☆思い入れの部屋へ戻る
☆表紙に戻る
トム・ソーヤーの冒険
作 マーク・トウェイン
トム・ソーヤーの冒険は言わずと知れた児童文学の名作です。少年少女向けの世界名作シリーズなどの類には大抵収録されてますし、私もその例に洩れず子供の頃家にあった名作全集で読みました。
このトム・ソーヤーの冒険、子供の頃の私にとっては他のいくつかの作品とともに、特別にお気に入りの作品で、殆ど本がぼろぼろになるまで何度も何度も読み返した作品でした。(本がぼろぼろになった件に関しては何度も読み返したというだけでなく、管理が悪かったというのもありますが……。(^_^;))
しかし子供の頃は何度も読み返していたものの、ここんところ十数年程読んでなかったことを思い出し、たまたまトム・ソーヤーの冒険のアニメ版がBSで再放送されたこともあって久々に読み返しました。
トム・ソーヤーって少年は子供の頃の私にとっては憧れの存在でした。自由奔放というか、天真爛漫というか、トムには何者にも束縛されずに思うがままに生きているようなところがあって、そこに憧れを喚起されていたように思います。
勿論、なにもかも自分の思うとおりに生きていられる訳もなく、家や学校では持て余されてしょっちゅう鞭で打たれたりしてましたが、トムはそんなものはものともせずにその奔放な性格の赴くままに行動し、次から次へと冒険の種に突き当たって行きます。
トムの経験した数々の冒険はこれもやはり憧れの対象でした。家出をしての無人島での生活、インジャン・ジョーの殺人を巡る一件、洞窟での遭難、そして宝を手にするまでの様々なエピソード、etc..。
トムの心には憧れが一杯つまっていて、それが小さな体の中に入りきれなくて、いつでもなにかきっかけさえあれば飛び出そうとしている……、そんな少年だったんだと思います。
ポリーおばさんにしてみれば、命も縮むような思いをさせられたでしょうが、しかしポリーおばさんもそういうトムが可愛くてたまらないんですね。
私自身の少年時代はどちらかというおとなしい、自分の言いたいことを半分も言えないような子供でしたので、余計にトムのような自分を束縛しようとするものをものともせずに、自由に生きている姿に憧れを持っていました。あんな風に思うがままに生きていけたら……、思うだけでそれが出来ずにいる自分自身を非常に歯がゆく情けなく感じていたような気がします。その分、余計にトムの持つキャラクターに惹かれていたようです。
もう一人忘れてはならないキャラが宿無しのハックルベリー・フィンという少年でしょう。ハックはトムの最高の相棒でした。宿無しだからという理由で大人たちはハックと遊ぶことを禁止しようとしますが、子供たちの間ではハックという少年は人気者だったりするんですね。どうしても家庭や学校に縛られざるを得ないトムたちが持っていない自由をハックは持ち合わせています。
普通に考えるとハックのような少年が親もなしに生活していくというのは、そんなに気楽な環境ではないと思うのですが、ハックには宿無しの孤児という言葉から連想されるような悲壮なところはあまり感じられません。束縛のない自由な生活を思う存分満喫して悠々と生きている、という存在です。
終盤でダグラス未亡人の養子となって大きなお屋敷に住むようになると、逆に窮屈さに我慢出来なくて飛び出してしまうんですよね。宿無しで孤児のかわいそうな少年がいろいろな冒険の末に大きなお屋敷に引き取られて幸せに暮らす……、というストーリーにも出来なくはなかったかも知れませんが、それと全く正反対なところがハックの最大の魅力と言ってもよいでしょう。
そしてトムも例えポリーおばさんや学校の先生に禁止されようとも、ハックを無二の親友として付き合いをやめることはありませんでした。
トムの活躍の舞台となったのは1800年代のまだ開拓途上だったアメリカです。トム・ソーヤーの冒険に出てきたトムたちの冒険のいくつかは本当にあったことでマーク・トウェイン自身も実際に体験したものであるという、マーク・トウェインのコメントもあとがきには掲載されてました。
ミシシッピ川を始めとして豊かな自然の中で、トムやハックのような少年たちがのびのびとわんぱくに暮せるような時代だったんでしょうね。
それとともに開拓途上だったアメリカという国の持つバイタリティーを体現したような、トムはそんなキャラクターだったのかも知れません。
☆思い入れの部屋へ戻る
☆表紙に戻る