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        _/  _/    _/  _/           Japan On the Globe (79)
       _/  _/    _/  _/  _/_/      国際派日本人養成講座
 _/   _/   _/   _/  _/    _/    平成11年3月20日 7,208部発行
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_/_/       Media Watch: 事実と論理の力
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_/_/           ■ 目 次 ■
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_/_/  1.真の学問的検証とは
_/_/  2.情報の出所も分からない五等資料
_/_/  3.四,五等史料に基づいた東京裁判
_/_/  4.中国側公式史料から削除されていた4万人虐殺説
_/_/  5.南京虐殺に言及していない蒋介石、毛沢東、国連決議
_/_/  6.事実と論理の力
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■1.真の学問的検証とは■

 長年続いた論争が、突然、ある研究でピタリと終止符を打たれて
しまう事がある。徹底した学問的な研究が、有無を言わせぬ事実と
論理の力で、様々なプロパガンダを一掃してしまう−長年続いた南
京事件の分野に、ついにその研究が現れたのかもしれない。東中野
修道・亜細亜大学教授の「『南京虐殺』の徹底検証」である[1]。
今回は、この著作を従来の研究と比較しつつ、真に学問的な検証と
は、どういうものかを考えてみたい。

 比較対象としては、JOG(60)[2]で紹介した中国系米人アイリス・
チャンによる"The Rape of Nanking"をとりあげよう。時あたかも、
その邦訳出版が中止となった。南京事件をテーマとした始めての本
格的な英語の著作なのだが、基本的な史実の誤りが多数あるのに、
日本語訳にあたっても、それらの修正を拒否し、さらに出版社が別
の論文集を同時刊行して補足しようとすると、日本語版そのものの
刊行を断ってきた。

 なにしろ、主要人物の長勇(ちょう・いさむ)中佐を、"Taisa
Isamo"と呼んで、Taisa(大佐?)を人名の一部だと勘違いし、さ
らに勇をIsamoと読み違えている。アメリカならともかく、このよ
うな誤りをそのまま日本語訳したら、さぞ珍妙な本になったであろ
う。

■2.情報の出所も分からない五等資料■

 チャンの本には、おどろおどろしい描写が次々と出てくる。たと
えば、

    少なくとも、100人の男が、目をえぐり出され、耳と鼻を
   そがれてから、火炙りにされた。また別の200人の中国人兵
   士や市民は、裸で学校の戸や柱に縛りつけられ、zhuiziと呼ば
   れる柄のついた特別な針で口やのどや、目など何百カ所も突か
   れた。[3,p87]

 ちなみに"Zhuizi"とは、"錐子"(先のとがった工具)という漢語
の中国語読みではないか、と北京在住の本講座読者から教えていた
だいた。いったい日本兵がなぜわざわざシナの工具までどこかから
探し出して、シナ流の残虐行為を働かねばならなのか、いかにも不
自然である。

 しかし、この話が事実かどうか、確認しようと思っても、いつ、
どこで起こった事なのか、誰が目撃して、どのように記録に残した
のか、という情報の出所がいっさい書かれていない。

 歴史学研究の方法論では、資料の信頼性を6段階に分ける。一等
資料とは、ある事件が発生した時に、その場所で、当事者が残した
資料を言う。二等資料とは、当事者が、異なる時間か、場所で残し
た資料。三等資料とは、一、二等資料を基にして、編集・公表した
ものである。以上の3つを根本資料といい、歴史学研究はここまで
の資料に基づかねばならない。

 四等資料とは、資料作成の時・所・作成者が定かではない記録、
五等資料とは、資料作成者がいかなる方針で調整したか分からない
資料、六等資料とは、それ以外の記録である。これらは単なる参考
資料と呼ばれ、それだけでは何の証拠にもならない。

 チャンの上述のようなおぞましい記述は、その出所について、何
の記載もない四等以下の資料に過ぎない。これだけを山のように積
み重ねても、「大虐殺」の証明にはならないのである。

■3.四,五等史料に基づいた東京裁判■

 東京裁判でも、四,五等史料が多数採用された。

     敵(日本)軍入城後、まさに退却せんとする国軍、および難
    民男女老若合計5万7048人を幕府山付近の四、五ヶ村に閉
    じ込め、飲食を断絶す。凍餓し死亡する者すこぶる多し。
    
     1937年12月16日の夜間に至り、生き残れる者は鉄線
    をもって二人を一つに縛り四列に並ばしめ、下関・草鞋峡に追
    いやる。しかる後、機銃をもってことごとく掃射し、さらにま
    た、銃剣にて乱刺し、最後には石油をかけて焼けり。焼却後の
    残屍はことごとく揚子江中に投入せり。

 東京裁判で20万人以上虐殺されたとする判決の根拠の一つが、
この証言書の「5万7048人」なのだが、「大虐殺」の混乱の中
で、証言者がなぜこのような膨大な数を正確に数えられたのか、な
ぜこの者だけが、これだけの残虐事件をずっと目撃しながら、無事
でいられたのか、常識では理解できない証言である。

 この証言書は書面として提出されただけで、証言者に対して弁護
側が反対尋問する機会は与えられなかった。アメリカ人弁護士は、
「本人を出廷せしめて、直接反対尋問することは、(英語を話す国
民においては)常識である」と批判している。それが出来なければ
「見たこともない、聞いたこともない、またどこにいるかも分から
ない人間の証言を使って審理することになる」という。[4]

