[トップページ] [平成11年下期一覧][Media Watch][070.13 報道の自由][210.761 戦後:占領下の戦い]


         _/    _/_/      _/_/_/  _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
        _/  _/    _/  _/           Japan On the Globe (98)
       _/  _/    _/  _/  _/_/      国際派日本人養成講座
 _/   _/   _/   _/  _/    _/    平成11年7月31日11,703部発行
  _/_/      _/_/    _/_/_/   _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
_/_/
_/_/       Media Watch: 忘れさせられた事
_/_/          (江藤淳氏追悼号)
_/_/
_/_/           ■ 目 次 ■
_/_/
_/_/    1.いったいこれが "言論の自由" でしょうか?
_/_/    2.月4百万通の私信チェック
_/_/    3.アメリカにおける戦時検閲
_/_/    4.隠蔽された検閲
_/_/    5.検閲の中の民主主義ごっこ
_/_/    6.検閲された詩
_/_/    7.「霊」の抹殺
_/_/    8.断ち切られた過去とのきずな
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

■1.いったいこれが "言論の自由" でしょうか?■

   アメリカ・ワシントンDC近郊にある国立公文書館分館には、
  マッカーサー司令部の残した記録文書が、無数のダンボール箱に
  保管されている。文芸評論家の江藤淳氏は、その中から占領中に
  日本人の書いた大量の手紙の英訳を発見した。氏はそのいくつか
  を紹介している[1,p244-]。
  
     近頃では以前より広範囲の郵便の検閲が行われているようで
    すね。腹立たしいことです。言論の自由や思想の自由が声高に
    叫ばれていますが、現実には言論も思想も戦時中以上に制限さ
    れているのです。
    
     この検閲が、自由を売り物にしている国の軍隊の仕業かと思
    うと腹が立ちます。
    
     現在のところラジオも新聞も雑誌も、マッカーサー司令部の
    検閲を受けてからでなければ何一つ報道できません。いったい
    これが "言論の自由" でしょうか? ニュースも情報も、日本
    の過去の罪業が連合軍の非の打ち所のない所業と比較され、特
    筆大書されたのちでなければ、掲載できぬ仕組みになっている
    のです。
    
■2.月4百万通の私信チェック■

   これらの私信は、占領軍司令部に属する民間検閲支隊(CCD)に
  より、無断で開封され、英訳されて、チェックを受けたものであ
  る。この組織は将校88名以下、日本人5,076名を含む総員6,168
  名(昭和22年3月時点)という大所帯であった。
  
   これだけの人員で、当時の月1千9百万通から2千万通にのぼ
  る私信から、4百万通を開封し、内容を検討していた。また毎月
  350万通の電信を検閲し、2万5千通もの電話の会話を盗聴し
  ていた。
  
   さらに日本で発行されるすべての新聞、雑誌、図書、ラジオ、
  選挙演説などの事前検閲を行い、内容の修正削除を命じたり、時
  には発行禁止処分を行っていた。
  
■3.アメリカにおける戦時検閲■

   開戦直後の昭和16(1941)年12月19日、戦時立法として、言論出
  版集会結社等臨時取締法が公布された。言論の自由を抑圧したと
  して悪名高い法律である。奇しくも同じ日に、アメリカではルー
  ズベルト大統領が、合衆国検閲局の設置を定めた大統領令8985号
  に署名していた。
  
   両方とも言論の取締を目的としているが、日本の「取締法」の
  罰則は、最高刑で懲役1年に過ぎない。アメリカでの最高罰則は
  罰金1万ドルまたは禁固10年、あるいはその両方である。罰則
  で比較すればアメリカの方がはるかに厳しい統制を行っていた。
  
   大統領令によって、検閲局長官は「郵便、電信、ラジオその他
  の検閲に関して、全く随意に」職務を執行しうるとされ、最盛期
  には14,462名もの要員を抱て、検閲にあたった。しかし合衆国憲
  法の「言論および出版の自由を制限することはできない」という
  条項との抵触を恐れて、検閲局の活動は極力隠蔽された。
  
   この合衆国検閲局の大規模、かつ秘密裏の検閲システムが、民
  間検閲支局という形でそのまま占領下の日本に移植されたのであ
  る。当時の日本国民が「言論も思想も戦時中以上に制限されてい
  る」と感じたのは、当然であろう。

■4.隠蔽された検閲■

   日本が降伏条件として受諾したポツダム宣言の第10項には、次
  のような一節があった。
  
     日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活
    強化ニ対スル一切ノ障礙(しょうがい)ヲ除去スベシ。言論、宗
    教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ。

