バックナンバー・こんな事語ってました

お酒について語らせて
確かに言ってたこんな事


UP DATE .2002.12/17


第22回 ビール


ビールについて何故語れない?


このコンテンツを書き始めて5年。そして22回目にして初めて語るにはあまりにも身近なお酒、ビールについて やっと書きあげました。しかもコレ、書き始めたのは8月の下旬で、当初のサブタイトルは 『麦秋の頃に思うこと』っていうものだったんですよ。時間かかったなぁ(^^;)

5年前に遡っても決して避けていたわけではないビールなんですが、世界の至る所で愛されているお酒であり 概要だけでも多種多様な 捉え方がありますので、それなりに大上段に構えて書かなきゃって思ってたんでしょうね。 半端な気持ちじゃあ書けない、と。

勿論、過去ログにある あらゆる『お酒について語らせて』は半端な気持ちで書いてませんし、 そもそも言いたい事が溢れてくるくらいあるから書いたものでした。しかし事実としてこのビールに関しては書いていない。 過去、ビールについても色々な事を思います。日常的に飲む機会の多いお酒ですし、好きですし。 そしてそれらの思考をまとめようと何度も試みた筈。けれどもやってみて自分で納得出来なかった。 しかし好きなお酒の事です。また色々考える、だけどまとめられない。その繰り返しで今まで来たんです。

じゃあ何故、今回やっと書きあげるに至ったのかというと、ひとつは遅きに逸した感はありますがワールドカップ。 それを切っ掛けにして。つまりいつもと同じ、成り行きですね。様々なビールについて とあるファミリーと話していると、その豊かな魅力が心に乱れ咲きそれらをまとめたいと思う。ここまでは いつもの流れと同じで、大抵その後の試行錯誤で駄文に成り下がってしまうのですが今回は違った。

丁度2年ほど前、この『お酒について語らせて』のスタンス、在り方を見直した時の気持ちを顧みて、 それに準えてビールという対象を捉えてみた。つまり文化として捉えた時の我が国のビール事情について考えてみる。 やってみて思いました。これは2年前や4年前だったら内容が違うものになってた筈。 今回の語らせては、ビール好きの皆様になんらかの疑問を抱えさせる事になるかもしれません(ホントか?)



古代から受け継がれた酒


簡単に概要から入らせてください。ビールの起原について。  ワインに次いで古いと言われるビールは、人類が農耕技術を身につけたところから作られ始めました。 麦という穀物を水でこねて焼いてパンを作る。もう一度水に戻して粥を作り、置いておいたら自然発酵して アルコールが得られた。穀物は人々の生命の糧になりますから、世界の広い範囲へ伝わる事になります。

と言ってもワインが壺や瓶に入れておいて勝手に発酵するのに比べれば人間の手が掛かるわけで、 誕生がワインより遅いのも当然。でも、人類が積極的に用いた最初の酒はビールだった筈。ワインが最古参の酒であることは 広く認知されていると思うんですが、ワインがキリスト教の布教と伴に急速に広まっていったんだということを 思い起こして頂ければ紀元前3000年には登場していた事が明らかなビールの方が生活に溶け込んでいた事は 理解できるでしょう? そして今日もっとも消費量が多いのもこのビール。

近代に冷蔵技術が開発されると様々な酵母の育成や、本来収穫時季に左右されたビール造りも色々と 融通が利くようになってきました。上面発酵や下面発酵、大麦以外の穀物を用いたり、アルコール度数を 意図的に変えたり。大体ビールの歴史が語られる際はこのように伝えられていると思います。しかし紀元前から用いられていたビール作りの革命的変化が、この冷蔵技術の開発を待たねばならないというのは 事実としても、ちょっと空白期間が長過ぎますね。どうしてビールが語られる際、発見の過程のみとして 紀元前に触れ(やたら語られはしますが)、いきなり近代に話題が飛ぶのでしょう?



飲食物


原料を穀物とする酒の製造は、性質上後回しにされます。ちょっと思わせぶりな表現ですね? (^^;) つまり食べることが満たされた後に、酒造りに手が回るということです。最初穀物は食べる目的で栽培されます。 食べることに満足たる量が確保されないとお酒造りに回す余裕など無いはずです。じゃあ古代人が食べるための穀物とは 何だったのか?どうやって食べていたのか?