 事件の当事者が出廷して証言をすれば、二等史料となる。それを
反対尋問という形で、弁護側に検証の機会を与えるのが、裁判の常
識である。出廷もさせず、反対尋問の機会も与えられない、どこの
誰だか分からない人間の証言とは、まさに五等史料に過ぎない。

 たまたま、証言者が出廷して、反対尋問が実現したケースもある。
事件当時、現地で難民の保護に当たっていたアメリカ人マギー牧師
である。牧師は2日間にわたって、延々と日本兵による殺人や強姦
の事例を証言したが、ブルックス弁護人が、「実際に自分で見たの
は、そのうちの何件か?」と反対尋問したところ、神父は一件を除
いて、すべて中国人からの伝聞に過ぎないことを白状した。反対尋
問により、マギー神父の証言は四等史料以下である事が明らかにな
ったのである。[4,p151]

■4.中国側公式史料から削除されていた4万人虐殺説■

 このような四、五等史料が飛び交っているのが「南京事件」の特
徴であるが、最近、三等以上の根本史料を駆使して、徹底的に学問
的な検証を体系的に行った研究が発表された。それが上述の東中野
修道教授の研究成果である。

 そのごく一端を紹介しよう。東中野教授は、山をなす南京関連の
文献(巻末には、200巻以上の参考文献が記されている)から、
「虐殺」説の出所をさかのぼり、その根本史料が南京大学教授で、
安全地帯国際委員会の一員だったシャール・ベイツのメモである事
をつきとめる。

 南京事件は昭和12年12月であるが、その翌13年1月25日
に書かれたこのメモで、ベイツは次のように記す。

     非武装の4万人近い人間が南京城内や城壁近くで殺されたこ
    とを埋葬証拠は示している。そのうちの3割は決して兵士では
    なかった。[1,p330]

 東中野教授は、このメモが「チャイニーズ・イヤー・ブック193
8-39」を含め、計4種類の中華民国の公式史料に転載されているが、
いずれもこの4万人虐殺説の部分は削除されていることを発見した。

 ベイツの虐殺説は、当事者である中華民国政府からも、公式記録
に残すだけの根拠はないものと判断されていたのである。[1,P356]

■5.南京虐殺に言及していない蒋介石、毛沢東、国連決議■

 面白いのは、南京事件の翌年、中華民国総統・蒋介石が発表した
声明の中の「日本人の残虐行為」という一章だ。ここで特筆されて
いるのは、広東での空襲で何千人もの市民が殺されたという事件で
ある。もし、当時の首都南京で数万人を超す大虐殺があったなら、
それに言及しないはずはない。[1,P345]

 さらに傑作なのは、毛沢東が事件翌年に行った「持久戦につい
て」という講演である。ここで毛沢東は、南京の日本軍は支那兵を
殲滅しなかったため、後に反撃の機会を与えたのは、戦略上のまず
さであったと指摘している。[1,P339]

 国際連盟の諮問委員会は、南京陥落の半年後に、支那代表の声明
に基づき、「日本軍の侵攻によって脅かされている支那の独立と領
土保全」に奮闘する支那に対して同情の意を表する、という決議を
行った。ここにも、南京虐殺はまったく触れられていない。もし南
京で国際法違反の大虐殺が行われていたら、支那代表はすかさず、
それを利用したはずである。[1,341]

 東中野教授は、当時の代表的な公的記録(三等史料)を15種類
も調べて、そのいずれも、南京虐殺に触れていない事を確認する。

 ベイツの虐殺説が復活するのは、事件の3年後に刊行されたエド
ガー・スノーの「アジアの戦争」である。ここでスノーはベイツ説
を「その大部分は女子供」と改竄した。さらに5年後、43年に刊
行されたアグネス・スメドレーの「支那の歌声」では、ベイツ説を
5倍にして20万人殺戮と拡大宣伝した。このあたりから、虐殺説
の一人歩きが始まる。これらはすべて、四、五等史料でしかないの
である。[1,p368]

■6.事実と論理の力■

 東中野教授は、さらにベイツが根拠とした「埋葬記録」そのもの
にさかのぼって検証をする。面白いことに埋葬を担当した紅卍字会
は、日本軍、および、ベイツらの国際委員会の両方から、埋葬費用
を二重取りしていた事も明らかになる。両者の投入人員、処理期間
の記録はほぼ一致しており、そこから4万体という埋葬記録が水増
し請求であり、最大でも1万3千から5千の間である事を検証する。

 さらに、この1万数千という死体を、分析していくと、最終的に
 「日本軍の民衆殺戮を示す史料は、皆無なのである」[1,p416] 
という結論にたどりつく。

 この本は昨平成10年8月に出版されたが、それ以降、この著書
を批判論難するような本も論文も出ていない。南京虐殺を主張する
人々が一様に押し黙ってしまった感がある。これだけの根本史料を
突きつけられて、なおかつ「南京虐殺」の存在を証明する事ができ
るのか。厳密に学問的な手続きに則って組み上げられた事実と論理
の力を見せつけたようだ。

 両方の本を読み比べれば、プロガンダと真の学問との違いが、よ
く分かる。国際派日本人にお勧めしたい一書である。

[参考]
1. 「『南京虐殺』の徹底検証」、東中野修道、展転社、H10.8
2. JOG(60) 南京事件の影に潜む中国の外交戦術
3. The Rape of Nanking, Iris Chang, Basic Books, 1997
4. JOG(15) 先入観を打破する定量的検証を
5. 「私の見た東京裁判 上」、富士信夫、講談社学術文庫、S63.8

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