   占領軍は、表向きでは言論・思想・宗教の自由をもたらすとい
  いながら、実は徹底した検閲システムを持ち込んだ。これは完全
  なポツダム宣言違反であり、この点を隠蔽するために、アメリカ
  でと同様、日本での検閲も極力秘匿された。
  
   たとえば、新聞で削除すべき部分を伏字にしたり、黒塗りにし
  たら、検閲されていることが分かってしまう。そういう部分は紙
  面から割愛され、スペースをつめる事が命ぜられていた。また検
  閲制度自体に言及している記事も、当然禁止される。こうして面
  向きは、さも言論出版の自由が護られているように、取り繕われ
  たのである。

■5.検閲の中の民主主義ごっこ■

   検閲の対象となったのは、軍国主義を鼓舞するような「民主主
  義に対する障礙」ばかりではなかった。民間検閲支局の検閲指針
  として、30項目の「削除または掲載発行禁止の対象となるも
  の」が挙げられていた。その中で、占領軍行政、連合国に対する
  批判はすべて封じられた。連合国の戦前の政策を批判したり、占
  領軍兵士の婦女暴行や強盗犯罪などの報道も禁じられた。
  
   朝日新聞は、昭和20年9月前半までは米兵による婦女暴行の
  報道、原爆や病院船攻撃など連合国側の国際法違反に言及する記
  事を掲載していた。これが民間検閲支局の忌諱にふれて、48時
  間の発行停止処分を受ける。これを機に、朝日の報道は、180
  度転換して、占領軍の意向に沿ったものとなる。今日まで続く朝
  日の論調は、この時に始まったものである。
  JOG(49) 終戦後の戦い
  
  「満洲における日本人取り扱い」への言及も禁じられたが、これ
  は、ソ連による満洲居留民の虐殺、日本軍将兵のシベリア抑留な
  どのことであろう。またすでに始まっていたソ連との冷戦に関す
  る情報も禁じられていた。「平和を愛する連合国」が残虐行為を
  したり、仲違いを始めているというような事実は、都合が悪かっ
  たのである。
  
   さらに検閲指針では、「連合国司令部が憲法を起草したことに
  対する批判」も削除または掲載禁止の対象とされた。占領軍によ
  る憲法改変は、国際法であるハーグ陸戦規則第43条の「占領地
  の法律の尊重」の違反であり、またポツダム宣言12条の「日本
  国民の自由に表明せる意思に従い」という条件に背反する。
  
   占領軍が起草した日本国憲法の第21条第2項には、「検閲は、
  これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
  」とある。その蔭で、当の占領軍により、大規模な検閲が行われ
  ていたわけである。さらに上記「検閲指針」の違反者は米軍の軍
  事法廷で訴追され、江藤氏の調べた範囲での最高刑は、沖縄にお
  ける強制重労働3年乃至5年であった。[3,p248]

   占領下の日本は、見えない検閲システムの中で「自由ごっこ」
  「民主主義ごっこ」をさせられていたのである。
  
■6.検閲された詩■

   文学作品の中にも、占領軍から軍国主義的として修正削除命令、
  または発禁処分を受けたものがあった。江藤氏の著書に、その一
  例として次の詩が紹介されている。(ただし、以下の検閲の直後
  に、検閲制度の変更が行われ、この詩は原形のまま出版できた。)
  まず修正後の形を示す。[3,p297-]
  
      かへる    川路柳紅

    汽車はいつものやうに/小さな村の駅に人を吐き出し、
    そつけなく煤と煙をのこして/山の向ふへ走り去つた。
      
    降り立つた五六人のひとびとは/白い布で包んだ木の箱を先頭に、
    みんな低く頭を垂れて/無言で野道へと歩き出す。
  (a)
    青い田と田のあひだに/大空をうつす小川
    永遠の足どりのやうに/水の面に消えまた現れる緩い雲
    
    この自然のふところでは/すべてが、あまりに一やうで
    歓びと悲しみも、さては昨日も今日も、
    時の羽摶きすら聴えぬ間に生きてゐる。
  (b)
    おまへを生み育てた村の家に、
    戦ひのない、この自然と人の静けさの中に。
    
   「白い布で包んだ木の箱」には、戦死者の遺骨が入っている。
  それが、美しい故郷の山河に戻ってきた、という場面である。
  
■7.「霊」の抹殺■

   実は、この詩のタイトルは「かへる霊」であり、また(a)と(b)
  の部分には、それぞれ次のような部分が削除されている。
  
  (a)
    かつての日の栄光は、/かつての日の尊敬すべき英雄は、
    いま骨となって故里へ還つたが、
    祝福する人もなく、罪人のやうに
    わずかな家族に護られて野地をゆく
  (b)
    無言の人々に護られた英霊は、/燃える太陽の光のなかで、
    白い蛾のやうな幻となつて/眩しくかゞやき動いてゐる、
    