大麦です。単純に小麦よりも作るのが簡単で、尚かつ粒が大きい。これを挽いて粉にして食べた。 野生の麦を栽培し食すようになったばかりの頃は、「煮る」という行為は無かったとされています。 新石器時代(紀元前7000年くらい)を待たねばなりませんから。 それでもその後、麦を水でこねて 直接火を通す、つまりパンにすると食べやすくなる(簡単に量を摂取できる)事を知ります。 ただ、大麦は小麦に比べて粘りけが得られないので、ここで小麦の優位性を知ることにもなるわけです。

これをもうちょっと細かく話しますと、大麦は収穫した後乾燥させる必要があります。でも雨などに降られると 時間がかかり発芽してしまいます。発芽した麦で作ったパンは直ぐに固くなってしまうので水や湯に浸して粥にして食べる。 そうすると麦芽は糖化酵素を含みますから、自然発酵してビールが出来たと考えられています。

ビール造りの起原とされるメソポタミアやエジプトでは主食はこのパン。つまり生産の中心は小麦だったわけです。 一方ギリシアやローマは大麦の生産が盛んでした。これは元々彼らの祖先が狩猟民族の風習を色濃く残し、 飲み物としてはビールではなくワインを好んだことが要因です。小麦の生産量を積極的に増やす必要が 無かったのかもしれません。パンは高級品で、穀物や豆類の粥を主食としました。要するに穀物から作られるビールは 食べ物。ピラミッド建設の際、滋養強壮に用いられたのもそういう性格があったからなわけで、 長々と書いてきましたが、紀元前からのビールは「食物」であったというわけです。

歴史として語られるビールの誕生は『食』。その後の歴史として一気に近代へと飛ぶのは、 ここで初めてアルコール飲料、お酒としての性格が認められるからじゃないでしょうか? これ、以外と盲点でしょ?



アルコール飲料としてのビール


もともとこの『お酒について語らせて』のお題目は「酒文化の魅力を伝えたい」という事。文化という括りを持ち出すと その概念から入らねばならなくなりますけど、言葉にした場合Numberは『生活の中で一定期間用いられた歴史を有している事。 その上で後世に伝えたい飲酒傾向』を指します。

そうすると、日本が嗜好飲料として各アルコールと向き合った歴史はかなり浅いものばかり。だから過去 このコラムでは『酒文化とは、僕たちが今正にこの時代に作っていくものなんだ』と言ってきました。 過去ログでは、ウイスキーや純米酒に代表される様な新しい日本の酒とのつき合い、 ほんの浅い歴史しかないものさえ素晴らしい酒文化だと言い切ってきました。ではビールはどうだったのか?  嗜好飲料、アルコール飲料として、 ビールは文化足り得るのか? その疑問に対する答えを探し出している間、つまりその答えに自信が持てない間、 Numberはビールについてここで書くことが出来なかったんだと思います。

海外のビール大国には、ドイツ・ベルギー・チェコ・イギリス等があって、そこでは様々なビールが飲まれてますよね。 原材料や製法、気候や目的の違いから生まれ愛されているビール達。既に日本でも楽しんでる人達はたくさんいます。 Numberは当初、宝石のようなこれらビールを網羅していこうかと思いました。とあるNumberファミリーと語り合っていて 楽しかった様々なビールの魅力。例えば大抵のビール大国には、一国でありながら様々なスタイルのビールが在るんです。 その魅力、それらを大切にしている消費者、つまり国民性が魅力的なんです。

対して日本は優秀なマーケティング能力も手伝って、消費者のニーズをつかみ取る事に巧みです。結果、 コクやクセの強いビールよりも、ライスやコーンのスターチをブレンドして清涼感のあるビールを主力に据えました。 それは良いのですが、大抵の場合何処も同じ様なタイプのビールを造りました(例外もありますが)。

日本のビール産業については、国家レベルでの構築の歴史があります。この辺は各々調べてみると簡単に様子がわかるでしょう。 新しい企業のビール市場参入や撤退、熾烈なシェア争いが繰り広げられたその中で、素晴らしい技術の開発も進み、 それらは消費者に利益をもたらしましたが、酒文化と呼べるようなものはまだ生まれて無かったと思います。 例えばマイクロフィルタの開発なんかは日本のビールメーカーが世界に誇れるものです。これにより非加熱の ドラフトビールを安定した状態で市場に送り出す事が出来るわけですから。ただし、それらを我々 日本の消費者はどう受け止めていたのでしょう?

