1995年3月にヴァッスーラさんが来日されたときでした。ある神父様に教えていただいて、大阪での講演会を聞きに行きました。お見かけする限り普通の人、おばちゃんというには少し若く見えるかなといった感じの人でした。講演の感想を聞かれると困ってしまうのですが、実は奥さんと子供(当時はまだ長男一人でした)で聞きにいったのですが、講演が始まってしばらくすると長男がぐずりだし、結局ほとんど外のロビーで子供をあやしていたのでした。
 日本での講演の様子は、東京、別府、大阪それぞれがビデオで発売されています。 注文およびお問い合わせは「神のうちのまことのいのち 日本における支援会」(連絡先は下記)または愛心館 06-308-3515 へどうぞ。

参考資料:「ヴァッスーラへの預言」ヴァッスーラ・ライデン著
      人見祥子訳 春秋社
     「現代の神秘家 ヴァッスーラ・ライデン」
      カトリック生活1995年1月号
     「私の天使ダニエル」ヴァッスーラ・ライデン著
      人見祥子訳 天使館

このページの内容についての一切の責任は濱田個人にあります。また特定の個人や機関を中傷したり非難したりする意図は全くございません。

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彼女を支持する枢機卿、司教、司祭の数は世界規模で相当数にのぼります。一度皆様も読んでみられてはいかがでしょうか。
 私は個人的には、この本を読んだ後は主イエズスがとても身近に感じられ、その現存を強く感じることができました。

最終更新日 1998.9.14