    かへるその霊の宿はどこか、
    贖(あがな)はれる罪とは何か?
    安らかに眠れよ、たゞ安らかに
    
   前節の検閲後の詩では、完全に「霊」の存在が抹殺されている。
  江藤氏は語る。
  
     したがって、そこでは、人は「かへるその霊の宿はどこか、
    /贖はれる罪とは何か?」というような根源的な問いかけを行
    ってはならず、また「安らかに眠れよ、たゞ安らかに」という、
    生き残った者の「霊」に対する心からの人間的な呼びかけを行
    うことも禁止されている。[3,p299]
    
   江藤氏は、発禁となった吉田満の名作「戦艦大和ノ最期」に関
  する章で、次のように述べている。

     彼が意図していたことは、「軍国主義的」作品を選り出して
    これを発禁にするというような、ケチで退屈な仕事ではなかっ
    た。生者と死者を結びつける「きずな」を切断し、日本人のア
    イデンティティに致命傷をあたえること、彼の意図は、これを
    おいてほかにはあり得なかった。[3,p354]

■8.断ち切られた過去とのきずな■
    
   一人の人間をまったく別の人間に作り変えるための最も徹底し
  た方法は、その人の「過去とのきずな」を抹殺する事である。幼
  き日の思い出、学生時代の友情や初恋、仕事上の成功と失敗、、、
  我々が現在の自分自身でありうるのは、そのような記憶があるか
  らだ。記憶が抹殺されれば、過去の自分は見知らぬ他人となり、
  今までの自分の人生は意味のないものとなる。
  
   同様に、ひとつの民族を別なものに作り変えるためには、民族
  の記憶、すなわち歴史を抹消し、「君たちは新しく生まれ変わっ
  たのだ」と吹き込めばよい。先人の思いを伝えるものをすべて抹
  殺し、死者とのきずなを断ち切る。占領軍が検閲によって行った
  のは、まさにこの事であった。
  
   さらにこのような検閲が隠蔽されたという事は、我々に何かを
  「忘れさせられた」という事自体を「忘れさせる」。記憶喪失を
  自覚していない患者は、自分が正常だと思い込むしかない。検閲
  が終わった後も、我々の記憶喪失が長く続いたのは、このためで
  ある。
  
   江藤氏が占領軍検閲の実態を明かす事によって、われわれは何
  かを「忘れさせられた」のだと、ようやく気がついた。何をどの
  ように「思い出していくか」、それは遺された者にかかっている。
  草葉の陰で江藤氏の霊が見守っているであろう。

■ 参考 ■
1. 「閉ざされた言語空間」、江藤淳、文春文庫、H2.1
2. 「忘れたこと忘れさせられたこと」、江藤淳、文春文庫、H4.1
3. 「一九四九年憲法−その拘束」、江藤淳、文春文庫、H7.1

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/★★読者の声★★_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
                      庭本秀一郎さんより
    
  >   一人の人間をまったく別の人間に作り変えるための最も徹
  >  底した方法は、その人の「過去とのきずな」を抹殺する事で
  >  ある。幼き日の思い出、学生時代の友情や初恋、仕事上の成
  >  功と失敗、、、
  >  我々が現在の自分自身でありうるのは、そのような記憶があ
  >  るからだ。記憶が抹殺されれば、過去の自分は見知らぬ他人
  >  となり、今までの自分の人生は意味のないものとなる。


   このことばに大変共感を覚えました。困難に直面した時に、自
  分自身が拠り所とするのは現在、過去を問わず「人とのきずな」
  であると思います。たとえ現在の状況の中で孤独に陥っても、
  「過去とのきずな」があれば力も湧いてくると思います。書物の
  うえで知った人であるか、実際にこの世に生きている人であるか
  どうかにかかわらず、その人に多くのエネルギーを注げば注ぐほ
  どその人に対する愛着は増し、その人の人格と自分の人格が統合
  されていくのだと思います。
  
   そうしてはじめて、自分が生きていられるのは決して自分の力
  だけではなく、自分を支えてくれている人の「お蔭様」であると
  いう気持ちが生まれてくるのではないでしょうか。そういう気持
  ちをもてている限り、成功してもおごらず、失敗しても自暴自棄
  にならずに生きていくことができるのだと思います。「お蔭様」
  の気持ちを持つことは、「生きる力」の重要な要素ではないでし
  ょうか。

■伊勢雅臣より

  死者とのつながりを断ち切ることが、我々の生きる力を枯渇
 させることになるのですね。

© 1999 [伊勢雅臣]. All rights reserved.