素晴らしい技術によって誕生した商品ですが、相変わらずどこのメーカーも同じ様なタイプのビールしか市場に投入しませんでした。 そうなると、均一なタイプの商品を作ることに明け暮れていたわけですから、良くも悪くもビールに疑いが向けられることは 無かったわけです。『ビールってのはこんなもんなんだ』と。これじゃあ、ビールについては誰も語らない。

結局メーカーは従来からの日本人の好みに合うとされていたタイプのビールの、より効率の良い作り方。 シェアを絡めた流通に関するマーケティングにばかり目を向けていたように思います。 それには、 一定の生産規模を持たない醸造メーカーは参入できないという法規制があった事も無縁ではないでしょう。 さて、日本のビール文化。その大きな変動は、サントリーのモルツ誕生によってもたらされました。 これをNumberは、「ビールに対する消費者の嗜好革命」と思っています。


ビールの嗜好革命


1986年に登場したサントリーモルツ、原材料が大麦麦芽100%のこのビールは、従来の日本の飲みやすいビールと違い コクのある、旨味の強いビールでした。この商品のヒットにより、日本人のビール市場にまだまだ可能性があることが分かった筈です。 でも、残念ながら昔から各メーカーには得意の販売エリアというものがありました。昔は飲み屋さんや酒屋さんでも、 注文するメーカーが指定されていたくらいで、なかなか他のメーカーに鞍替えすることも無かった程です。 これらが阻害して、一気に消費者に認められる商品の誕生というのはなかなか見られないんですね。

実はサントリーモルツ誕生の秘密は、麦芽100%のビール、その素晴らしさを世のビール好きに伝える、 という大義があったでしょうが、偶然の要素が強いとNumberは思います。というのも、麦芽100%のビールには サッポロビールのヱビスがあります。つまり大麦麦芽100%で作ったビールの素晴らしさを知る人は当然いたわけです 技術者にも飲み手にも。昔から大阪の町中で強いメーカーがサントリー。堂島に本社がありますからね。 ところが他にも、ヱビスを置いている店が多かったんです。そして、多少高いお金を出してもエビスを頼む人が相当数いたんです。 価格を自由に決められない時代、「ビールは一本いくら」という時代に高くても飲まれたビールがあった。 これって凄い事ですよ。

違いの分かる酒飲み達の口に合うように。要するにヱビスのシェアをぶんどるために生まれたのが サントリーモルツだったと思います。今でこそ、日本になかったタイプのビールを広めた功労者みたいな 言われ方してますけどね。実際には各メーカーの努力というのは大変なもので、モルツ以前から美味いビール造りにかける情熱は 素晴らしいものがありました。キリンビールは地域限定を中心に様々なタイプのビールを昔から作ってましたし、 上面発酵であったアサヒのZやサントリーの濃色系ビールメルツェン等は評価してあげるべき商品作りだった。 ただ、時代とマッチしなかっただけだと思います。大ヒットしたアサヒビールのスーパードライは87年と聞けば、 日本のビールの発展にバブルが貢献したことが伺い知れるでしょう。

ちょっと休憩して本当の事言っちゃうと、日本のビールの歴史において大きな変動をもたらしたのは冷蔵庫の普及かもしれませんけどね。 でも、飲み手が初めてグラスの前のそれと向き合ったっていう意味では、このモルツ、あるいはヱビスの存在が大きいと思います。 メーカーだけではなくて、その思惑が消費者にも伝わりビールの楽しみ方を拡げていったという事で。

結局、このヒットを機に多種多様なビールを市場に送り込む動きを見せた各メーカーですが 直ぐに生産ラインに載せるのにはお金も含めリスクが大きい。だったら既に存在しているビールを投入しよう という事で、輸入するようになるんですよね。ライセンス契約を結んだり。 時代的にも海外旅行などが盛んになって、向こうでも比較的安価なビールは 旅行者が飲む機会も多い。グルメブームも手伝って、消費者の知識が上がっていくんですよね。

