富士を滑る

 春夏秋冬、富士北麓から見る富士山はいつ見ても美しい。しかし、私の心が最も高まるのは春から初夏にかけての富士である。厳冬の富士は純白で、時に雪煙をたなびかせ、紺碧の空に鮮やかだ。しかし、そこには生命の活動を拒絶する風と氷の世界があるだけである。確実なアイゼンワークと滑落停止技術を本能的に身に備え、動物的感覚で突風を予知できる、ごく限られた熟達した登山者にのみその登頂が許される。

 4月、それまで純白であった富士山が俄かに輝き始める。春の強い日差しを受けて、アイスバーンとなった雪面が鏡のように光るのだ。富士吉田市内から真正面に見える大きな沢が吉田大沢だ。スキーヤーなら、この障害物のまったくない絶好のスロープを見逃すはずがない。しかし、この時期にそこを滑るのは無謀である。氷結した斜面はアイゼンをも跳ね返し、スキーのエッジなどそれこそ歯が立たない。一度転倒しようものなら後は奈落の底、六合目の岩場で肉体は粉砕し、人間としての原形をとどめない。私も以前、かなり雪の腐った時期ではあったが、八合目で転倒し六合目まで滑落して九死に一生を得た苦い経験がある。六合目で生きた自分と再会したとき、両足のスキーはなく、壊れたビンディングだけが流れ止めバンドにつながっていた。ストックは曲がり、グリップの半分が雪面との摩擦で消失していた。病院に着いてはじめて全身傷だらけであるのに気が付いた。そのとき以来、積雪期の富士山に登るときは、ヘルメットを欠かさない。

 さて、富士山にスキー適期が訪れるのは、アイスバーンが融けて雪面の輝きが鈍くなる5月下旬だ。この時期を見極めるのが難しい。アイスバーンが融けた直後を狙わないと山頂から六合目までの大滑降は期待できない。夏に向かって雪線はみるみる上昇してゆき、滑降距離は短くなってしまう。6月4日、前日の天気図から移動性高気圧がどっかりと富士山の上空に居座ることを確信して、朝靄のスバルラインを車で飛ばす。五合目からスキーをザックのサイドに取り付けて吉田口登山道を登る。六合目から雪が現れる。雪は腐っておりアイゼンはいらない。七合目の夏道より吉田大沢へトラバースし、山頂を目指してキックステップで直登する。気の早いスキーヤーは、頂上へ続くこの単調な登りに耐えられず八合目以下でスキーを始めている。

 単調なキックステップも三時間我慢すればやがて傾斜は緩くなり、久須志岳と白山岳の鞍部に出る。山頂だ。アイゼンなしでここまで来れば、スキー滑降はまず安全と思ってよい。ゆっくりと三百六十度の展望を楽しんでから、いよいよ吉田大沢大滑降だ。スキーをセットする指先が興奮のためか、わずかに震える。斜面を覗くと、登ってきたときよりもはるかに急な傾斜に見える。気持ちの整理が付いたとき、思い切ってその斜面に飛び込むのだ。風の音以外何の音もない静寂が、突然エッジで氷を削る金属音に変わる。それから何回ターンをしたかわからない。脚力が限界に達したところでスキーを止め、降り返ると頂上は見上げるほど遠く高いところにある。疲労が回復したところで、また滑り出す。徐々に雪が腐りだしターンが困難になる。八合目、七合目……、吉田大沢右岸にある山小屋の位置で現在の高度が確認できる。眼下には富士吉田市街が広がり、羽があればこのまま身体は空に舞ってゆきそうだ。ゲレンデスキーでは味わえない醍醐味である。

 やがて、雪面に黒い岩が露出しはじめる。いよいよ今日の滑降もフィナーレだ。一番低いところにある雪線を目指して、狭い雪面でジャンプターンを繰り返し貪欲に滑降を続ける。そして遂にスキーを履いたまま岩の上を歩かねばならない所まで来てしまった。このへんでスキーを終えることにしよう。長い登高に比べて一瞬にして終わる滑降ではあったが、息は荒く膝はがくがくである。しかし、充実感が疲れを忘れさせる。

 吉田大沢は夕日に照り返り、山頂は逆光でシルエットとなる。美しい。今日、充実した時を過ごさせてくれた富士山に感謝しよう。今日の富士山は快晴微風、えらく機嫌がよかったようだ。まだ、氷の滴り落ちるスキーを担ぎ、快い疲労感をザックに詰めて、日没迫るジグザグの下山道を急ぐ。今晩は焼き肉とビールで乾杯だ。

 

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