でも、これらって既存の商品、海外のビール文化の受け入れでしかないんですよね。 その後法的規制の緩和が入って、 年間生産量2000kl以上あれば醸造許可がおりるようになり、中小メーカーが地ビール製造に乗り出すまで、 日本のビールに、我々消費者を絡めた上で語られる動きは無かったと思います。そしてその地ビールですが、 文化と捉えるまでには生活に溶け込んではいないですよね。例えばドイツには大麦100%のビールばかりじゃなくて、 小麦で出来ているものもあるとか、ベルギーのビールはとても美味しいなんて経験をして、本当に色々な楽しみ方があるんだと 享受している人は多いですが、全体からすると極一部の人なわけで。これには景気とか、時代の気運に乗れなかったっていうのが あります。日本酒の贅沢なものが文化たり得たのは、バブル期に乗って飲み手がその価値を見いだしたからなわけで。

じゃあ話をビールに戻して、日本のビールメーカーの働きと、我々消費者のクロスラインは何処にあるのか?  幸か不幸か分かりませんが、発泡酒って事になるんじゃないですか?




発泡酒


本来お酒の定義は各国によって決められるものです。ビールも例外ではありません。ブランデー、 スコッチやバーボン、ワイン等が消費者に正しい在り方で届けられるために在る法律ですが、 残念ながら日本のお酒に関する法律は酒税法。政府の税徴収の為にある取り決めなんですね。

確かに発泡酒は使用される大麦麦芽の量が規制されています。ビールは大麦麦芽によって発酵が行われるわけで、 これが少なく代替品では旨味も得られません。ただし、当然のようにこの大麦に税金がかけられるわけですから、 使用量が規定以内なら税金で持っていかれる分を抑えられるので安く売れるわけです。そこに果敢にメーカーは挑んだ。

ビールと比較してマズイとか、物足りないとかいう声も聞きます。正直Numberもビールの方が良いです! でも、その商品は結果的に売れた。値段も含めての事ですが、卓越した技術で消費者が認める製品を作り 提供し続けるなら、これは立派な日本の文化になり得ます。発泡酒の規定は各国と言いましたが、海外では 日本なら発泡酒でもあちらではビールというものも沢山ある。今の発泡酒は、特別異端視するような商品では無いと思います。

政府はこの民間業者の企業努力を無視して、「結局売れているんならビールと同じじゃないか。税率を引き上げる」 とバカな事を言いました。この経緯を見るだけで、酒造りに関わる、酒を愛してやまないものなら、 彼らが如何に金を取ることしか考えてないかが解かろうというものですよ。結局この時は麦芽の包有量を下げたんです。 麦芽包有量が2/3以下なら発泡酒だったところ、1/4に。この数字は嫌がらせとしか思えない数字です。 でもメーカーはその規定内でしっかり作って来ましたからね。 だけど今度は20円値上げすると言っている。 安くて売れてるんだから、それで税収は上がるんだから良いんじゃないの? という声も尤もだと思うんですが。




じゃあ結論。日本のビール文化は?


そういう発泡酒。決していい加減なお酒では無いんです。勿論日本においてはビールは名乗れないんだから、 その時点で「発泡酒こそ日本のビール文化だ」なんて言えません。言えませんけど、この発泡酒以上に 日本のビール史上消費者と密接な関係にある酒って無いんですよね? 悲しく無いですか、それ?

発泡酒を否定してしまう理由はまだあります。ひとつは、そのスタンスがあくまでビールの代用品であるということ。 麦芽包有量が少なくてもビールのような、というあくまでも目指しているものがビールであること。 これじゃまがいものですからね。

そして安さ。この安さがデフレも手伝って尋常じゃない状態にある。製造販売しているのは 大手メーカーであるにも関わらず、販売数量は上がってるのに収益は赤字とか。このままこの価格で提供していけるのか? はっきり言って、メーカーは税金が云々言ってる場合じゃ無いと思う 消費者はともかく。

他のお酒に比べて圧倒的にビールが酒造りに力を入れてないと思われる分野じゃないですか? 面白いもんで毎年季節限定の商品を作ってます。そりゃあ楽しみな部分ではありますよ。 冬は鍋の季節だから、食に合わせて辛口。春は香り高く、夏は喉越し、秋は焙煎の濃いの。 もしかしたらこの毎年毎年のフレッシュな商品を楽しむことが、日本のビール文化なのかもしれない。 いや、そうだろうか? 楽しみだけど、毎年ものによっちゃあ品を変え、名前変えしている。 如何にも軽々しくないか?  もしかしたら僕らの嗜好に居座るようなビール作りを、メーカーは今後してくれるんじゃないだろうか?

ビールは、市場原理に流されやすい分野なんですよね。価格が安く消費の傾向が強いから。 なんだかんだで発泡酒がメーカーの主力商品になってる。 はっきり言って、今の価格だからビールと比較して手に取るのが発泡酒なのかもしれない。ならば、 然るべき適正価格になったとき、消費者によってどんな判断がなされるのだろう? ビールメーカーが本当に力を注いで作り上げるビールってどんなものなんだろう?  それこそ日本独自のビールであって欲しい。僕らが普遍的に楽しむことの出来る麦酒。 まさか発泡酒の事じゃ、ないですよね?

この答えもきっと、僕たちが作っていくんだ。




本音


まあ上で熱っぽく語ったんですけどね、本当はNumberの中ではある種の結論は出ているんですよ。 世界各国で歴史上個性豊かなビールが作られてきました。日本独自の、日本の自然や気候が生んだ オリジナリティ溢れるビールの誕生なんて、夢物語なのかもしれません。そして、その卓越した技術によって作られる 季節限定のフレッシュな商品群。実はこれも素晴らしいもので、日本のビール文化になりえるかもしれません。 でも、酒文化というのは飲み手が受け止める事が出来て初めて成立するものだと思うんですね。

過去にアサヒビールがレッズなんてブラウンビール系統の商品をだしたけど、あれは香りが高く、飲みやすく 本当に個性を持った商品だと思いました。でも商業ベースに乗らなければ、要するに飲み手がしっかり育たなければ 商品として成り立たない。そういう魅力がありながら消えていったビールは沢山あったはずです。余談ですけど、 あのレッズの技術は現在発泡酒に活かされてますよね。

そして色んなカテゴリーのお酒に接してきてNumberが確認できた事に、日本の飲酒文化って、全て大衆に支持されたものだけなんです。 上流階級だけの飲み物として在ったんでは文化たり得ないのです。確かに昔、寺社で作られていた酒等は 限られた階級のものでした。でも、その状態では文化とまではいかない。同じ様な事はスコッチウイスキーにも見られます。 唯一ブランデーやワインの一部には言い切れない部分があるので敢えて日本のと断りますが、なかなかに興味深い事です。

実はどんなに頑張ってもバーボンが、スコッチが日本で作れないのと同様ビールもそうなのかもしれない。 作れるけど、文化とまで言えないお酒は沢山あって、例えばジンやウォッカに代表されるようなホワイトスピリッツ。 でも、それでいいのかもしれません。もしかしたらビールもそんな洋酒のひとつなのかもしれない。 これ程身近で、これほど日常に溶け込んでいるお酒であるにも関わらず語れなかったのは、文化として受け止める事が Number自身出来なかったからじゃないかと、今 思ってます。

「取りあえずビール」 この言葉を、粗末な扱いだと嫌う人もいます。 Number自身も、もっと味わいを楽しめるビールの 日常への出現を望みます。でも、「取りあえずビール」で良いんじゃないかな? なんて思ってるんです。 日常に溶け込んでいるのは間違いないビール。ただ、酒文化という括りを持ち出したとき、その求める理由が発泡酒に代表されるような 値段が中心に据え置かれているのが悲しいんですよね。さっきから言ってるように、発泡酒が日本の文化になっても不思議では無い と思う気持ちもあるんです。今 言えることは、これほど日常に関わり合いのあるお酒なのに、なんて薄っぺらい感覚でしか向き合ってないんだろうという 悲しい現実があるという事です。

ウイスキーやジン等、道行く人を掴まえてみると まるで知らない人が多いお酒もあります。 でも、あれらは愛する人は確実にいて、そう言う人が口にしてるんですよ。だけどビールは違う。 勿論その気安さがビールの魅力でもあるんだろうけど、この辺が『何故ビールについて語れないのか?』 の答えなんだなって思います。これに気づいただけでも、Numberにとってはまあ良かった。五年かかったけど(^^)

物事の答えは、決してひとつではない事が多いものです。人間はどうしても答えを性急に求めたくなるものだけど、 時間をかけて結論ださなくて、良かった。独創的なビールの出現はなかなか難しく、それでも綺羅星の如く 世界中にある様々なタイプのビールを再現することは出来る日本の技術。この国に居ながらにして 僕らはそれら商品を楽しむ 事が出来る、か否か? Numberが日本のビール文化、その未来について考えるのはそういう事なんですけど。

おそらくは、これから市場で展開される答えを、ゆっくり見ていこうと思います。


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